ノート:GHQ草案手交時の脅迫問題/過去ログ1

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押しつけ憲法論の源流の節について[編集]

全体的には良い内容だと思いますが、この部分だけ「憲法草案を通過させざるを得なかったと推測される」とか「その源流になっている可能性がある」「会議に関する事実が掘り起こされ、真実が究明されることが欠かせないであろう」とか、急に主観的になって違和感があります。こういう表現を入れるなら裏づけとなる出典によるか、できなければ削除した方がよいと思われますがいかがでしょうか。--Mercurius会話2016年3月23日 (水) 10:16 (UTC)

Mercuriusさん、こんにちは。ご指摘を受け、本日、該当の節を書き改め、投稿しました。これでいかがでしょうか。--笈野泉会話2016年3月24日 (木) 09:40 (UTC)【笈野泉 2016年3月24日】

改名提案[編集]

改名の理由は、現行名よりこのように改名した方が、よりページの内容に適切である、と考えるからです。定義は、下記のようになります。

脅迫押し付け説の真偽問題(きょうはくおしつけせつのしんぎもんだい)とは、1946年2月13日にGHQ草案マッカーサー草案)が日本側に手交された時、ホイットニー(GHQ民政局長コートニー・ホイットニー)が「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけた、という主張の真偽に係る問題である。 --笈野泉会話2016年4月24日 (日) 04:02 (UTC)

  • 反対  この名称だと、ページの趣旨がわかりにくくなるような気がします。ただ、「ホイットニー」という名称を出すと、ホイットニー一人に責任があるような名称なので、現名称にも問題があるでしょう。代わりに「GHQ」といった単語を入れてもいいかもしれません。--ミランブラジル会話2016年4月24日 (日) 05:00 (UTC)
ご意見ありがとうございます。ご意見を受け、再改名を提案しようと思います。再改名は「GHQ草案交付時の脅迫問題」というものです。これにつきまして、もしご意見をあれば是非お願いしたいと思います。--笈野泉会話2016年4月24日 (日) 10:47 (UTC)

改名提案(再)[編集]

改名案を当初上記のように考えましたが、意見を受けこのように改名した方が、よりページの内容に適切である、と考えました。定義は、下記のようになります。

GHQ草案手交時の脅迫問題(じーえっちきゅーそうあんしゅこうじのきょうはくもんだい)とは、1946年2月13日にGHQ草案マッカーサー草案)が日本側に手交された時、ホイットニー(GHQ民政局長コートニー・ホイットニー)が「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけた、という事実があったかどうかに係る問題である。 --笈野泉会話2016年4月25日 (月) 01:06 (UTC)

了解。ありがとうございます。--笈野泉会話2016年4月26日 (火) 07:52 (UTC)
コメント 特別:リンク元/ホイットニーの脅迫問題を確認してください。現在ポータル等にもリンクされていますが、記事名そのものが「誤りであった」とする改名ならリダイレクトを作成しないで移動することになります。つまり、改名元であるホイットニーの脅迫問題は赤リンクになります。本件が「ホイットニーの脅迫問題」とも呼ばれるが、メインとして扱うページ名を変えるのであればリダイレクトを置くことになります。現在の合意では「ホイットニーの脅迫問題」という名前で「GHQ草案手交時の脅迫問題」への転送ページが設定されることになりますがその点は問題ありませんか?--アルトクール会話2016年5月4日 (水) 04:37 (UTC)

記事の整理[編集]

この項目を読ませて頂きましたが、正直意味が全くわかりません。 まず、「天皇反対者」から天皇を守るとの記述が芦田日記と白洲手記にあると記事にはあります。 それに対して松本は天皇のperson を保証しないと述べていることをもって「personという表現を用いたかどうかが論点である」という立場で記事が構成されています。

しかし、「天皇反対者」の指す内容はなんでしょうか? よく考えてみてください。 それは「天皇を極東軍事裁判にかけようとする極東委員会の構成国」でしょう? 長いから天皇反対者と書かれているわけだ。

天皇反対者の指す内容を何も考えず、「テンノウハンタイシャ」という意味の無い記号だと思っておけばこの記事を最後まで読むことは可能ですが、天皇反対者の指す内容を少しでも考えてしまった場合、この記事は全く意味不明で何を書いているものなのかさっぱりわからなくなります。

つまり、天皇反対者とは天皇を極東軍事裁判にかけようとする極東委員会の構成国を指すのであるから、天皇反対者から天皇を守るということは天皇を極東軍事裁判にかけざるを得なくなることを防ぐ事そのものを意味しています。

「天皇のpersonを保証しない」ことと「天皇反対者から天皇のpersonを守る」ことは内容として全く違いが無いとしか言えないでしょう。 文学的な違いがあり、表現の美しさや方向性に違いがあるというならそれはそれでWikipedeia外では尊重されるべきなのかもしれませんが、Wikipediaには文学性の違いを記事の項目とすべき方針があるように思えません。

マッカーサーやホイットニーが天皇を極東軍事裁判にかけたかったのかかけたくなかったのかという真意はわかりませんが、発言としては両者とも「極東軍事裁判にかけたくない」との文言があります。 マッカーサーはアメリカ政府宛にも戦犯として扱うなと書簡を送っています。 であるならば白州や芦田の考える天皇反対者とはアメリカ以外の極東委員会の構成国であり、松本の考える「天皇のpersonを犯す者」もアメリカ以外の極東委員会の構成国であり、文学性以外の如何なる違いも見出せないのです。 そもそも同じ閣議で討論された内容が閣議の参加者によって意味すら変わるような事は到底あり得ず、細かい表現の違いしか生まれようがないことを念頭に置いていただきたいです。

これらが対立しているという誤った前提に立って書かれたこの記事は大幅に書直さざるを得ません。 しばらく(1〜2週間)意見を募集した後、根拠のある反対意見が出されなければ抜本的な書き換えを行いないと思います。--会話2016年7月8日 (金) 08:19 (UTC)

この記事ですが、各種の外交資料が公開される以前の段階での解釈が大量に載っており、百科事典として最も肝心な、現代の最新資料における解釈まで全く辿りつけないです。 これでは「GHQ草案手交時の脅迫問題史」という歴史を述べる項目になります。 記事タイトルと全く合致しませんので過去の資料未公開時点の解釈は全て無意味、不要として削除します。--([]利用者‐会話:ૡ|会話]]) 2016年7月9日 (土) 17:04 (UTC)

コメント まず、「しばらく(1~2週間)意見を募集した後に書き換えを行う」と言いながら唐突に書き換えるというのはどういうことですか?--Mirinano会話2016年7月13日 (水) 12:59 (UTC)

松本烝治が聞き違いをしているという検証可能性を満たさない言説が存在するからです。会話ページの議論を見てないのに勝手にリバートしないように。あなたが読解を終えるように議論をする義務はありません。そういえばオープンプロキシでリバートしてたユーザーが投稿ブロックされましたね?これからどんなプロキシや複数アカウントが登場するんでしょうか。--会話2016年7月13日 (水) 18:28 (UTC)

松本烝治が聞き違いをしているという記述は、松本烝治がホイットニーの意図ではなく文言を書き留めた上で、ホイットニーは「天皇のperson」という文言を用いていると主張していたことの出典が無ければなりません。しかし松本烝治が文言を書き留めたこと、「天皇のperson」の文言をホイットニーが使ったとする出典は存在していません。よって検証可能性を満たさない記述は即時全量無警告で削除されるべきものです。方針文書を読んでください。--会話2016年7月13日 (水) 18:36 (UTC)

