ノート:魔女 (ハンドル)
百科事典に掲載すべき記事でしょうか?削除依頼に出そうかとも思いますが、皆様のご意見をお伺いします。--211.121.7.139 2005年12月8日 (木) 16:38 (UTC)
- 確かに迷いますね。ただ、迷う、ということは、残す価値があるかもしれない、ということでは?少なくとも、パソコン通信を知らない人々にとっては価値があるかもしれません。プログラムの作成なども行ったということですし、どういういきさつで作成したか、それはどのように役に立ったか(あるいは立たなかったか)、パソコン通信にどのような影響を与えたか(もし与えたとすれば、ですが)なども加筆可能だと思います。ですから、半年ほど様子を見てもよいのではないでしょうか。--miya 2005年12月8日 (木) 22:32 (UTC)
- 私には"内輪ネタ"としか思えません。削除依頼において「この記事を削除しないなら、サークルやファンクラブの記事が際限なく作成される虞がある」といった理由で、削除に賛成される方も多いようですが本件も同様でしょう。この記事を存続させれば、いずれは「2ちゃんねる」等の一利用者の記事も作成されることになるかと思われます。半年も待つ必要はないでしょう。--211.121.7.139 2005年12月9日 (金) 03:15 (UTC)
- 残念ながら私はほとんど使う機会を持ちませんでしたが(専らMAGやPIだったなぁ)、一定の評価を得た(GVは現在もQ0, Q4をサポートしているようです)Q4フォーマットの考案者であることを考慮すると、ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアはナレッジ・ベースではありませんの7項の指針に従い、Q4への統合という対処は考えられないでしょうか。最近では、FDと出射厚氏(リダイレクト)という例もありましたね。Q4以外にこの方の功績を幾つか記述できるようであれば、独立項目にしても良いとは思いますが。 --Lupinoid 2005年12月9日 (金) 03:59 (UTC)
- 存続でかまわないと思います。少なくとも当時のPC-9801中心だった状況でデファクトスタンダード的なフォーマット、ソフトウェアを残した功績は認められるべきでしょう。出射厚氏(リダイレクト)の前例が出来てしまったのが痛いところで、前例を持ち出されると統合もやむなしかもしれません。もしソフトウェアなどで「著書」があれば単独項目の存続に大きな理由付けができるのですが・・--Lcs 2005年12月14日 (水) 00:29 (UTC)
インターネットが今のように普及していない時期、「いつでも・何処でも・誰とでも」を可能にしていた代表的なネット空間は日本では NIFTY-Serve, PC-VAN, ascii-pcs くらいだったため、当時の利用者人口と著名度の比率からみると今現在のインターネットの有名とは比較にならない有名さだと感じます。また、2ちゃんねるのユーザーと同列に据える発想も頷けないことはありませんが、現在大規模匿名掲示板で浸透しているいわゆるコテハンと商業BBSで名乗るハンドルではクレジットの意味合いがかなり異なりました。少なくとも当時の商用BBS上では書き捨て・書き逃げ・逐電等々が許されるほどネットコミュニティーの面々は世慣れていませんでしたし、甘ちゃん同士の馴れ合いは少なかったと記憶しています。直裁に言えばどこの馬の骨かも分からない「『2ちゃんねる』等の一利用者」とは格が違っていたと思います。
魔女(MAJYO)氏について少し調べてみましたが事故死された後の哀悼レスだけで千の数を越すというのも電話代プラス時間単位の利用料金を支払っていた当時としてはかなり異例のことであったと想像します。これはおそらくはネット上における各種論争に関与した人々からのものであったと想像します。これら過去の論争はウィキペディアの各記事におけるノートの議論に似通ったものですが、ディベートに近い性質が強く、感情的なものは少なかったのではないでしょうか。また、QLDというソフトウェアはいわゆるぼかしをデジタル的に可逆的に加工するソフトウェアでその後のアダルト系画像へのぼかし加工の嚆矢ともいえる位置付けがあると思います。
また、ウィキペディアのQ4にはMAJYO氏のことも書かれており、記事が孤立する可能性は低いと感じます。
今後の単独記事としての発展性については商用BBS時代に起きたネット論争の参加者の一人であったことから、「○○ネット論争」のような記事への足がかりになるような気がします。逆にQ4へ統合した場合に、主に画像フォーマットを解説している記事で個人(故人)のことを書き連ねていく限りはトリビア的な記述に見えてしまう虞もあり、中途半端で好ましくない結果になると思います。
できますれば、記事の削除依頼は記事単独で考えず、上記に書いたような、記事を取り巻くものまで考慮に入れてある程度の目標を描いて検討をして頂ければ幸いです。--Koba-chan 2005年12月9日 (金) 04:44 (UTC)(署名忘れと思われるので、履歴より署名補記 isaok 2005年12月12日 (月) 00:03 (UTC))
- 魔女にはソフトウエア製作者としての顔がある。16色しか表示できなかったパソコンで、疑似256色表示のQLDのセーバー&ローダーを製作した。また当時はNECのPC98の全盛時代であったが、多機種対応のQLDも積極的に作っていた。画像のセーバー&ローダー以外にはISHと同様なものも作ったが、これについてはISHのようには一般化しなかった。ウイルスが騒がれ始めたときには(今からすればちゃちなものだが)感染発見プログラムを作り、事務局からのお知らせでも紹介された。
- ソフトウエア製作者以外の顔もあった。それを一口に言うのは難しいが、パソコン通信の将来についても色々考えていたようである。SIG-LADYの立ち上げにも関与し、事務局と話し合いを重ね、女性客獲得のためということで話を持っていったらしい。少なくとも魔女はPC-VAN創成期においての名だたる人物のひとりであり、魔女を抜きにしてPC-VANの歴史を語ることはできない。--219.165.15.43 2005年12月11日 (日) 16:56 (UTC)
ここで取り上げるべきではないのかもしれませんが、「悪魔と神 (ハンドル)」はどうでしょう?ただの「困ったさん」では?
- この魔女氏と対のようにして投稿された項目ですね。PC-VANを代表する人物2名、ということならとりあえずは残しておいて良いと思います。類似のハンドルが次々投稿される事態となれば、まとめて削除依頼で検討すればよいでしょう。--miya 2005年12月12日 (月) 05:47 (UTC)
- 癖のある人物ほど、評価はまちまちです。魔女や悪魔と神にしてもそういった人物のひとりで、敵対する側や人気を妬む側の評価だけを目安にするのは、ウィキペディアが目指している中立性に反します。だからどのような評価があるかではなく、行為や存在が、パソコン通信においての歴史的位置づけや、影響度とどう絡み合っているかいないか、といった観点から判断すべきです。--Sagesword 2005年12月18日 (日) 12:47 (UTC)
記事に中立的観点が張られていますが、なぜ? このノートでは記事の存続諾否の議論はありますが、POVの議論はありません。 観点は剥がしてもよいのでは?莞爾 2005年12月19日 (月) 17:31 (UTC)