ノート:2010年の日本

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フィクションの出来事節の記述について[編集]

ノート:2010年でも述べさせていただきましたが、この記事のフィクションの出来事節は、どのような編集方針で記述されているのでしょうか?記事の主題が日本の出来事を記すためのものですから、その節もフィクションの日本を舞台にした出来事が記されるべきであろうと思うのですが、現状記されているものはどうもそうではないように思います。他の「○○年の日本」でも同様のようですが、「フィクションの日本が舞台」のものではなく、「日本企業によって制作されたフィクション」での出来事を記そうとされているのでしょうか?そうであるとしたら、少し方向性に疑問があるのですが。--けいちゃ 2009年12月5日 (土) 19:14 (UTC) 記事の節名を漢字に改めたので、それに合わせてこのコメントも修正しました。--けいちゃ 2009年12月6日 (日) 01:55 (UTC)[返信]

コメント はっきり言って、フィクションの節は全く不要というか有害ですらあると思います。第一にこの節が「2010年の日本」を説明するのに役に立っていると思えませんし、この手の節は「俺が思う重要な架空の〇〇の事件」というものが次々無秩序に追記されていき、記事の品質を落とすものとなります。ここはバッサリと除去してしまうべきだと思いますし、どうしても残したいのなら厳格な基準なりローカルルールを決めて残すべきでしょう。--Xtal 2009年12月31日 (木) 09:02 (UTC)[返信]

周年について[編集]

全体のうちの一部だけをとって周年にしたり(例:プレイステーション2(SCE)発売の周年、岡山駅〜博多駅(山陽新幹線)間開業の周年)、微妙な周年だったり(例:35周年、55周年)するのが存在します。何かルールを決めた方がいいと思います。--119.244.17.251 2010年1月6日 (水) 10:16 (UTC)[返信]

  • 「~周年」は~周年というイベントが特筆すべきものだったものを除いて全削除で問題ないと思います。そうでないと年々記述内容が増えていくのみ。2Wほど積極的な意見がなければ除去していこうかと思います。Fuji 3 2010年11月4日 (木) 04:27 (UTC)[返信]
ここでの議論に気付かないままWikipedia:削除依頼/2010年の周年を提出しましたが、審議の結果、「2010年の周年」は11月20日に削除されております。その際の議論を参照しても、この記事においても周年についてセクションを設けて記載する必要はなく、真に重要なもののみを2010年の日本#出来事などに記載すれば充分だと考えます。 --Iewslast 2010年11月23日 (火) 09:55 (UTC)[返信]
整理しました。ざっと見た感じ、~周年自体がトピックになっている項目はなさそうだったので全削除となりました。Fuji 3 2010年12月1日 (水) 04:00 (UTC)[返信]
勝手に除去しないでください。まだたくさんの方の合意をとれてないではありませんか --以上の署名のないコメントは、124.84.78.25会話/Whois)さんが 2010年12月5日 (日) 08:48 (UTC) に投稿したものです(Iewslastによる付記)。[返信]
本件については、Wikipedia:合意形成に照らしても、充分な手続きと時間がとられ、合意が形成されているものと思います。また、ここだけではなく、Wikipedia:削除依頼/2010年の周年でも、周年についての記載は不要との見解が多数示されていることも尊重すべきでしょう。
もちろん、一度合意が形成された点について再度議論することも可能ですが、その際には合意に基づいて編集された状態(本件の場合は、周年のセクションが削除された状態)を前提にして議論を行い、そこで合意が得られた場合に編集(周年のセクションの復活)を行うべきでしょう。
とりあえず、記事本文の方は周年のセクションを削除した状態に戻しておきますので、周年のセクションを復活したいのであれば、記事本文を編集する前にまずここで議論をしてください。 --Iewslast 2010年12月5日 (日) 09:42 (UTC)[返信]
個別記事として周年の記事を立てる場合と、各年の記事に節として周年の記事を設ける場合は別問題なので、「2010年の周年」の議論では周年の記載が不要との合意形成とは言いがたいです。また、ここでの議論でも不要な周年が数多く記載されているため、記載する周年のルール決めをすべきとの提案でしたが、周年が不要との合意形成ができているとは言いがたいです。よって、周年を除去した状態を前提として議論することはできないと思います。なお、現在では、2010年や2011年の記事において、ある程度記載する周年のルール決めがされており、記載内容についても問題ないと思われます。--117.55.65.133 2011年7月7日 (木) 07:14 (UTC)[返信]