記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。--会話2016年7月13日 (水) 18:45 (UTC)

2016年7月8日 (金)(6日前) 5:19 pm (UTC+9)時点の私の「1〜2週間待つ」という記述は、「天皇反対者より天皇を守る」と「天皇のpersonを犯す」に相違が無いはずなのに記事中では矛盾しているかのように扱われている点の修正についての問題提起です。この時点では検証可能性を満たさない言説を発見していないので待っています。しかしその後に松本烝治がホイットニーの文言をメモしているわけでは無いことを私の利用者ページで指摘しており、松本烝治が聞き違いをしたということは検証可能性を満たさない言説であると気づいたことを説明しています。この時点で出典の無い記述を全量削除したことの説明は終えています。--会話2016年7月13日 (水) 19:00 (UTC)

3つの論点[編集]

このセクションは「GHQ草案手交時の脅迫問題」の改変へのお尋ねの議論の続きです。 以下では上記会話ページにおいて私が用いた化学の記事を錬金術から記述し始めるというようなことを誰もしていないんですよ。なぜなら化学とは何なのかを知る前に錬金術の歴史なんかを読まされても化学を知りたい人にとってはノイズでしか無いからです。」という比喩の文脈で用いた「錬金術」という比喩を継承しています。--会話2016年7月14日 (木) 07:04 (UTC)

ૡさん、私はあなたに次の2つの質問をしています。

(1)あなたは「当該記事については最新の資料が発見される前の議論は相応しくない」という基準の下に、記事を編集しましたが、その基準はWikipediaの編集方針でしょうか。

(2)原文の定義は「重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけた、という事実があったかどうかに係る問題」としていますが、あなたは「重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけたという問題」と変更して、記事の趣旨を完全に変えています。なぜここまでの編集を何の宣言もなくやってしまったのでしょうか。

 上記の2質問に対し、はっきりした説明を未だ受け取っていません。 (1)に関連してでは、参考にいくつかのガイドライン名を挙げて来ましたが、「当該記事については最新の資料が発見される前の議論は相応しくない」という基準がWikipediaの編集方針だということを示す語句を、それらガイドラインから具体的に示してください。「ページの編集は大胆に」というガイドラインに、「あなたが書いた項目も、誰かが大胆に修正していきます」という一句があります。しかし、「大胆」から「当該記事については最新の資料が発見される前の議論は相応しくない」という基準が導かれるわけではありません。 はっきりした説明がなされなければ、記事を差し戻します。

もうひとつ質問します。ૡさん、(3)あなたは「最新の証拠が脅迫はあった証拠しか存在しない」「脅迫はあったと断定するしかない」と述べていますが、「脅迫」(「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫)があった証拠を示してください。また、あなた以外に、その「脅迫があった」と述べている研究者を、氏名・著作名及び頁数・出版社名・出版年を挙げ教えて下さい。よろしくお願いします。--笈野泉会話2016年7月14日 (木) 04:57 (UTC)

(1)に関して
論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべきです。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません(しかし出典脚注は検証可能性を満たす助けとなります)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
外交資料などが不完全な時代ならいざしらず、現在の時点では全ての当事者が恫喝的言辞について賛同しています。恫喝など無かったと証言する1946/2/13会議の参加者は存在していません。それ故現時点における脅迫的言辞が存在したかということに関しては論争すら存在しません。脅迫はなかったとする証拠が1つも存在しない以上、上記ガイドラインによりその説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。となります。となると、記事名が「GHQ草案手交時の脅迫問題」であって「GHQ草案手交時の脅迫問題論争史」ではない以上、現在も論争が終わっていないかのような言説は全て除去されることになります。
元記事に存在した論争においても「松本烝治が『天皇のpersonという文言をホイットニーが用いた』と主張していること」は検証可能性を満たさないものであるため、錬金術に相当する別記事にさえ書き込まれるべきではありません。もし、ある人が吉田茂や白洲次郎やホイットニーやケーディスに対して「天皇のpersonという文言が用いられたか?」と質問した史実があったとしても、質問したことだけが検証可能であり、松本烝治がそのような主張をしていることは検証可能性を満たさないため、「松本烝治が『天皇のpersonという文言をホイットニーが使った』と主張しているわけではない」という事実も併記しなければ中立的な観点を満たさないと考えます。これはそこまでして何かの記事に書き込むような問題ではありません。特定の錬金術士が他の錬金術士に因縁をつけているような話にすぎないので、錬金術の歴史にさえ書かれるべきではないのです。ある錬金術士が文献を読み間違えて実験に失敗した上に何の発見もできず何も生み出せなかった、程度の事象であり百科事典に書かれるべき特筆性を持たないと考えます。--会話2016年7月14日 (木) 05:31 (UTC)
(2)に関して
WikipediaはGFDLに基づく著作権ライセンスで成り立っており、記入した人は他者に著作物を改変させることを認めなければならないライセンス条件としています。このようなことに同意できないのであれば、GFDL著作物を編集すること自体がライセンス違反となります。すなわち、他者の著作物に変更を加えたり複製したり出来るような立場にありながら、その成果物を他者に利用させないという行動は知的成果のフリーライダーと見做されます。こういうライセンスですので自分の作成した記事の趣旨を変えないでもらう権利というものは最初から存在しておらず、もしも変更するなという強要行為を行うのであればGFDLライセンス違反となり以後編集に関わることは難しくなるでしょう。
記事の内容は記事タイトルから決まるものです。上記GFDLライセンスと相俟って「このようなタイトルでこのような内容にしたい」というような個人的願望は一切顧みられることはないです。もしもタイトルと記事内容が倒錯した文書、つまり元記事のような実際に扱っているものはほとんど既に終わった過去の論争史であるのに、記事タイトルは現在の論争状況であるかのように偽装している、というようなものをこのWikipediaで作成することは不可能と思っておくべきです。記事タイトルと記事内容が整合するように他者から編集されることを拒むような如何なる排他的権利も存在しません。もしもそのような倒錯した文書をネット上に公開したいのであれば、自らが管理できるWebサイト、例えばブログなどに書き込んで公開するべきと考えます。ただし、そのようなサイトを作成したところで誰かが広めなければGoogle検索結果などにも引っかりませんし、誰にも読まれることはないわけです。このWikipediaでは中立的な観点などに基づく一定の品質が担保されているからこそ、様々な人が引用したりリンクを張ったりすることで検索エンジンに対するja.wikipedia.orgドメインの価値が高まっている、すなわちドメインパワーがあるわけです。そのドメインパワーは、公共的な集合知として成り立つように方針文書やガイドラインにより拘束された記事が一定の信頼を得ていることに由来します。ですので、このドメインパワーを利用して多くの人に見てもらおうと企みながら、一方では他者による編集・是正行為を拒絶するという態度で居るのは極めて卑怯であるだけでなく、その卑怯な行為を防止するための方針文書やガイドラインにより徹底的に排除されるであろうと私は考えます。結論を言いますとここWikipediaでは記事タイトルと異なった記事内容を作成しようと排他的に他者からの是正を拒む者の方が排除されます。それはフリーライダーだからです。そのような試みに成功している記事が存在しないことは少し他のWikipediaの記事を見まわってみればわかるのではないですか?それは記事タイトルと記事内容が倒錯したような記事が維持できないようなルールが存在しているからだと考えるのが自然でしょう。--会話2016年7月14日 (木) 05:53 (UTC)
(3)に関して
この質問をなさる前にGHQ草案手交時の脅迫問題 2016年7月14日 (木) 09:47‎版の最新版に目を通していただけるとよかったのですが。まず目を通していただけますか?全てに出典をつけております。
また、ここでの議論を見ている方たちのためにもここにもその出典を再掲しておきましょう。

