ノート:黒田長知

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黒田長知の正室について[編集]

田坂大蔵著「福岡藩 黒田長知夫人 豊子 (特集 300藩 大名夫人の幕末維新)」(歴史読本49巻10号, 132-135p, 2004年10月)によると、黒田長知の正室・豊子は、長知と同年の天保9年(1838年)に生まれ、長知が先代長溥の養子となった嘉永元年(1848年)11月に縁組し(豊子が長溥の姪にあたる関係から)、婚儀は安政元年(1854年)12月に行われたとあります。「理玖」という前妻がいたとの記述はなく、豊子の婚礼の年から13年後生まれの長成が前妻の子であることは有り得ません。

Web上を検索したところ、前妻が「理玖」という記述はいくつか見られたのですが、その「理玖」の生没年が全く引っかからず、縁組はともかく輿入れまでしたのか疑問です。(豊子が明治35年の死別まで長知室であったことは、国会図書館デジタルライブラリーで閲覧可能の『現代華族譜要』p257からも確認でき、間違いはないかと思われます。)

というわけで、とりあえず黒田長溥の娘「理玖」が黒田長知正室で黒田長成生母ということに関する記述を取り除かせていただきます。「理玖」の没年、豊子の別の婚礼年などの出典があれば、よろしく願います。--豆もち会話2015年1月14日 (水) 14:25 (UTC)[返信]