プロジェクト‐ノート:ロシア/評価基準

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記事評価制度について[編集]

ぱたごんともうします。記事評価制度を始めたそうですが。たったお一人で記事評価制度などまず無理です。先行していた評価制度にスポーツ分野があったのですが、スポーツの記事評価制度では、ほんの数人で行っていたために

  • (1)ほんの数人(2,3人)で評価しなくてはならないので記事をちゃんと読んでいてはとても間に合わないので記事を読まずに評価していった
  • (2)記事を読みもしないのだから、独自研究やおよそ主題の説明に無関係なトリビアでバイト数さえ増やせば良い評価、記述を厳選して無駄を省けば低い評価。
  • (3)ほんの数人しかいないので記事が改善されたとて目がとどかず低い評価を貼りっぱなし。いったん付けた評価のメンテナンスが全く行われない。

などという欠点があり、行き詰まって評価制度は廃止となってしまったのです

プロジェクト:ロシア/評価基準 をみても出典の数が多ければ良い評価になるみたいですが、個人ブログのようなものを出典にして数だけ増やせば良い評価となるわけです。信頼できる数冊の情報源に拠った記事よりも、質の低い雑多な出典を並べたほうが評価が高くなってしまう。

低く評価された記事が改善されたときにちゃんと評価をきちんと見直す体制が出来ていますか?とてもそうは思えない。

仮に低レベルな記事を高く評価してしまったとしても害は少ないかもしれませんが、まじめな執筆者が時間かかけて丹念に調べたで書いた記事でも、その主題に詳しくなさそうな人に、ある日突然、重要度低、評価低などとラベルを貼られて素直に納得するでしょうか?やる気をなくしてしまうのではないでしょうか?

現に私はスポーツプロジェクトでスポーツ貧血に対して、それを読みもしない、その主題に詳しいとも思えない人に突然重要度低、評価低などとラベルを貼られてしまったので、もうこの記事に関わる気はないです。ある日突然、その主題に詳しいとも思えない人が出典の精査を行いもせずに突然重要度低、評価低などとラベルを貼られて面白く思わない人は私だけでしょうか?

すらゔーそゆーずさんお一人でこの先ずーっと何十年もメンテナンスをきちんと行っていけますか?スポーツでの評価制度などを見るにロシアでも評価制度などまず無理だと思います。

するとしても、良い記事を見つけて「これは良い記事だ」と評価するのは良いとしても、悪い評価をたった一人でつけていくのはおそらくは益より害のほうが大きいと思います.。このプロジェクトは評価制度をする体制が整っていないと思います。せめてするにしても低い評価をつけて回るのは止めにして良い記事の評価だけにしましょう--ぱたごん会話2020年11月27日 (金) 04:01 (UTC)[返信]

こちらのご返事をいただきましたが、たった一人の参加者さんに同意いただけましたので記事評価制度はしばらく停止と致します。--ぱたごん会話2020年11月27日 (金) 11:06 (UTC)[返信]