As you may or may not know, the Supreme Commander has been unyielding in his defense of your Emperor against increasing pressure from the outside to render him subject to war criminal investigation.[1]

It has been asserted that those who recorded Whitney's remarks "were ashamed of the methods employed" by Whitney, in particular, his "threats against the Emperor - against the man - not just the institution - which Hussey in 1958 still wanted Kades and Rowell to conceal from the Japanese Commission on the Constitution."[2]

五、司令部ハ 天皇ヲ支持シ来タリ、本案ハ 天皇制ヲ支持シ 天皇反対者連中ヨリ 天皇ヲ護ル唯一ノ方法ナリ[3]

三、『マクアーサ』元帥ハ豫テヨリ天皇ノ保持ニ付深甚ノ考慮ヲ運ラシツツアリタルカ日本政府カ此ノ如キ憲法改正ヲ提示スルコトハ右ノ目的達成ノ為必要ナリ'之ナクシテハ天皇ノ身体(パーソン、オブ、ゼ、エンペラー)ノ保障ヲ為スコト能ハス[4]

  1. ^ Charles L. Kades, Milo E. Rowell, Alfred R. Hussey, Record of Events on 13 February 1946 when Proposed New Constitution for Japan was Submitted to the Prime Minister, Mr. Yoshida, in Behalf of the Supreme Commander
  2. ^ Charles L. Kades(1989), The American Role in Revising Japan's Imperial Constitution, Political Science Quarterly,  Vol. 104, No. 2 (Summer, 1989), pp. 229
  3. ^ 白洲手記(一) 江藤淳編集『占領史録第3巻憲法制定経過』(講談社)1982年、180-181頁
  4. ^ 松本烝治 「二月十三日会見記略」
--会話2016年7月14日 (木) 06:21 (UTC)

(3)は、「脅迫」(「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫)があった証拠を示してくださいでした。それに対しあなたは、白洲手記の「五、司令部ハ 天皇ヲ支持シ来タリ、本案ハ 天皇制ヲ支持シ 天皇反対者連中ヨリ 天皇ヲ護ル唯一ノ方法ナリ」を提示してきました。この中に「天皇ヲ護ル」と言う言葉があります。なぜこれが、「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」という脅迫の証拠になるのでしょうか。私はまったく理解できません。天皇ヲ護ル=天皇を戦犯裁判にかけるという説明が必要です。説明をしてください。また、吉田茂については、私は出典を示し、「覚えていない。そういうことを言ったとすれば、これは非常に重大だから覚えていなければならんはずだがね」という証言を紹介しました。一方、あなたは、「吉田茂はpersonという文言を用いたかと聞かれてノーと答えたのみで、脅迫がなかったなどとは言っていません」と述べています。「吉田茂はpersonという文言を用いたかと聞かれてノーと答えたのみ」の出典を示してください。それが出来なければ、あなたの主張は「独自研究」になるのではないでしょうか。--笈野泉会話2016年7月15日 (金) 12:44 (UTC)

話をそらすことは不可能です。無駄です。英語で発言した本人が戦争裁判にかけると言っている。threats と言っている。そしてその出典を示している。

As you may or may not know, the Supreme Commander has been unyielding in his defense of your Emperor against increasing pressure from the outside to render him subject to war criminal investigation.[1]

It has been asserted that those who recorded Whitney's remarks "were ashamed of the methods employed" by Whitney, in particular, his "threats against the Emperor - against the man - not just the institution - which Hussey in 1958 still wanted Kades and Rowell to conceal from the Japanese Commission on the Constitution."[2]

どれほど話をそらそうとしても、永久に、執拗に、提示します。白洲の文言に話を変更することは認めません。英語表記かつ発言者本人の記載です。白洲や松本の手記は補助資料に過ぎません。さらに言えば、貴方自身が最初の記事に「脅迫はあったことになる」と明記しています。
「警告」と「脅迫」
松本手記に「天皇ノ身体」とあり、白洲手記にも「天皇のperson」とあり、高柳賢三も、「天皇」ではなく「天皇の一身」という言葉をホイットニーが用いたことはほぼ確定のように思われる、としている[86]。しかし、その意味は、提案した案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかけるぞという意味ではなく、「天皇反対者から天皇のpersonを護る唯一の方法」(白洲)という意味であったが、それが「天皇個人の処遇について脅迫的言辞を弄した」(ケーディス)ように当のアメリカ人自身にも感じられており、「警告」も「脅迫」もあったことになる。
そして最新時点での証拠に基づき脅迫があったと断定した上で、突然過去の時刻の認識であり、この最新証拠を知らない高柳健三の解釈を埋め込んであたかも結論が「想像の延長線上にある」「ホイットニーの脅迫を裏付ける証拠は、松本本人の記録や証言以外には何一つない」などと過去の時刻の人物の認識を埋め込んでおり、結論を混同させようとしています。この行為を、私が生きている限り見逃すことはありません。あなたはもう質問をする権利などありません。今のあなたはこのような時系列操作を行い、結論を偽装しようとしたことについて釈明しなければならない立場です。どうして現在の結論の後に過去の結論を埋め込み結論が曖昧であるかのような時系列操作を行ったのか、釈明してください。私はこの件について一生忘れることはないでしょうし、諦めることもないです。不当な証拠操作を正当化しようとすればするほど、どんどんやる気がわいてきて精密に卑怯な偽装を指摘して行きたくなるだけなのです。無駄な試みを諦めるか、あなたがやったこと全てが晴天の白日のもとにさらされるか。二つに一つです。どういう偽装をやったのかノートにも会話ページにも永久に残りますよ。ここでは言った言わないの問題は存在することすら出来ません。忘れてくれるということもありません。外の世界と同じであるかのように考えておいでなら、逆に不利になると思いますよ。私なら傷を広げるようなことをしないですね。--会話2016年7月15日 (金) 13:57 (UTC)

ૡさん、上記英文の[1]ですが、日本語では「あなた方が御存知かどうか分かりませんが、最高司令官は、天皇を戦犯として取調べるべきだという他国からの圧力、この圧力は次第に強くなりつつありますが、このような圧力から天皇を守ろうという決意を強くしております」と翻訳されております。これを「戦犯裁判にかけると言っている」と解釈する人はよほどどうかしています。また、英文の[2]ですが、原記事をお読みになってください。--笈野泉会話2016年7月16日 (土) 11:38 (UTC)

