ノート:風水

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短時間の間の頻繁な編集[編集]

せめてもう少し推敲してから書きませんか。北斗柄 2009年1月9日 (金) 01:10 (UTC)[返信]

風水の名称とその起源について[編集]

「風水」という名称は、晋の郭璞の『葬書』からきているというのが一般的な理解だと思います。それを否定するような編集が行われていますが、独自研究の域を出ていないように思います。--北斗柄 2009年1月16日 (金) 07:41 (UTC)[返信]

九星について[編集]

九星一覧表と本命卦は九星で説明すべき事項のように思います。nnh 06:15 2004年1月31日 (UTC)

短時間の間の頻繁な編集[編集]

短時間の間の頻繁な編集の原因の一端は私にもありますことを深くお詫び申し上げます。 しかしながら、一部の郭璞否定者達は、私の書き込みに対して下にコメントを書くという手法ではなく、私の文章に割り込んでコメントを書くという、最低限のマナーさえ守れない行為におよぶため、私が意味不明の主張をしているかのような様相になってしまうので、頻繁に編集せざるを得なかったのです。 もっとも現在、私が郭璞の葬書について書いた箇所は削除されてますが。

少なくともWikipediaのルールからすると、一部の郭璞否定者達の主張である「風水という言葉は『周易』の「水風井卦」が語源」というものは独自研究にあたるでしょうね。この部分は風水のページからは削除するべきでしょう。 もっとも、私が以前郭璞の葬書について書いた箇所にも、明らかにWikipediaのルールからすると独自研究に抵触する部分があり(魂魄思想の部分とか)反省しております。

Wikipediaのルールを深く知ると、単純に言えば「例え郭璞本人から葬書の内容を直接聞いた者がいたとしても、その内容をWikipediaには掲載することが出来ない」というルールであるということが判りました。ようするに、私ごときというか、誰もが葬書の内容についてはWikipediaには書くことは出来ないということです。

“水口拓寿(東大,院)「2002年度 財団法人交流協会日台交流センター歴史研究者交流事業報告書 台湾における「風水」文化の現況:商業出版物を通じた知識の発信と流布に注目して」2004,6 財団法人 交流協会” にも記載されているように、「実務的な風水師が、文字を通じて伝承した知識として、自家編集マニュアル程度の規模しか具備しない(そして、正式な著述として風水書を執筆することもないであろう)場合があるという状況」や、「彼らの中には、中国の賢哲たちの手で書かれた書物を深くまじめに研究することによってその技能を獲得した者はほとんどいないのである。(中略)彼を門弟として採用した師匠の後に跟いて数年間全国を旅行脚し、(中略)ほとんど凡ての彼の知識を拾い集めるのである。」という現実が風水界にはあります。そしてこのような実践的な風水師達の間の独特な事情は、Wikipediaの世間の常識を踏まえた掲載ルールとはまるで正反対であり、実践的な風水師達の知識は、「ウィキペディアの閲覧者層や他の編集者が満足に検証することができないから」Wikipediaからは締め出されざるを得ないのでしょう。 --白山 2009年1月18日 (日) 01:49 (UTC)[返信]


>誰もが葬書の内容についてはWikipediaには書くことは出来ない
ということではないと思います。Wikipediaでは、

記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです

ということですから、ISBNがあって一般書店で入手可能な書籍や査読のある学術誌からの情報は、情報源が記載されていれば他者であっても『検証可能』です。ですから三浦國雄 (著)「風水講義」なんかは情報のソースとして使用可能でしょう。「張明澄 風水の世界」なんていうのは査読もへったくれもないですけど。
署名を忘れていました。申し訳ありません。--北斗柄 2009年1月18日 (日) 02:47 (UTC)[返信]


>三浦國雄 (著)「風水講義」なんかは情報のソースとして使用可能でしょう。

三浦國雄 (著)「風水講義」が検証可能で中立的で独自研究でないということは判ります。Wikipediaの情報のソースとして使用可能でしょう。 それはわかるのですが、私の考えすぎなのか、Wikipediaルールからすると郭璞の「葬書そのもの」が郭璞により「自己公表された情報源」にあたり使用できないのではないかと思えるわけです。少なくとも風水界のみにおいては大多数の賛同を得ていることが、「信頼性が評価された情報源として認められている」ことになるのであれば良いのですが。