(インデント戻し)私は、○周年の出来事が掲載されることには最初から何も反対しておらず、「○周年」であることについて特筆性があることが掲載に必要だという意見です。その点でコメントに書かれているような単純にキリのいい年数を基準にした掲載には反対です。例えば、平城遷都1300年は1300年祭として十分な話題・イベントがあったので1月の項に記載されていますし、記載するような○周年は同様の記載方法が可能なはずです。今書かれている○周年も同様に編集できませんか?Fuji 3 2011年7月7日 (木) 13:49 (UTC)[返信]

特筆性は重要な要素ではありますが、現状の内容ではそこまで厳密に規定する必要はないかと思います。◯◯年の項目はどういう年なのかを知るための項目ですので、出来事に限らずあまりにも逸脱している内容でない限り柔軟に様々な節項目があっていいと考えています。その点で例えば◯◯締結後50年だとか◯◯創業100周年など(ある程度有名なものに限る)その年がどのような年であるのか周年節でまとめて把握できるのは記事としてを深みを増すと思います。現在の基準でもまた意味のない羅列が増えたらその時にもう少し厳格に基準を設ければよいかと。大きなイベントが行われればまだいいですが、周年を出来事内に記述するのもあまり好ましくないと思います。--121.103.15.110 2011年7月8日 (金) 03:08 (UTC)[返信]
大きくスタンスが異なってそうなので、見解を述べておきます。
>特筆性は重要な要素ではありますが、現状の内容ではそこまで厳密に規定する必要はないかと
よほどの例外がない限り、特筆性は考慮されるべきだと思いますし、考慮されるべきことは現状の記事内容には関係ないと思います。
>◯◯年の項目はどういう年なのかを知るための項目ですので、出来事に限らずあまりにも逸脱している内容でない限り柔軟に
同意。
>その年がどのような年であるのか周年節でまとめて把握できるのは記事としてを深みを増すと思います
私にはそうは思えません。○年がXXXのYYY周年であることを知ってXXXについての認識は深まるかもしれませんが、○年自体には何の関係もないことです。
>現在の基準でもまた意味のない羅列が増えたらその時に
現在の基準で記載されている内容が既に意味のない羅列という認識です。
>大きなイベントが行われればまだいいですが
大きなイベントがあるものは記載すべきだし、そうでないものは記載すべきではないというのが、初期からの意見です。逆にいうと、出来事内に書けるようなもの以外は周年節としても不要。Fuji 3 2011年7月8日 (金) 13:29 (UTC)[返信]
だいたいのスタンスは理解できました。私の主張は上記のとおりですが、今回主張させてもらったのは記事を見たときに(主要なものの記載であれば)「周年」が羅列されている節があることに問題を感じないし、その年のトピックとして面白いと思う部分が大きかったからです。◯◯周年はその年自体に直接関係しなくても、関連トピックとしてあっていいというのが私の意見です(今後、周年の数が増えていったときにまたルールを決めなくてはならないと思いますが)。
また、「◯◯年の日本」などの記事に細分化されてからは、出来事の羅列ばかりでその他のトピックの柔軟さに欠け記事に広がりがなく、面白みにも欠けるという思いもあります。
確かに議論が始まった時点の周年の羅列を見たときは「◯◯から3年」「◯◯生誕35年」のような明らかに不要な羅列が多すぎると感じましたが、それは節があること自体の問題ではないのだから「節の廃止議論」に発展することに違和感を覚え、意見させてもらいました。--115.162.7.24 2011年7月9日 (土) 09:54 (UTC)(IP変わってますが、上記議論者(121.103.15.110)と同一です)[返信]
基準さえしっかり(○周年であること自体が取り上げるに足る)していれば、「周年」という節になっているかどうかはたいした問題ではないとは思っているので、節の問題は大して気にしていません。問題は取り上げる基準の方で、今の50年などの年数による基準は、その基準であることに理由(例えば甲子園であれば甲子の年の方が50周年よりインパクトがある)がなく、「2010年の日本」を理解するうえで役に立たないということです。それは100年だろうと1000年だろうと同じです。逆に1周年だろうと15周年だろうとその数字に意味があるのであれば、掲載することは構わないと思っています。そういった観点で現在残っているものを見るとどうでしょう?Fuji 3 2011年7月11日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