「吉田茂はpersonという文言を用いたかと聞かれてノーと答えたのみ」ですか?私は立証する必要はありません。なぜならこの発言はあなたが記入した記事で吉田茂に対して為された正確な質問を隠しているため、検証可能性を満たさないということを指摘しているに過ぎないからです。しかも、これはノートページにおけるあなたの検証可能性のなさを指摘しただけですので、私が立証することではありません。吉田茂がなんと聞かれてなんと答えたのか、その答えは松本烝治の主張と同関係有るのか、松本烝治の正確な主張な何なのか、全て明らかではないから何も立証されておらず証明責任は果たされておらず検証可能性のない言説であることを指摘しているに過ぎません。立証責任の転換を行おうとしても認めません。出典のない検証可能性のない記述が除去された、あなたは未だに検証可能性がないことを指摘されたのに出典を提示できていない、それだけの話です。私に何かを問う資格はないです。
記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません。--会話2016年7月15日 (金) 14:55 (UTC)
吉田茂に対して正確になんという質問をしたのかという文言、松本烝治がなんという主張をしたのかという文言、それが一致するかという評価についてはあなたに証明責任があります。私はそれを指摘しているだけなので何も立証する必要はありません。検証可能性を満たさない言説を除去する側には何も証明する必要がありません。ましてやここはノートページであり記事本体ではないのでこのページの全記述において検証可能性は求められていません。証明責任の転換をしようとしても無駄です。--会話2016年7月15日 (金) 15:16 (UTC)

決定的証拠[編集]

ૡさん、吉田茂の証言について詳しく述べます。

記事の「ホイットニー、ハッシー、ラウエルの証言」の節です。

渡米調査団は、「天皇ノ身体」問題に関しては、次のような調査項目を携えてアメリカで調査に当たった。

〔10〕1946年2月13日の会談。

(3)総司令部側が、草案を手交した時に、ホイットニーが「もしこの草案を受諾しないならば天皇のパースンを保障しない」と述べたと伝えられているが、このような事実があったのか。また、もしこれが事実であるとしても、それは、日本側に対する「圧力」としてであったのか。それとも国際情勢の緊迫性を強調したものであったのか。更にそれは、天皇の極東裁判への喚問問題と関係していたかどうか(『小委員会第18回議事録』、15ページ)。

第18回制定委で高田委員から報告された調査結果は、次のようなものであった。

「ホイットニーはその〔高柳〕会長宛の書簡において、天皇の身体について言うたにしても、それは天皇制、天皇の身体が客観的に危険な状態にあることについて述べたのであったといっている。

ハッシーはこう言っております。覚えていない、しかしそのときの危険な国際情勢を指してそういうことを言ったということは可能である。現にソ連その他はそのようなことを強調していた。そういうことをいったとしても、それは事実を指摘したものであって脅かしとは思わない。またその席にいた日本側の長谷川がそれを覚えていないというのは興味深いことではないか。」

'ૡさんここで、記事には書いていないこの後のやりとりをご紹介しましょう。

矢部副会長 長谷川というのは・・・。

高田委員 外務省の通訳官です.2月13日の席に日本側から立合った人のひとりです。

矢部副会長 あなたたちが会われたのですか。

高田委員 それはわれわれが、こちら側で聞いたんです。そういうことを聞いていったが、 長谷川も覚えていないそうだがと言ったときに、ハッシイなんかが、長谷川が覚えていないならおかしいじゃないか、そういうふうなことを言ったんです。

矢部副会長 長谷川さんにあって聞かれたんですか。

高田委員 長谷川氏に会って聞いたわけじゃない。

高柳会長 それはインフォーマルに大友君が長谷川氏に会って聞いたのです。もう一つ付加えておきますと、吉田さんに会って話をしたんですが、松本さんがこう言った、あなたは覚えておられるかというと、いや覚えていないというんです。そういうことを言ったとすれば、これは非常に重大だから覚えていなければならんはずだがね。と言っておりました。

吉田茂の「覚えていない」は、総司令部側が草案を手交した時に、ホイットニーが「もしこの草案を受諾しないならば天皇のパースンを保障しない」と述べたと伝えられているが、このような事実があったのか、という問いに対して「覚えていない」と答えているのは、文脈上明らかです。吉田茂は、「personという文言を用いたか」と聞かれてノーと答えたのみ」というあなたの主張は、史実に反する虚偽の主張です。虚偽の主張は一刻も早く止めて下さい。そして、「差し戻し」などの手段を講じられる前に、ૡさん自らの意志で原記事に復されることを衷心より希望します。--笈野泉会話2016年7月16日 (土) 11:38 (UTC)

これは完全に典型的な独自研究ですね。高田は「松本さんがこう言った、あなたは覚えておられるか」と質問したという文言は存在するが「こう言った」の内容が明らかにされていないため、吉田茂が何に対して答えたかが全く不明です。「文脈上明らか」ではありません。
また、長谷川手記を見ておりますが長谷川手記は一番精度が低いです。2月13日のメモが公表されている参加者7人のうちただ1人だけ「米国内部の強烈な反対を押し切り」とおかしな解釈をしています。この長谷川の解釈は非常に質が低いですね。極東委員会の動向を聞いていれば「天皇反対者」にあたる存在が米国内部の勢力であると思い込むことはありえないんですね。また、幣原が2月21日にマッカーサーと会見した時にもこの天皇反対者にあたる勢力は極東委員会のソ連やオーストラリアであるとマッカーサーが伝えています。確かに興味深いことですね?所詮はただの翻訳官だから内閣や白洲次郎が触れているのと同じレベルの情報を持っていないのでホイットニーの話を聞き取れていないということに過ぎません。質の低い情報や認識しか持っていない人物の認識を用いていて印象操作を図ろうというのであれば、決定的なものを記事に入れるしか無いですね?あなたが何もしなければよかったのにあがこうとするからこんなことになってしまったんですよ。私は今からこの内容を記事に入れます。そして、「脅迫するつもりはなく客観的な状況を伝えただけだ」という特定の時期のアメリカ側参加者たちの認識も政治的に操作された虚偽であると証明してさし上げましょう。

これがその決定的な証拠になります。

Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946, Alfred Hussey Papers; Constitution File No. 1, Doc. No. 4[編集]

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SECRET

Summary Report on Meeting of the Goverment Section, 4 February 1946

I General Whitney opened the meeting with the statement that in the next week the Government Section will sit as a Constitutional Convention. General MacArthur has entrusted the Government Section with the historically significant task of drafting a new Constitution for the Japanese people. Three principles, ontlined by General MacArthur must be basic in the Government Section's draft. They are:

I The Emperor is at the head of the state and his succession is dynastic. But his powers will be exercised in accordance with the Constitution and responsive to the will of the people as provided therein.

II War as a sovereign right of the nation is abolished. As an instrumentality it can no longer be exercised neither for the settlement of disputes nor for the preservation of Japanese security. No armed forces will ever be authorised and no rights of Japanese belligereney will ever be conferred upon any Japanese force. Japan must rely upon the higher ideals now abroad in the world for its defence.

III Feudalism is ended in Japan. No rights of peerage exept those of the Imperial Family will extend beyond the lines of those now existent. No patent of nobillity henceforth will embody within itself any National or Civic power of government.

General Whitney wishes to have the Government Section's draft of the new Constitution completed, and approved by General MacArthur, by February 12. On that day General Whitney will meet with the Foreign Minister and Japanese Government officials for an off-the-record discussion of their constitution draft. General Whitney expects this draft to be strongly rightist in tone. He intends to convinces the Foreign Minister and his group, however,

that the only possibility of retaining the Emperor and the remnants of their owm power is by their acceptance and approval of a Constitution that will force a decisive swing to left. General Whitney hopes to reace this decision by persussive arugument; if this is not possible, General MacArthur has empowered him to use not merely the threat of force, but force itself.

It is intended that the Foreign Minister and his group will reorient and change their own constitutional proposals to fit our demand for a liberal Constitution. When this has been done, the finished document will be submitted by the Japanese to General MacArthur for approval. He will accept this Constitution as the work of the Japanese Government and so promulgate it to the world.

