ハウ準男爵

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ハウ準男爵(ハウじゅんだんしゃく、英語: Howe baronets)は、イングランド準男爵位。2度創設されており、いずれも廃絶している。2つの準男爵家は親族関係にあり、コンプトンの初代準男爵コールド・バリックの初代準男爵の伯父にあたる[1]

歴史[編集]

ウィルトシャー出身の政治家で1660年から1676年までヒンドン選挙区英語版の代表として庶民院議員を務めたジョージ・グロバム・ハウ(c. 1627–1676)は1660年6月20日に(コールド・バリックの)準男爵に叙された[2][3]。その息子ジェームズ・ハウ(c. 1669–1736)もヒンドン選挙区の代表として庶民院議員を務めたが、2度の結婚で子女をもうけず、1736年に死去すると準男爵位は廃絶した[2][4]

ジョージ・グロバム・ハウの伯父で同じくウィルトシャー出身の政治家であるジョン・ハウ(bef. 1594–1671)は1660年9月22日に(コンプトンの)準男爵に叙された[5]。その息子である2代準男爵リチャード・グロバム・ハウ(1621–1703)と2代準男爵の息子で同名のリチャード・グロバム・ハウ(c. 1651–1730)はいずれも10年以上庶民院議員を務めた[5]。しかし、3代準男爵には子女がおらず、その死後は初代準男爵の次男ジョン・グロバム・ハウ(1625–1679)の長男スクロープ・ハウ(1648–1713)の息子にあたる第2代ハウ子爵エマニュエル・スクロープ・ハウ(c. 1699–1735)が準男爵位を継承した[5]。以降2代ハウ子爵の息子3人が相次いでハウ子爵位と準男爵位を継承したが、1814年に末男ウィリアム・ハウ(1729–1814)が死去すると、ハウ子爵位と準男爵位は継承者がいなくなって廃絶した[5]

コールド・バリックのハウ準男爵(1660年)[編集]

コンプトンのハウ準男爵(1660年)[編集]

出典[編集]

  1. ^ Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 95–96.
  2. ^ a b Cokayne, George Edward, ed. (1903). The Complete Baronetage (1649–1664) (英語). Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. p. 45.
  3. ^ Ferris, John. P. (1983). "Hindon". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月11日閲覧
  4. ^ Watson, Paula; Hanham, Andrew A. (2002). "HOWE, Sir James, 2nd Bt. (c.1669-1736), of Berwick St. Leonard, nr. Hindon, Wilts.". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月11日閲覧
  5. ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1903). The Complete Baronetage (1649–1664) (英語). Vol. 3. Exeter: William Pollard & Co. pp. 123–124.