マリーア・ディ・グラツィア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マリーア・ディ・グラツィア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
Maria di Grazia Pia di Borbone-Due Sicilie
ブルボン=シチリア家
マリーア・ピア(1913年)

出生 (1878-08-12) 1878年8月12日
フランスの旗 フランス共和国カンヌ
死去 (1973-06-20) 1973年6月20日(94歳没)
フランスの旗 フランスマンドリュー=ラ=ナプール
配偶者 ブラジル皇子ルイス
子女 一覧参照
父親 カゼルタ伯アルフォンソ
母親 マリーア・アントニエッタ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ
テンプレートを表示

マリーア・ディ・グラツィア・ピア・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ(Maria di Grazia Pia di Borbone-Due Sicilie, 1878年8月12日 - 1973年6月20日)は、両シチリア王国の旧統治者家門ブルボン=シチリア家の子孫。両シチリア王フェルディナンド2世の孫娘にあたる。全名はマリーア・ディ・グラツィア・ピア・キアラ・アンナ・テレーザ・イザベッラ・アポローニア・アデライーデ・アガタ・チェチーリア・フィロメーナ・ルーチア・クリスティーナ・アントーニア・カタリーナ(Maria di Grazia Pia Chiara Anna Teresa Isabella Apollonia Adelaide Agata Cecilia Filomena Lucia Cristina Antonia Catarina)。

生涯[編集]

最後の両シチリア王フランチェスコ2世の異母弟カゼルタ伯アルフォンソと、その妻で両シチリア王族トラーパニ伯の娘であるマリーア・アントニエッタの間の第6子、三女として生まれた[1][2]。1908年11月4日にカンヌにおいて、ブラジル帝位継承者イザベル皇女の次男で、母から後継者指名を受けていたルイス皇子と結婚したが、1920年に死別した。

子女[編集]

夫との間に2男1女をもうけた。

脚注[編集]

  1. ^ Darryl Lundy (2005年5月1日). “Maria di Grazia Pia Chiara Anna di Borbone, Principessa di Borbone delle Due Sicilie”. thePeerage.com. 2008年10月11日閲覧。
  2. ^ Paul Theroff. “TWO SICILIES”. Paul Theroff's Royal Genealogy Site. 2009年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月11日閲覧。