ヘレン・コータス

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ヘレン・コータス・ハーシュ
Helen Kotas Hirsch
生誕 1916年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州ブルックフィールド
死没 2000年12月15日(2000-12-15)(83–84歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国シカゴ
職業 ホルン奏者
担当楽器 ホルン

ヘレン・コータス・ハーシュ (Helen Kotas Hirsch, 1916年 - 2000年12月15日) は、アメリカ合衆国ホルン奏者である。シカゴ交響楽団で首席ホルン奏者を務め、アメリカのオーケストラにおける女性最初の首席管楽器奏者となった[1][2]

生涯[編集]

幼少期から学生時代[編集]

1916年、チェコ人の両親のもとに生まれ、イリノイ州ブルックフィールドで育った[3]。6歳よりピアノを習い始め、高校時代にはコルネットを始めてのちにホルンへ転向した[1]。ライオンズ・タウンシップ高校時代は、シカゴ交響楽団のフランク・カイルに師事している[1]。その後シカゴ大学へと進み、1936年に心理学の学位を得て卒業したが[1]、そのかたわら、シカゴNBC交響楽団のルイ・デュフランにホルンを習った[1]

コータスが最初に手にしたホルンは、父からもらったヴンダーリヒのFシングルホルンで[1]、大学時代は姉からもらったガイヤーのダブルホルンを使用した[1]。以後、コータスはガイヤーのホルンおよびマウスピースを使用し続けた[1]

ホルン奏者としての活躍[編集]

ピッツバーグ交響楽団にコータスを採用した、指揮者のフリッツ・ライナー (1920年ごろ)

14歳で、シカゴの女性オーケストラに第4ホルン奏者として参加し、翌年には第1ホルン奏者となった[1]。また、シカゴ郊外のオーケストラでも第1ホルンを務めた[1]。大学卒業後は、シカゴ・シヴィック・オーケストラで演奏し、フレデリック・ストックの指揮のもと、エキストラとしてシカゴ交響楽団でも演奏した[4]。また、1940年から1941年にかけては、レオポルド・ストコフスキーが指揮する全米ユース・オーケストラの夏のツアーに参加した[5]

1940年には指揮者フリッツ・ライナーによるオーディションに合格し、ピッツバーグ交響楽団の第3ホルン奏者となった[1]。翌年の1941年に、ホルン奏者のフィリップ・ファーカスがシカゴ交響楽団を退団すると、その後継者としてコータスを希望した指揮者のフレデリック・ストックは[1]、ライナーに連絡をしてコータスの移籍許可を得た[6]。ピッツバーグのポジションは、ジェームズ・チェンバーズドイツ語版が継いだ[1]。なお、コータスがシカゴ交響楽団に入団するまで、首席奏者としてアメリカのオーケストラで活躍した女性はハープ奏者以外に存在しなかった[6]

1941年から1942年のシーズンからシカゴ交響楽団に参加したコータスは、1947年まで首席ホルン奏者を務めた[1][7]。しかし、1947年にフィリップ・ファーカスが指揮者のアルトゥール・ロジンスキのもとでシカゴ交響楽団に復帰すると、コータスは第1ホルンから別のポジションへ移動となり、1948年にオーケストラを去った[1][8][9]

シカゴ交響楽団を去ったのちも、コータスはシカゴに留まり、1950年から1958年にかけてグラントパーク交響楽団で首席ホルン奏者を務めたり、1954年から1965年にかけてはシカゴ・リリック・オペラでホルン奏者を務めたりした[5]。1953年には、シカゴ交響楽団に移った指揮者のライナーに、オーケストラに戻ってくるよう説得されたが[1]、コータスはこれを断っている[1]

シカゴで、シカゴ交響楽団元在籍者の同窓会へ向かう途中、交通事故で亡くなった[5]

教育活動[編集]

アメリカン・コンサーバトリー、ホイートン大学、シャーウッド音楽大学で教鞭をとった[5][10]。生徒には、ホルン奏者であり歴史的ホルンの制作者でもあるローウェル・グリアーらがいる[1][9]

私生活[編集]

1949年にシカゴ大学の病理医エドウィン・ハーシュと結婚した(1972年死去)[2]。またハイドパーク・ユニオン・チャーチの会計係を務めたり、女性による慈善活動グループに参加したりした[5]

顕彰歴[編集]

2012年にインターナショナル・ウィメンズ・ブラス・カンファレンスより「パイオニア・アワード」を受賞した[10]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r Helen Kotas (1916–2000) – IHS Online”. www.hornsociety.org. 2021年3月7日閲覧。
  2. ^ a b Daniel, Julia E.; Konkol, Margaret (April 15, 2020) (英語). Modernism in the Green: Public Greens in Modern Literature and Culture. Routledge. ISBN 978-1-000-59674-8. https://books.google.com/books?id=iWDdDwAAQBAJ&q=helen+kotas&pg=PT89 
  3. ^ Rechcigl, Miloslav, Jr. (September 16, 2019) (英語). Notable American Women with Czechoslovak Roots: A Bibliography, Bio-Bibliographies, Historiography and Genealogy. AuthorHouse. p. 492. ISBN 978-1-7283-2139-4. https://books.google.com/books?id=95iyDwAAQBAJ&pg=PT492 
  4. ^ 125 Moments: 020 Helen Kotas – CSO Sounds & Stories”. csosoundsandstories.org. 2021年3月7日閲覧。
  5. ^ a b c d e Writer, James Janega, Tribune Staff. “EX-CSO MUSICIAN HELEN KOTAS HIRSCH, 84” (英語). chicagotribune.com. 2020年9月30日閲覧。
  6. ^ a b Bindas, Kenneth (2003). All of This Music Belongs to the Nation: The WPA's Federal Music Project and American Society. University of Tennessee Press. pp. 89. ISBN 9781572332522 
  7. ^ Former Musicians of the Chicago Symphony Orchestra”. Chicago Symphony Orchestra Rosenthal Archives. 2021年3月7日閲覧。
  8. ^ “The Singing Style of the Bohemians” – A Study of the Bohemian Contributions to Horn Pedagogy, Including Western Perspectives on Czech Horn Playing and an Analysis of the Teachings of Zdeněk Divoký at the Prague Academy of Performing Arts by Tiffany N. Damicone, DMA Dissertation, The Ohio State University (2013)
  9. ^ a b Greer, Lowell. “Helen Kotas Hirsch”. Il Club del Corno. 2021年3月7日閲覧。
  10. ^ a b IWBC Awards 2012”. www.myiwbc.org. 2021年3月7日閲覧。

関連文献[編集]

外部リンク[編集]