マラキ書3章

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マラキ書3章(マラキしょ3しょう)は旧約聖書マラキ書の中の一章。2章17節を受けた内容である。収入の十分の一を献金する根拠としてこの箇所が用いられ、マラキ書の中でも取り上げられることが多い。[1]

あなたたちは、自分の語る言葉によって/主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う/どのように疲れさせたのですか、と。あなたたちが/悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか/主は彼らを喜ばれるとか/裁きの神はどこにおられるのか、などと/言うことによってである。 — マラキ書2章17節、『新共同訳聖書』より引用。(以下、引用はすべて新共同訳)

日本語訳[編集]

マラキ書3章は24節からなる。

1節 見よ、わたしは使者を送る。
彼はわが前に道を備える。
あなたたちが待望している主は
突如、その聖所に来られる。
あなたたちが喜びとしている契約の使者
見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。
2節 だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。
彼の現れるとき、誰が耐えうるか。
彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。
3節 彼は精錬する者、銀を清める者として座し
レビの子らを清め
金や銀のように彼らの汚れを除く。
彼らが主に献げ物を
正しくささげる者となるためである。
4節 そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は
遠い昔の日々に過ぎ去った年月にそうであったように
主にとって好ましいものとなる。
5節 裁きのために、わたしはあなたたちに近づき
直ちに告発する。
呪術を行う者、姦淫する者、偽って誓う者
雇い人の賃金を不正に奪う者
寡婦、孤児、寄留者を苦しめる者
わたしを畏れぬ者らを、と万軍の主は言われる。
6節 まことに、主であるわたしは変わることがない。
あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。
7節 あなたたちは先祖の時代からわたしの掟を離れ、それを守らなかった。
立ち帰れ、わたしに。
そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると
万軍の主は言われる。
しかし、あなたたちは言う
どのように立ち帰ればよいのか、と。
8節 人は神を偽りうるか。
あなたたちはわたしを偽っていながら
どのようにあなたを偽っていますか、と言う。
それは、十分の一の献げ物と
献納物においてである。
9節 あなたたちは、甚だしく呪われる。
あなたたちは民全体で、わたしを偽っている。
10節 十分の一の献げ物をすべて倉に運び
わたしの家に食物があるようにせよ。
これによって、わたしを試してみよと
万軍の主は言われる。
必ず、わたしはあなたたちのために
天の窓を開き
祝福を限りなく注ぐであろう。
11節 また、わたしはあなたたちのために
食い荒らすいなごを滅ぼして
あなたたちの土地の作物が荒らされず
畑のぶどうが不作とならぬようにすると
万軍の主は言われる。
12節 諸国の民は皆、あなたたちを幸せな者と呼ぶ。
あなたたちが喜びの国となるからだと
万軍の主は言われる。
13節 あなたたちは、わたしに
ひどい言葉を語っている、と主は言われる。
ところが、あなたたちは言う
どんなことをあなたに言いましたか、と。
14節 あなたたちは言っている。
「神に仕えることはむなしい。
たとえ、その戒めを守っても
万軍の主の御前を
喪に服している人のように歩いても
何の益があろうか。
15節 むしろ、我々は高慢な者を幸いと呼ぼう。
彼らは悪事を行っても栄え
神を試みても罰を免れているからだ。」
16節 そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。神の御前には、主を畏れ、その御名を思う者のために記録の書が書き記された。
17節 わたしが備えているその日に
彼らはわたしにとって宝となると
万軍の主は言われる。
人が自分に仕える子を憐れむようにわたしは彼らを憐れむ。
18節 そのとき、あなたたちはもう一度
正しい人と神に逆らう人
神に仕える者と仕えない者との
区別を見るであろう。
19節 見よ、その日が来る
炉のように燃える日が。
高慢な者、悪を行う者は
すべてわらのようになる。
到来するその日は、と万軍の主は言われる。
彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
20節 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。
その翼にはいやす力がある。
あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。
21節 わたしが備えているその日に
あなたたちは神に逆らう者を踏みつける。
彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。
22節 わが僕モーセの教えを思い起こせ。
わたしは彼に、全イスラエルのため
ホレブで掟と定めを命じておいた。
23節 見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
24節 彼は父の心を子に
子の心を父に向けさせる。
わたしが来て、破滅をもって
この地を撃つことがないように。