(インデント戻す)意見が出ないようなので、他の年も含めて整理していきたいと思います。要点は以下。

  1. 意味のある周年が多い場合は、周年節も設け、そこに記載
  2. 意味のある周年とは、数字の切りがいいかではなく、その周年であること自体にトピックがあるものを指すものとする(記念イベントがあったり、何らかの記録になったりするようなもの)

異論のある方は早めにコメントください。Fuji 3 2011年7月28日 (木) 13:36 (UTC)[返信]

「意味のある周年」が何を指すかですが、必ずしもイベントなどの出来事は必要なく、例えば「2010年の日本」に関しては現状でもほぼ問題ないと考えます。また例として2011年を挙げると、100年目となる辛亥革命や人類史上初の南極点到達のほか、20年目となる「湾岸戦争開戦」や「ソビエト連邦崩壊」、10年目となる「アメリカ同時多発テロ事件」など重大な出来事の節目やWWW開設20周年、25年でも「チェルノブイリ原子力発電所事故」については問題ないと考えます。一方で、周年の数が少ないからといって周年の節でなく出来事の方に記述するのも問題があると思われます。無理やり出来事に関連付けるより、できる限り節を設けて記述すべきです。--110.66.55.32 2011年7月31日 (日) 17:46 (UTC)[返信]
IPさんの希望は理解しているつもりなので、
  1. わざわざ2011年に1911年の出来事や1991年の出来事を書かなければいけないわけ
  2. 5の倍数を特別視するわけ(言い方を変えれば、2007年や1985年など端数になる年がだめなわけ)
  3. ○周年に特別な意味があると判断するのは誰か(視点を変えると湾岸戦争開戦○周年で意味のある数字が10or20or25or50or100・・・を決めるのは誰?)
といった点についての論理的な根拠を示してもらえないでしょうか?Fuji 3 2011年8月1日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
5の倍数を特別視しているわけでなく、基準の一つです。意味がある、大々的なイベントが行われているものであれば、5の倍数でなくてもいいと思いますし、逆に5の倍数だからといってなんでも記述すべきという意見でもありません。それでも、ひとつの基準として3年や6年より、10年や20年、100年での記載は周年の記事として十分な選定になりえるのではないでしょうか。「2011年に1911年の出来事や1991年の出来事を書かなければいけないわけ」と言い出したら周年の記事自体必要ないと言っているようなものではないですか。主要なものに限りそういう節があってもいいというのが私の意見であり、「2010年の日本」の周年節においては現状で問題ないと考えます。主要なものとは周年として歴史的・社会的に意味のある出来事や面白みのあるものであり、編集者の判断で柔軟に決めていけばいいと思います。それでも当初のようななんでもかんでも記述する状態になるのであれば、ルールを決めなくてはいけなくなるでしょう。--110.66.55.32 2011年8月1日 (月) 18:09 (UTC)[返信]
>歴史的・社会的に意味のある出来事や面白みのあるものであり、編集者の判断で柔軟に決めていけばいいと思います。
という部分が独自研究的で決定的にまずいと思います。私がイベントの有無を例として挙げているのは、それが編集者個人の思いではなく、客観的な基準を持つからです。もちろん、別にイベントに限らず、記念本の出版などでもいいと思います。その観点で見ても2010年等の周年節の現状は問題という認識です。Fuji 3 2011年8月2日 (火) 12:34 (UTC)[返信]
考え方に隔たりがあることは改めてわかりました。出典がなければ"記述の選定"すらもできないようであれば、誰でも編集可能なオープンフリー百科事典の意味がないと思います。記述の選定は独自研究に当たりません。ソースのない個人的見解をずらずら書くのなら問題ですが、多くの記事は多くの人の判断に触れながら自然と選定されて出来上がっていくものだと思います。そういう意味で個人の判断による柔軟性と言っています。この記述は国際的観点でないとか特筆性はないなど各自の判断で淘汰されていけばいいという考えです。それでも、多くの人が問題のある記述とされる内容が繰り返し記述されるのであれば、ルール作りが必須になります。--120.74.73.137 2011年8月2日 (火) 13:34 (UTC)(110.66.55.32と同一)[返信]

