パーシー・シーモア
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パーシー・シーモア卿(英語: Lord Percy Seymour、1696年6月3日 – 1721年7月4日)は、グレートブリテン王国の政治家。1718年から1721年まで庶民院議員を務めた[1]。
生涯
[編集]第6代サマセット公爵チャールズ・シーモアと1人目の妻エリザベス(1722年11月23日没)の息子として[2]、1696年6月3日に生まれた[1]。兄にのちの第7代サマセット公爵アルジャーノン・シーモアがいる[2]。1706年から1714年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1714年5月4日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1717年にM.A.の学位を修得した[3]。
1717年7月、父の手配によりコッカーマス選挙区の補欠選挙で出馬した[1][4]。コッカーマスではサマセット公爵が影響力を有したが、シーモア84票対第3代準男爵サー・ウィルフリッド・ローソン90票という結果になり、接戦だったため選管は2人の当選を宣告して、当選者の判断を庶民院に委ねた[4]。シーモアが未成年だったと認めたため、ローソンは議席を諦めてシーモアの当選を認め、シーモアは1718年1月に当選を宣告された[4]。
議会では1719年に便宜的国教徒禁止法と教会分裂阻止法の廃止に賛成、同年の貴族法案にも賛成した[1]。
1721年7月4日、天然痘により生涯未婚のまま死去した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Sedgwick, Romney R. (1970). "SEYMOUR, Lord Percy (1696-1721).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月27日閲覧。
- ^ a b Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1856.
- ^ "Lord Percy SEYMOUR (SMR714P)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c Sedgwick, Romney R. (1970). "Cockermouth". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年9月27日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ニコラス・リーチミア トマス・ペンゲリ |
庶民院議員(コッカーマス選挙区選出) 1717年 – 1721年 同職:トマス・ペンゲリ |
次代 アンソニー・ラウザー閣下 トマス・ペンゲリ |