— 日本聖書協会新共同訳聖書

1節 私は使者を遣わす。
彼は私の前に道を整える。
あなたがたが求めている主は
突然、その神殿に来られる。
あなたがたが喜びとしている契約の使者が
まさに来ようとしている―万軍の主は言われる。
2節 だが、彼が来る日に誰が耐えられようか。
彼の現れるとき、誰が立っていられようか。
彼は精錬する者の火、洗い落とす者の灰汁のようだ。
3節 銀を精錬し、清める者として座り
レビの子らを清め
彼らを金や銀のように純化する。
こうして彼らは
主に供え物を正しく献げる者となる。
4節 ユダとエルサレムの供え物は
昔の日々に
過ぎ去った年月にそうであったように
主に喜ばれるであろう。
5節 裁きのために私はあなたがたに近づき
呪術を行う者や、姦淫する者や、偽って誓う者や
雇い人の報酬をかすめ
寡婦、孤児、寄留者を虐げる者を
速やかに告発する。
しかし、彼らは私を畏れてはいない
―万軍の主は言われる。
6節 私は主である。変わることはない。
ヤコブの子らよ、あなたがたも滅びることはない。
7節 あなたがたは先祖の時代から
私の掟から離れ、それを守らなかった。
私に立ち帰れ。
そうすれば、私もあなたがたに立ち帰る
―万軍の主は言われる。
しかし、あなたがたは言う
「我々はどのように立ち帰ればよいのですか」と。
8節 人が神を欺けるだろうか。
あなたがたは私を欺きながら
「どのようにあなたを欺きましたか」と言う。
それは、十分の一の献げ物と
献納物によってである。
9節 あなた方は甚だしく呪われている。
あなたがたは国民全体で、私を欺いている。
10節 十分の一の献げ物をすべて貯蔵庫に運び入れ
私の家に食物があるようにせよ。
これによって、私を試してみよ
―万軍の主は言われる。
必ず、私はあなたがたのために天の窓を開き
祝福を限りなく注ぐであろう。
11節 また、私はあなたがたのために
食い荒らすばったを叱りつけ
あなたがたのために
大地の実りを損なわせないように
あなたがたのために
畑のぶどうが不作とならないようにする
―万軍の主は言われる。
12節 諸国民は皆、あなたがたを幸せな者と呼ぶ。
あなたがたが喜びの地となるからだ
―万軍の主は言われる。
13節 私に対するあなたがたの言葉は激しい
―主は言われる。
ところが、あなたがたは言う
「私たちはあなたに
どのようなことを言いましたか」と。
14節 あなたがたは言っている。
「神に仕えることはむなしい。
その務めを守っても
また、万軍の主の前を嘆きつつ歩いても
何の益があろうか。
15節 今こそ、我々は傲慢な者を幸せな者と呼ぼう。
彼らは悪を行っても栄え
神を試みても罰を免れている。」
16節 その時、主を畏れる者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。主を畏れる者のために、主の名を尊ぶ者のために、御前で記録の書が書き記された。
17節 私が事を行うその日に
彼らは私の宝となる―
万軍の主は言われる。
人が自分に仕える子を憐れむように
私は彼らを憐れむ。
18節 その時、あなたがたは再び
正しき者と悪しき者
神に仕える者と仕えない者との区別を知るであろう。
19節 その日が来る
かまどのように燃える日が。
傲慢な者、悪を行う者は
すべてわらになる。
到来するその日は彼らを焼き尽くし
根も枝も残さない―万軍の主は言われる。
20節 しかし、わが名を畏れるあなたがたには
義の太陽が昇る。
その翼には癒やしがある。
あなたがたは牛舎の子牛のように
躍り出て跳ね回る。
21節 私が事を行うその日に
あなたがたは悪しき者たちを踏みつける。
彼らはあなたがたの足の裏で灰になる
―万軍の主は言われる。
22節 わが僕モーセの律法を思い起こせ。
それは、私がホレブで全イスラエルのために
彼に命じておいた掟と法である。
23節 大いなる恐るべき主の日が来る前に
私は預言者エリヤをあなたがたに遣わす。
24節 彼は父の心を子らに
子らの心を父に向けさせる。
私が来て、この地を打ち
滅ぼし尽くすことがないように。