Points in Open Discussion

In drafting the Constitution, the Government Section will follow the existing Japanese Constitution for structure, heading, etc.

The proposed Constitution should not be over-burdened by details but explicit controls should be put in, if deemed necessary to protect the fundamental rights of the people.

The powers and rights of the Emperor were precisely defined and guarded in the present Japanese Constitution; this pattern must be be reversed in our draft. The new constitution prebebly should be less flaxible than the British, for the British have no single cardinal definition of the constitional rights, but less precisely drawn-up than the French. In drafting the new Constitution our emphasis shoulod be upon placing sovereignty squarely inthe hands of the people; the Emperor's role will be that of a social monarch, merely. No explicit mention need to be made of the United Nations Charter, but the principles of the Charter should be implicit in our thinking as we draft the Constitution.

Working Arrangements.

1. Absolute secrecy must be maintained in all aspects of this work.

2. A code name is to be used for this operation.

3. All drafts, notes, etc. used in this work are classified as "Top Secret".

4. Work is to be organized in terms of small working sub-committees; work of the sub-committees is to be integrates by over-all or steering committee.

5. A tentative draft is to be ready by the end of the week.

TOP SECRET

これはGHQ草案作成するべくマッカーサーに下命されたホイットニーが1946年2月4日にGHQで開いた会議の議事録です。太字・赤字部分を御覧ください。もう、2月13日会談で吉田茂が覚えていないとかそんなことは全くどうでもいいんですよ。特筆性がない。なぜなら、憲法起草チーム全員に対してホイットニーは明確に天皇の身柄を盾にとった脅迫を行うことだけではなく、実際に強制力行使を行う権限をマッカーサーから与えられていると説明しているからです。この文書はハッシー文書・ラウエル文書としても知られていて、憲法起草チームの全員が持っているコピーです。つまり、ケーディスが「脅したつもりはない」と過去に答えたことも嘘ですし、その後からケーディスが「実は恫喝的言辞はあったが、それは弁護士のように客観的状況を伝えたに過ぎない」ということすらも嘘なのです。GHQ草案手交時における脅迫問題ですが、脅迫問題ではありませんでしたね。脅迫も実力行使もあらかじめ作戦計画として文書化されていた。マッカーサーがホイットニーに与えた権限内容を記した命令書も探せばあるんじゃないですかね?傷を広げるだけだと申し上げたはずです。無駄に足掻かなければこういうものを出されずに済んだでしょうに。誰が覚えていたとか、誰が調査したとか、そんなことはもうどうでもいいのですよ。こちらをわかりやすい形にして記事本文に追記していく予定です。もう出来ることはありませんよ。--会話2016年7月16日 (土) 16:16 (UTC)

さらに、このような表も作成しております。あなたが結論を偽装しようとするために何をやっているかを、第三者に対しても一目瞭然とするためです。

日時 Whitney Kades Rowell Hussey 松本 白洲 長谷川 2次資料
1946/2/13 × × × × × × ×
1954
1955 佐藤達夫「日本国憲法成立史」〔2〕『ジュリスト』第82号(有斐閣)、1955年5月16日号
1956 [3]
1957 『憲法調査会第5回総会議事録』(憲法調査会)1957年11月6日
1960 東京大学占領体制研究会『松本烝治氏に聞く』(憲法調査会事務局)1960年
1964 [4]
1966 [4]
1972 高柳賢三・大友一郎・田中英夫編著『日本国憲法制定の過程』I(有斐閣)1972年
1976/5/1
1981 × [5] 古森義久-Kadesインタビュー [5]
1982 江藤淳編集『占領史録第3巻憲法制定経過』(講談社)
1989
1993 『法律時報』65巻6号 Kades論文の和訳
2024

憲法調査会とか高柳とか資料公開されてないときの不要な情報を書き込むのはやめてください。私が上に挙げた強制権限にすら言及していない、調査や研究として極めて価値が低いものです。1964年辺りからこれが公開されているので、言及していないというのは怠慢かデマゴーグかのいずれかに過ぎません。--会話2016年7月16日 (土) 16:29 (UTC)


もう無駄なことは止めにしませんか?私は上記参考文献の全文を保有しておりますし、江藤の占領史録も購入して手元にあります。この本は白洲手記や長谷川手記も載っていて有用ですからね。よって、あなたの最初の記事がどれだけ恣意的に原典の意味を変えるような記事を作成したのか、全て把握しております。上記4文献、文言を本記事に出典付きで記載した以上、これは永久に除去できません。出典のある記述かつ記事タイトルの事実の存在を証明するのに必要な出典を除去できる方針が存在しないからです。和訳ものは恣意的に翻訳されている可能性もあるため、全て英語の原典にあたってチェックしております。公開された真実を変更することは不可能なんですよ。この試みが必ず徒労に終わる事をあらかじめ言っておきます。なぜ徒労に終わるか?それは、これらの発言録・証言が非公開であった過去の歴史と、公開された時期を比べればわかることと思います。すなわち、実態が発覚したら必ずや憲法改正の方向に動くことはどの日米当局者も把握していた。新証拠の開示は日米当局者の政策意図によって行われているものであり、その証拠能力を民間人がこねくり回してどうにかなるものではないのです。全ては政治目的で為されているとお考えください。白洲次郎は1946/2/13に「原子力の日光」発言をされたことは米国側の証言により間違いありません。しかし白洲次郎はいっさいこの原子力日光発言を口外していません。その理由はおそらくこうでしょう。白洲次郎は著書「プリンシプルの無い日本」ではっきりとGHQの押し付けであると繰り返しています。しかし、憲法制定過程の当時の言動としては、常にGHQ草案がスムーズに通るような方向で動いています。その理由を白洲は「どんな経緯であれ良い憲法ならばいいではないか」と言っています。つまり白洲次郎の政治的態度は、大日本帝国憲法は速やかに廃止してGHQ由来の憲法に移行することは正当化すべきだが、GHQ憲法の強制性・非自主性についてはある程度アピールをする。そのアピールによりなるべく早く自主憲法制定に向かうべきだと考えてるのではないかと私は推測してます。では、なぜ白洲次郎は「原子力の日光」発言を口外していないのか。白洲次郎はこの言辞の効果を知っているからだと思います。もし「原子力の日光」発言と「天皇を戦争裁判にかける」発言を白洲次郎が問題化したとすると、自主憲法を徐々に制定するどころか日本国憲法無効論が起こることは必至です。白洲はそこまでの結果は望んでいないために開示する情報を選んでいるのでしょう。吉田茂が覚えていないととぼけるのも、ケーディスが覚えていないとぼけたのも、政治的な理由によるものでしょう。しかしそれだけ配慮が必要だと思われていた全証拠が現在ではくまなく開示されている。朝鮮戦争が終わり、冷戦が終わり、その都度証拠が開示されてきた。その目的は言うまでもないでしょう。証拠の力をなくそうなどという徒労よりも、この情勢の意味をしっかり紹介するような記事を書いてみてはどうですか。錬金術を用いて化学を否定することなど、百万言を費やしても出来る見込みのない徒労でしかないでしょう。もしも日米情勢の変化と開示証拠の対比をしているような研究などを引用しながら客観的に歴史を記述していくならば、その記事は大変有益ななると思いますし、私も建設的な記述に貢献しましょう。その際には下のセクションにあるような記事バランスを参考にするよう提案いたします。しかし、既に存在する確かな証拠の価値を貶め、記事タイトルとは異なる印象操作をこれ以上続けようと言うのならば、私は容赦しません。真実と、それに気づいた者の考えを打ち砕くことは不可能です。--会話2016年7月14日 (木) 08:58 (UTC)