(インデント戻し) どんな情報にどんな意味があるかを各編集者の思いだけで行う"記述の選定"自体が独自研究「的」だと言っています。 2010年にトピックとなった出来事から100年後になった日本に関係する事象を例にとっても「日韓併合」「日英博覧会」「阪急電鉄の前身開業」「大逆事件」「ハレー彗星通過」「不二家開業」「大平正芳誕生」「三浦安死去」「ワールスのノーベル物理学賞」といった出来事があり、それらを読者の納得するように取捨するには根拠がいります。さらに200年、300年、400年・・・との選択は?となるとなおさらで、それらを単なる(権威のない)私見に委ねるのは百科事典を目指すWikipediaの方針とも整合していないと思われます。

周年として書く意味があるのは、「周年として歴史的・社会的に意味のある出来事」であるという認識はあっていると思います。それを踏まえた個人の判断として、私は現在記述してある周年節は既に淘汰対象と考えています。で、私は掲載にはIPさんの感覚より客観的なルールが必要だと思って下記のような案を提言していますが、逆に私の提示したルールで困ることはあるのでしょうか?

  1. 元のトピックの特筆性ではなく周年であること自体の特筆性で判断する
  2. 上記の特筆性の根拠として、周年に着目したイベントや出版等がある

Fuji 3 2011年8月2日 (火) 14:33 (UTC)[返信]

私は厳格なルールが必要との総意があれば積極的に反対するものではありません。ただ明確なイベントがなければ、ソ連崩壊から20年や人類史上初の南極点到達から100年が書けないのはどうなのかなと。それだけです。--120.74.73.137 2011年8月2日 (火) 16:08 (UTC)[返信]
コメント依頼しましたが特に意見はつきませんし、IPさんもルールがあることには反対ではないと思いますので、まずは、
  1. 元のトピックの特筆性ではなく周年であること自体の特筆性で判断する
のルールで考えていきましょう。Fuji 3 2011年9月2日 (金) 11:53 (UTC)[返信]

市町村合併の記述について[編集]

「…年の日本」記事には市町村合併の記述があります。私が確認した限りでは、

  • 2004年(2004年の日本ではなく2004年) 1件(「市町村合併により7府県で11市が誕生」)
  • 2005年 1件(「平成の大合併も山場。これまでで最多の50新市町村がこの日一日で誕生。」)
  • 2007年 3件
  • 2008年 2件
  • 2010年 17件

でした。 実際には言うまでもなく、もっと多くの合併が行われています。ただ、合併の全事例を年ごとに組み込むと、記事の読みやすさを損ないますし(今はありませんが「2004年の日本」記事が出来たら、半分以上合併の記述になるでしょう)、そもそも横のボックスに「市町村合併」のリンクがあるのだから、組み込む必要がないように感じます。ただ、平成の大合併第1号の篠山市、21世紀初の新設合併で誕生した西東京市、政令指定都市となったさいたま市あたりは記述してもよいかと考えています(今はいずれも記述がないようですが)。明確なルールを打ち出すのは難しいですが、現在書かれている2007年以降の記述は特筆性に欠け、基準も不明なので一括削除しようかと考えています。
これについて皆さんの意見をお聞かせください。--Feyumyth 2010年10月1日 (金) 14:23 (UTC)[返信]

遅くなりましたが、反対はないようなので、それぞれ削除します。--Feyumyth 2011年2月9日 (水) 04:46 (UTC)[返信]