— 日本聖書協会共同訳聖書

解釈[編集]

2章17節は悪人が栄えるのはなぜかという神義論の問題ではなく、民が自分達の悪を神は気にしてはいないだろう、したがって正義をないがしろにしたとしても神の裁きが下ることはないだろうと考えているために「裁きの神はどこにおられるのか」と問うているのである。

スパージョンは3節について、主が金銀を精錬するように人間を罪から清められるまで座して待っているとしている。これによって4節にあるように人間が主にとって好ましいものとなるのである。

5-6節では裁きの神は確かにおられ、神はいつまでも変わらず正義を大切にし続けると語り、それにより2章17節で民より出された問いに答える。

8節の偽る קָבַע(qaba)は共同訳聖書では欺く、口語訳聖書では奪うと訳している。箴言22章23節では奪うという意味でこの単語が使われている。

主は彼らに代わって争い/彼らの命を奪う者の命を、奪われるであろう。 — 箴言22章23節

ここで表現されていることは出し惜しみとごまかしは主を欺き、主から奪うことだという告発である。現代でも自分の富の十分の一を献金したのに思ったように恩恵を得られていないと感じるということが起こるが、この時代の民たちも主から恩恵を受けていると感じていなかったのかもしれない。しかし、豊かな自然、仕事の喜び、共に祭儀に与ることができることの恵みを感じ取ることができる者はその分ほとばしるように献金、あるいは献身ということが出てくるものではないか、主が人間たちに与えてくださっている恵みに目を留めることをすすめるとする読みもある。 新約聖書ではマタイによる福音書23章23節にある言葉でも十分の一の献げ物について言及されている。

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。 — マタイによる福音書23章23節

13-15節では2章17節で民が語った内容が繰り返され、神に仕えても何の益もないことが語られる。義人が苦難に遭い、悪人が栄えるという言葉が出てくることはヨブ記とも類似するが、民の態度はヨブとは対照的である。

しかし16節に書かれているように主を畏れ敬う者たちもおり、それらの人々は忘れられることなく記録の書に書き記されていることが宣言され、18-21節では主を畏れ敬う人々とは反対に主に逆らう者が裁かれることも宣言される。

22節にあるホレブは乾燥した所という意味でモーセが律法を与えられたシナイ山の別称であり、もう一度律法を思い起こすよう命じる。

23節では1節で預言されていた使者として天に上った人物である預言者エリヤが遣わされるとしている。

24節に出てくる父は神のことではなく普通の家庭の父である。世代間の対立や共同体における不和が平和と恵みの交わりに変えられるようにとの祈りである。

マラキ書3章は裁きの言葉が多いが、24節にあるこの祈りは、ヨハネの黙示録22章21節が新約聖書の最後の言葉となっていることを思い起こさせる。[1][2]

主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように。アーメン — ヨハネの黙示録22章21節

脚注[編集]

  1. ^ a b E.アクティマイアー 伊藤 嘉朗訳 (1990). ナホム書-マラキ書 (現代聖書注解). 日本基督教団出版局. pp. 299-322. ISBN 978-4818400702 
  2. ^ 和田 幹男; 木田 献一 (1997). 新共同訳 聖書辞典. キリスト新聞社. pp. 226,460. ISBN 978-4873952901