ૡさん、「もう無駄なことは止めにしませんか?」というあなたのご提案、大賛成です。もう止めにしましょう。ひとつ感想を述べさせて貰うと、あなたとノートで何度か議論いたしましたが、私の質問「あなた以外に、その『脅迫があった』と述べている研究者を、氏名・著作名及び頁数・出版社名・出版年を挙げ教えて下さい」に対して、何かしら理屈をつけて一切正面から答えて頂けなかったことを遺憾とします。--笈野泉会話2016年7月17日 (日) 10:15 (UTC)

It has been asserted that those who recorded Whitney's remarks "were ashamed of the methods employed" by Whitney, in particular, his "threats against the Emperor - against the man - not just the institution - which Hussey in 1958 still wanted Kades and Rowell to conceal from the Japanese Commission on the Constitution."[1][2]

このケーディスの論文を最初に提示していますね?これから逃げたのはあなたですね。なぜ逃げたのか解答してください。また、過去の資料を用いて結論を偽装した件について釈明してください。--会話2016年7月17日 (日) 10:41 (UTC)

当記事が採用するべき構造・配置・分量について[編集]

記事名 当記事現状
化学 GHQ草案手交時の脅迫問題 優先順位 記述
概説 化学とは何か 草案手交時に脅迫的言辞が存在したこと 第1位 不可欠
詳細 化学#化学で扱う基本的なこと

化学#主な化学の分野

1946/2/13に起こった出来事 第2位 情報があるならば不可欠
歴史 古代~

錬金術

近代化学

1946/2/13に脅迫的言辞が

なされたかどうかという論争史

第3位

有っても良いが無くても良い。

ただし記述が第1位~第2位の可読性を損なう配置、分量であることは認められない

×

以上のことから、資料が存在しない時代の論争は当記事末尾に僅かに書く程度が相当であり、長くなるならば「歴史」を扱う別記事にするべきと考えます。また、元記事に存在した論争においても「松本烝治が『天皇のpersonという文言をホイットニーが用いた』と主張していること」は検証可能性を満たさないものであるため、錬金術に相当する別記事にさえ書き込まれるべきではありません。もし、ある人が吉田茂や白洲次郎やホイットニーやケーディスに対して「天皇のpersonという文言が用いられたか?」と質問した史実があったとしても、質問したことだけが検証可能であり、松本烝治がそのような主張をしていることは検証可能性を満たさないため、「松本烝治が『天皇のpersonという文言をホイットニーが使った』と主張しているわけではない」という事実も併記しなければ中立的な観点を満たさないと考えます。これはそこまでして何かの記事に書き込むような問題ではありません。特定の錬金術士が他の錬金術士に因縁をつけているような話にすぎないので、錬金術の歴史にさえ書かれるべきではないのです。ある錬金術士が文献を読み間違えて実験に失敗した上に何の発見もできず何も生み出せなかった、程度の事象であり百科事典に書かれるべき特筆性を持たないと考えます。--会話2016年7月13日 (水) 23:06 (UTC)

また、元の記事を8割以上削除した云々の指摘がありましたが、そもそも化学における錬金術士の失敗程度の小話が8割以上先に書かれていて、肝心な「化学とは何か」を読ませてもらえず最後尾に配置しているという記事タイトルと内容があまりにも一致していなかった元記事の異常性のほうについて問われるべきと考えます。もし、化学の項目で錬金術士のいさかい事を延々と記述し、肝心の「物質は原子から出来ている」まで辿りつけないようにしている記事であれば、極めて不自然な意図のもとに作成されたものと捉える他ありません。これが除去されるに際しての抗弁はミスリードを図ろうとする部位がどれだけの分量であろうとも何の正当性も持たないのです。--会話2016年7月13日 (水) 23:43 (UTC)

コメント 笈野泉さんにお呼びしていただいたのですが、正直、私はこの分野にはあまり詳しくありません。なので、一閲覧者の目から読ませていただきます。まず、導入部は、真偽がはっきりしないのであれば、「GHQ草案を押しつけたという問題」は「とされる問題」、「原爆の使用を想起させる恫喝的言辞を用いた問題」は「用いたとされる問題」に変えた方が良いと思います。また、節の題が百科事典的ではないため(主観にもよりますが、私はそう思います)、これも改善した方が良いでしょう。
また、ૡさんの編集によって、無関係な部分が縮小され、大幅に記事が短縮さえ、見やすくなりました。一方で、やや削り過ぎた感もあるので、タイトルが「脅迫問題」である以上、一部(脅迫節に直接関係がある部分など)は残しても良いかも知れません。以上です。コメントさせていただいた笈野泉さん、記事の改善に尽力していただいたૡさん、ありがとうございました。--ミランブラジル会話2016年7月14日 (木) 08:53 (UTC)

コメントありがとうございます。端的に述べますと、脅迫的言辞があったかどうかはっきりしないのは過去の時代における話です。現在までに公開されている証拠からして、脅迫問題があったかどうかという論争は存在し得ないと思います。言った側も言われた側もともに脅迫的と認めているのですから。もし、過去に脅迫問題があったかどうかという内容を記述したいのであれば、「脅迫問題の歴史的経緯」などの記事タイトルにするべきですし、記事タイトルが現在の脅迫問題を指すのであれば、そこには言った言わないの問題は存在しないのです。言ったし、言われたのです。節のタイトルや構成については徐々に改善していけたらと思います。複雑な歴史的経緯があったとして、記事末尾に記事本体(現状の事実)を超えない量程度を記載することには反対ではありません。それ以上長い記載を行いたいのであれば、「脅迫問題の歴史的経緯」などのタイトルを持つ別記事を作成していただければ何の問題も生じないと思われます。ただし、本記事を消去・改名して「歴史問題」の記事に作り変えようと言うのであれば反対します。現在の事実すら記事作成されていないのに過去の歴史のみの記事が作られるというのは意味がわかりません。--会話2016年7月14日 (木) 09:15 (UTC)

議論内容の要約[編集]

議論の始まりは、2016年7月8日に遡ります。この日、ૡさんは記事のノートに「読ませて頂きましたが、正直意味が全くわかりません」「しばらく(1〜2週間)意見を募集した後、根拠のある反対意見が出されなければ抜本的な書き換えを行いないと思います」旨の書き込みをしました。ところが、1〜2週間とあるに拘わらず、2日後の7月9日から記事の編集が開始されました。1回目は「二人の記録には、松本の言う「天皇の身体(パーソン・オブ・ゼ・エムペラー)」発言がどこにも記録されていなかった。それで、それは松本の聞き違いであったことが日本側からも証明されたのである」という記述の削除でしたが、引き続き記事の83パーセントに及ぶ大幅編集が行われました。7月9日だけで9回に及ぶ編集投稿が実行されております。

次いで翌10日には、次のように記事タイトルの定義の書き換えが実行されました。

(原記事の定義) GHQ草案手交時の脅迫問題(じーえっちきゅーそうあんしゅこうじのきょうはくもんだい)とは、1946年2月13日にGHQ草案(マッカーサー草案)が日本側に手交された時、ホイットニー(GHQ民政局長コートニー・ホイットニー)が「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけた、という事実があったかどうかに係る問題である。