>「張明澄 風水の世界」なんていうのは査読もへったくれもないですけど。

そうですね。彼らの主張は「Wikipedia:独自研究は載せない」のページの「中立的な観点」の覧にある「もしある観点が極めて小さな(あるいは極めて限定された)少数派に支持されているのであれば、それが正しいかどうかに拘らず、あるいはあなたがそれを証明できるかどうかに拘らず、その内容はウィキペディアで言及するに値しない。」にも該当するでしょう。「風水という言葉は『周易』の「水風井卦」が語源」という記述の削除をどうしても受け入れないのであれば、せめて張明澄のページにでも移すべきです。--白山 2009年1月18日 (日) 10:10 (UTC)[返信]

>郭璞の「葬書そのもの」が郭璞により「自己公表された情報源」にあたり
>使用できないのではないかと思えるわけです。
少なくとも、『三浦國雄 (著)「風水講義」検証可能で中立的で独自研究でない』と考えられる以上、『「風水講義」が郭璞の「葬書」が風水という言葉の起源である』ことは独自研究ではないと考えて良いと思いますがどうでしょう。--北斗柄 2009年1月19日 (月) 04:04 (UTC)[返信]


>郭璞の「葬書」が風水という言葉の起源である

 「風水の起源」の説明において、風水講義の説は、風水界で最も認知された最も一般的な説を述べていると私も思います。

 私が厄介に思うのは、風水の原典とされる書物や経典のほぼ全てが、古の風水師等がそれぞれ自分の捉える風水について書いたものであり、Wikipediaルールでいうところの、「自己公表された情報源」であるように思えること。そして、Wikipediaルールに従うならば、風水とは根本的にどの様な事象のことをいうのかという話を進めるには、風水の根本経典が何かを先ず決めなければならないが、「自己公表された情報源」でない根本経典など、ないのではないかということ。もっとも、先の水口拓寿氏の論文(信頼のおける情報源)に“伝説上の中国帝王である黄帝の著述に擬された『黄帝宅経』や、同様に晋朝時代の郭璞に仮託された『葬書』(『葬経』『錦嚢経』とも呼ばれる)のように風水の根本経典とされるもの、また唐朝時代の卜則巍に仮託された『雪心賦』等の著名風水書”との記載があるので、少なくともWikipediaルールでは『黄帝宅経』『葬書』は根本経典で『雪心賦』は著名風水書であると主張できるわけですが、一部の郭璞否定者達がそれを受け入れるでしょうか。また、テレビの影響で色占いや九星占いが風水だと信じている一般人は満足するのでしょうか。

 それとは別に、口授の比重が大きい実務的な風水師達は、(先の水口拓寿氏の論文によると)“正式な著述として風水書を執筆することもないであろう”から今後も信頼のおける情報源に彼らの知識が記載されることも無いでしょう。可能性があるとすれば、学術的な研究者達によりそれらの知識の調査が行われ、その結果が信頼のおける情報源に記載されるということになるのでしょうが何時になることやら。しかし、それ待たなければWikipediaから、この先もずっと実務的な風水師達の知識は締め出されざるを得ないのでしょう。となると、本当にこれで風水について記述しているとしていいのか?という気がしてくるのですが、WikipediaではWikipediaのルールを尊重するのが当然なのでそんな事言ったってしょうがないですね。 先の水口拓寿氏の論文には以下のように記載されている“「文人風水師」と実務的風水師を截然と区別するならば(但し氏は、伝統的風水書の著者たちを、全て「文人風水師」に分類せよとまでは提唱していない)、両者は少なくとも既に100年余りにわたり、別個の歴史を辿ってきたこととなる。これまで風水文化史の学術的研究は、風水書の記述内容を、著者たちの系譜や、成書年代の早晩に沿って並べるという作業を主としていたが、即ちこのような方法で把握された風水文化の沿革は、実は二層の内の一層しか、視野に入っていないに近いというわけである。伝統的風水書の中で「俗師」等と蔑称された、実務家たちの知識の歴史を解明してゆくことも、今後の課題となるべきだろう。”--白山 2009年1月19日 (月) 10:33 (UTC)[返信]

