プリンスローズ
表示
この記事の正確性に疑問が呈されています。 |
この記事は英語版、フランス語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2024年8月) 翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
| プリンスローズ | |
|---|---|
|
プリンスローズ | |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1928年 |
| 死没 | 1944年 |
| 父 | Rose Prince |
| 母 | Indolence |
| 母の父 | Gay Crusader |
| 生国 | イギリス |
| 生産者 | Lord Durham |
| 馬主 | Dr. H.Coppez |
| 調教師 | G.Charton(ベルギー) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 20戦16勝 |
| 獲得賞金 | 5万9267ドル |
プリンスローズあるいはプランスロゼ(Prince Rose、1928-1944年)はベルギーの競走馬。ベルギー競馬(特に平地競走)はごく小規模にしか実施されておらず、その中でフランスの一流馬(パールキャップやトウルビヨンら)と互角の戦いを見せたことから、本馬は時折ベルギー競馬における史上最強馬と言及される。父はローズプリンス、母はインドレンスで生産国はイギリス。
現役時代は20戦16勝の成績を残し59,267ドル(換算)を獲得した。ブリュッセル大賞を制し、オステンド国際大賞ではパールキャップに勝つ(1931年)などの内容で連覇した。フランスの共和国大統領賞も優勝している[1]。
1932年に怪我のため引退。種牡馬としてはまずベルギーで供用され、1938年にフランスへ移動した。1946年にフランスリーディングサイアーを獲得、短期間のうちにプリンスキロ(米国リーディングサイアー)、プリンスビオ(プール・デッセ・デ・プーラン、フランスリーディングサイアー)、プリンスシュヴァリエ(ジョッケクルブ賞、フランスリーディングサイアー)を出した。
1944年、ノルマンディー上陸作戦に巻き込まれて死亡[2]。
血統表
[編集]| プリンスローズの血統セントサイモン系・10号族(10-c) / Galopin5×5.5=9.38% Hampton5×5=6.25% Barcaldine5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父 Rose Prince 1919 鹿 |
父の父 Prince Palatine1908 鹿 |
Persimmon | St.Simon | |
| Perdita | ||||
| Lady Lightfoot | Isinglass | |||
| Glare | ||||
父の母 Eglantine1906 |
Perth | War Dance | ||
| Primrose Dame | ||||
| Rose de Mai | Callistrate | |||
| May Pole | ||||
母 Indolence 1920 鹿 |
Gay Crusader 1914 |
Bayardo | Bay Ronald | |
| Galicia | ||||
| Gay Laura | Beppo | |||
| Galeottia | ||||
母の母 Barrier1910 |
Grey Leg | Pepper and Salt | ||
| Quetta | ||||
| Bar the Way | Right-Away | |||
| Barrisdale | ||||