(変更後の定義) GHQ草案手交時の脅迫問題(じーえっちきゅーそうあんしゅこうじのきょうはくもんだい)とは、1946年2月13日にGHQ草案(マッカーサー草案)が日本側に手交された時、ホイットニー(GHQ民政局長コートニー・ホイットニー)が「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけたという問題、ホイットニーが白洲次郎に対して「我々は原子力の日光を楽しんでいるところだ」と原爆の使用を想起させる恫喝的言辞を用いた問題を指す。

これは原記事の定義が「事実があったかどうかに係る問題である」としているのに対し、変更後の定義では「重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけたという問題、ホイットニーが白洲次郎に対して「我々は原子力の日光を楽しんでいるところだ」と原爆の使用を想起させる恫喝的言辞を用いた問題を指す」となっており、原記事の趣旨を完全に失わしめています。

この編集を実行したૡさんに対し、このような大幅編集を実行した理由を尋ねたところ、

「当該記事については最新の資料が発見される前の議論は当該記事内容として相応しくないと考えます」という回答でした。 そこで私は、7月13日、定義変更をして記事の趣旨を完全に変えたことにつき、なぜここまでの編集を何の宣言もなくやってしまったのかの説明を求め、もし1週間以内にはっきりした説明がなされなければ、記事を差し戻す旨の書き込みをしました(以上は、利用者‐会話:ૡで議論)。

以後は記事のノートにて議論しています。 しかし、納得の行く回答がないため、7月14日に下記の3つの質問を行い回答を求め、はっきりした説明がなければ記事を差し戻す旨を再度投稿しました。

(1)あなたは「当該記事については最新の資料が発見される前の議論は相応しくない」という基準の下に、記事を編集しましたが、その基準はWikipediaの編集方針でしょうか。

(2)原文の定義は「重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけた、という事実があったかどうかに係る問題」としていますが、あなたは「重大な脅迫をしてGHQ草案を押しつけたという問題」と変更して、記事の趣旨を完全に変えています。なぜここまでの編集を何の宣言もなくやってしまったのでしょうか。

(3)あなたは「最新の証拠が脅迫はあった証拠しか存在しない」「脅迫はあったと断定するしかない」と述べていますが、「脅迫」(「この草案を呑まなければ天皇を戦犯裁判にかける」といったような重大な脅迫)があった証拠を示してください。また、あなた以外に、その「脅迫があった」と述べている研究者を、氏名・著作名及び頁数・出版社名・出版年を挙げ教えて下さい。

これに対するૡさんの回答は、

(1)については、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。信頼できる出典によって反論や論争なきものとされた事実の主張であれば、一般的にウィキペディアの意見として記述されるべき」というもの。

(2)については、「WikipediaはGDFLに基づく著作権ライセンスで成り立っており、記入した人は他者に著作物を改変させることを認めなければならないライセンス条件としている」というもの。

(3)については、自分が編集した7月14日付の記事を示して来ました。

私としては、いずれもはっきりした説明とは思われない回答です。 そして、7月14日に至り、IP利用者とૡさんとの間で編集合戦が開始され、その結果、現在、記事は「荒らしや編集合戦などのため」編集保護されている状態です。記事の編集保護は本意とするところではありません。しかし、当事者間だけでは、意見が対立し膠着状態に陥っておりますので、ૡさんと合意を形成すべく、第3者の方のコメントを依頼する次第です。--笈野泉会話2016年7月19日 (火) 04:58 (UTC)

本案件を引き起こした利用者:ૡ会話 / 投稿記録 / 記録 / CA / gucですが、現在「Wikipedia:投稿ブロック依頼/ૡ」により審議中です。議論内容を見る限り、かなり問題のあるユーザーと指摘されており、無期限ブロックとなる可能性が非常に高く、改善等は期待できないのではないかと思います。なお、本記事に対し保護解除依頼が出されていたが、当方からは反対意見(保護「継続」票)を投じておきましたことを報告します--Runrun 923(TalkContLog) 2016年7月19日 (火) 12:06 (UTC)


コメント GHQ草案手交時に、GHQ側がどのような話をしたかが冒頭にないと、何の話だかわかりにくい。公式記録に残っている話なのだから、本当か嘘かを問う必要も無く、記録上はこうなっていますよということを示せばよいだけです。ૡさんの提案にあるように冒頭部でGHQの発言を提示する方がよいと思います。他は、、、対話になっていない感じなので参考にならないと思い読み飛ばしてます。考慮してません。

もっとも、内容を脅迫にだけ限定するよりも『日本国憲法成立の過程』『日本国憲法制定の過程』にでもして、内容を再考したほうがいいんじゃないですか。--Bellis会話2016年7月21日 (木) 15:39 (UTC)

Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946の扱い[編集]

  • Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946[3]についてですが、これは1946年2月4日にGHQ民政局内部でおこなわれたミーティングの記録であって、これを2月13日の日本側とのミーティングにおける発言史料として持ち出すのは短絡でありおかしいわけです。2月4日のGHQ内部での会議資料をもちだして「それみろこれが日本を脅迫した明白な証拠だ」とはできないわけです(日本側にはそのようには提示していないかもしれない)。とりあえず関係ありそうな史料を発見したから放り込んでおけには賛同できかねます。慎重にやってください。--大和屋敷会話2016年7月20日 (水) 15:48 (UTC)
  • 2月13日のミーティングで脅迫があったという根拠はノートの上の方の節で既に提示されているようですよ。

As you may or may not know, the Supreme Commander has been unyielding in his defense of your Emperor against increasing pressure from the outside to render him subject to war criminal investigation.[1]

It has been asserted that those who recorded Whitney's remarks "were ashamed of the methods employed" by Whitney, in particular, his "threats against the Emperor - against the man - not just the institution - which Hussey in 1958 still wanted Kades and Rowell to conceal from the Japanese Commission on the Constitution."[2]

一つ目の資料は2月13日のミーティング内容を文書化して吉田茂宛に送付したものですね。二つ目の資料はこの会議に参加したケイディスが天皇個人の身柄を恫喝するやり方を採ったことを恥じていると述べたものですね。--59.171.236.218 2016年7月21日 (木) 02:51 (UTC)

  • いえいえ、脅迫があっただのなかっただのそういう検討や検証をしているわけではありません(wikipediaはそういう「研究」をする場所ではありません)。wikipedia記事の執筆における文脈構成がおかしいのではないですか、という観点です。2月4日のGHQ内部での会議資料を執拗に持ち出しても、wikipedia当記事の執筆上、仕方が無いでしょうという話しをしているのです。そんなものを持ち出されても「それみろこれが日本を脅迫した明白な証拠だ」というwikipedia編集者による「暗示」効果でしかなく、文脈に整合しません。せいぜい「2月4日GHQ内部で憲法改正に関する基本方針が検討され、そのなかで脅迫的態度をもって接する権限が与えられていることが確認されていた(出典)。」程度の話しじゃないですか。--大和屋敷会話2016年7月21日 (木) 04:14 (UTC)
    • まず議論のために2月4日ミーティングの議事録を示しておきます。

      that the only possibility of retaining the Emperor and the remnants of their own power is by their acceptance and approval of a Constitution that will force a decisive swing to left. General Whitney hopes to reach this decision by persussive arugument; if this is not possible, General MacArthur has empowered him to use not merely the threat of force, but force itself.[3]

    • 当の2月13日ミーティングに出席したケイディス自らが脅迫したことを恥じると述べているわけですから、ケイディス自身が検証を終えているのでしょう。そのケイディスの検証が2月4日の会議録によっても裏付けられるという位置づけかと存じます。特にケイディス自身による検証論文[2]においてはこの問題がケイディス自身の様々な調査によって明らかにされておりますから、一度お読みになることを推奨します。資料を読んでいただけないと位置づけがわからないかと存じます。Read Online(Free)を辿って適宜登録くださればどなたでも無料で読めるようになっている論文かと存じます。2月13日ミーティングでは脅迫は有った、その脅迫の背景は2月4日のホイットニーが付与されていた権限に基づいている。このように記載すれば問題が生じないかと思いますがいかがでしょうか?
    • 資料の構成としては
  1. 2月13日ミーティングの記録で天皇個人への脅迫が行われたと記載されていること[1]
  2. 後年のケイディスによる検証論文で2月13日ミーティングにおいてホイットニーが脅迫的手段を用いたことを記述したこと[2]
  3. 2月4日のGHQミーティングにおいて天皇個人への脅迫・強制力行使をマッカーサーから許可されていたことを職員の前で話したとエラーマンのタイピングした議事録に記載されていること[3]
    • というものになるかと思います。この記事の冒頭に書かれるべきは[1]であり、その傍証として[2][3]が来る、このような構成に問題がありますでしょうか?

--59.171.236.218 2016年7月21日 (木) 05:17 (UTC)

  • いやいや、史料についてはかまわないんですよ。それをwikipedia上でどう記述していくかという「体裁」の話しをしているのです。当記事は2月13日を起点に時系列で解説しており、まあ百科事典の体裁として読みやすくなっておるわけです。ですので2月4日ミーティングの議事録は「脅迫説の検証」節で触れるのが適切なんじゃないんでしょうか。じっさい2月4日議事録が出てきたのは1946年よりずっと後の話しなのでしょう(分かりませんが)?この2月4日議事録を起点に執筆を開始するとなると、「松本が脅迫と受け取った1946.2.13→内閣等へ報告→憲法制定→1954年に経緯を紹介→押し付け論の流布」という松本視点・松本基点での解説を、「マッカーサーの指示→1946.2.4ミーティングでの確認→19416.2.13会議→内閣等へ報告→以下同様」と、マッカーサー・ケーティス基点から起筆しなければならなくなり、このばあい外部の信頼できる二次情報で十分に補填できるのかという懸念があるわけです。--大和屋敷会話) 2016年7月22日 (金) 01:57 (UTC)それと、どうも安直に1946.2.13[4]に1946.2.4[5]を組み込んでしまっているように思います。2.4ミーティング[6]はあくまでGHQ内部での議事であり、現実に「脅迫」があったとされるのは2.13ミーティング[7]ですので2.13を原史料として記述すべきでしょう。なぜとならばGHQ内部では脅迫する権限が与えられていると確認されていたとしても(1946.2.4)、現実には2.4ミーティングで確認された「文言のとおり」2.13日に発言しているわけではなく、じっさいは2.13[8]に記述されているように言明されたわけですので。--大和屋敷会話2016年7月22日 (金) 02:18 (UTC)

現在、脅迫「説」というものは存在しないので脅迫説の検証という項目自体が不要でしょう。 この記事は歴史を述べる項目ではないのでまず項目名の具体的事実を提示しなければなりません。その後に、過去には脅迫があったかどうかという論争が存在したこともあるという書き方となります。

  1. まず2月13日ミーティングの記録[1]を提示します。その解釈は二次資料[2]により脅迫であったと明記します。その背景には2月4日ミーティングの議事録[3]におけるマッカーサーが付与した権限があると述べます。この節は記事タイトルの事実を提示し、その根拠となる出典を示す以外のことをしてはなりません。立証も検証もしてはなりません。この節は事実の提示に要するあらゆる最新の資料を矛盾なく用いなければならず、編年体で書かれてはなりません。
  2. 次に脅迫があった事実は過去には論争があったという歴史を紹介します。この節からは編年体で書くべきでしょう。この節は編年体では書かれますが、独自に検証をしてはなりません。しかしケイディスの検証論文[2]では過去の論争が非常によく整理されていますから、ケイディスの論文のみに基づいて編年体の論争史を記述することにより非常にすっきりすると思います。この節の二次資料は大量にあります。なぜならば憲法制定過程がGHQ主導であることは日本にとってはタブーだったのかもしれませんが、世界的にはそのようなことはタブーとは思われていないからです。様々な著者によるあらゆる二次資料が存在します。

以上の1と2は混在してはならず、混在させることにより恰も現在も論争があるかのように見せかける行為は認められないでしょう。このようにWikipediaの方針に沿った書き方にするためにはこの記事の現在のバージョンは最初から書き直すしか無いと思います。松本烝治のくだりは過去の論争史でも数行しか書くべきではないでしょう。現状はバランスが著しく悪いです。

  1. ^ a b c d Charles L. Kades, Milo E. Rowell, Alfred R. Hussey, Record of Events on 13 February 1946 when Proposed New Constitution for Japan was Submitted to the Prime Minister, Mr. Yoshida, in Behalf of the Supreme Commander
  2. ^ a b c d e f Charles L. Kades(1989), The American Role in Revising Japan's Imperial Constitution, Political Science Quarterly,  Vol. 104, No. 2 (Summer, 1989), pp. 229
  3. ^ a b c d Summary Report on Meeting of the Government Section, 4 February 1946, Alfred Hussey Papers; Constitution File No. 1, Doc. No. 4

--59.171.236.218 2016年7月22日 (金) 07:33 (UTC)

  • どうもあなたおかしいですね。利用者:ૡさんじゃありませんか?このような閑散とした記事で同じような主旨で投稿なさっていることを考慮すると利用者:ૡさんでしょう。すでに警告しているように、ブロック逃れは事態を悪化させるだけですので、このような行為は控えて頂くようお願いいたします。--大和屋敷会話2016年7月22日 (金) 14:05 (UTC)
    • 指摘のIPですが、当方で管理者伝言板に通報した上で、1週間のブロック措置となっています。しかし、記事本体の状況、そしてノートへの執拗なブロック逃れ議論等を鑑みると、本体記事の保護自動解除後に再び編集合戦や問題投稿が再発する懸念を強く感じております。場合によっては、(無期限を含む)記事の編集半保護措置も必要になってくると思います。--Runrun 923(TalkContLog) 2016年7月25日 (月) 01:47 (UTC)
  • コメント 議論の内容を拝見させていただきました。とりあえず、事態の収拾として下記を提案いたします。
  1. 記事の冒頭:「論争がある」の後、脅迫があるかどうかの学界の定説を書く(定説がないならないと書く)。
  2. 論争の歴史:編年体で全て出典つきで書く。
  3. 「まとめ」の節:正直、ウィキペディアで書くべきでないかもしれません。ただし、検証の論文などの紹介(およびその内容の概要)は認める。
  4. いきなりの編集の是非:その編集者がブロックされたことから、この件については不問とする。ただし、今後は出典が明記された内容を消す前に、WP:BOLDに従ってノートに1週間提示すること。出典のない文言を大量に消す場合もできればノートで一言いっておく。

いかがでしょうか。--ネイ会話2016年8月8日 (月) 16:34 (UTC)