最初に『伝統的風水書の中で「俗師」等と蔑称された、実務家たちの知識』は、百科事典であるWikipediaが取り扱う範囲を越えていると思いますがどうでしょう。

少なくともWikipediaルールでは『黄帝宅経』『葬書』は根本経典で『雪心賦』は著名風水書であると主張できるわけですが、一部の郭璞否定者達がそれを受け入れるでしょうか。また、テレビの影響で色占いや九星占いが風水だと信じている一般人は満足するのでしょうか。

『一部の郭璞否定者達がそれを受け入れる』かどうかについては、最終的にはWikipediaの運営の判断に任せるよりないと思います。なお『一部の郭璞否定者達』の無作法さは運営的にも問題となる可能性もあるでしょうし。
また『色占いや九星占いが風水だと信じている一般人』のためにも『標準的』な風水についての記述を行うことは充分に意義のあることだと思います。
今のところ「風水講義」という手がかりがあるのですからそれを基にした記述を行っていくというのはどうでしょう。あるいはエルネスト・アイテルのFeng Suiの翻訳である「風水-欲望のランドスケープ」などはどうでしょう。
--北斗柄 2009年1月19日 (月) 12:11 (UTC)[返信]


>最初に『伝統的風水書の中で「俗師」等と蔑称された、実務家たちの知識』は、百科事典であるWikipediaが取り扱う範囲を越えていると思いますがどうでしょう。

そうですね。そこが私が最初勘違いしていた部分です。

>今のところ「風水講義」という手がかりがあるのですからそれを基にした記述を行っていくというのはどうでしょう。あるいはエルネスト・アイテルのFeng Suiの翻訳である「風水-欲望のランドスケープ」などはどうでしょう。

「風水-欲望のランドスケープ」を知り合いに借りて読みました。常識的な大多数の人間が下すであろう風水に対する帰結が記載されてますね。風水を信じている者達の中での中立ではなく、風水を信じていない人達をも含めた中立的な立場で書かれているように思います。極めて中立的な立場の本といえるのではないでしょうか。「風水講義」「風水-欲望のランドスケープ」を骨格とすれば、風水を信じていない人達をも含めた中立的な立場で風水のページを記述できるように思います。--白山 2009年1月20日 (火) 08:55 (UTC)[返信]

「風水講義」「風水-欲望のランドスケープ」を骨格とすることには賛成です。それと矛盾しない資料として、風水の歴史の記述に関しては何暁昕・宮崎順子『風水探源』が参考になりますし、その他、渡邊欣雄『風水 気の景観地理学』、目崎茂和『図説 風水学』等の真摯な研究資料も参考としてよいと思われます。
「風水の原典とされる書物や経典のほぼ全てが、古の風水師等がそれぞれ自分の捉える風水について書いたものであり、Wikipediaルールでいうところの、「自己公表された情報源」であるように思える」と述べられましたが、風水とは何かについて「それらの書物にはこのように記載されている」という記載事実についての客観的記述であれば、Wikipediaルールには反しないと思われます。つまり、「風水はこういうものだ」と断定するのではなく、「○○という風水思想における重要な書物では、風水はこれこれであると定義されている」と述べる分については、Wikipediaでも否定されていないと解釈してよいと思われます(ただし、○○という書物が風水思想において重要であるか否か、どこかの自称風水師のオレ定義でないかどうか、については検討の必要があります)。その上で、葬書の記述が風水という語の発祥という見解は広く共有されているものであり、葬書自体の年代の疑問等々にもかかわらず、これを土台として記載することは十分に意味のあることです。
このように考えますと、郭璞否定の主張があるということ自体は、必ずしもWikipediaから排除されているわけではありませんが、その説を断定的に書くことは排除されねばなりませんし、また、その説が主流であるかのような記載は許されません。その意味で、上記の議論(郭璞否定論の「風水」の項からの削除)には賛成です。
なお、水口拓寿氏の主張については、同様に水口拓寿氏の研究によれば、という形であれば、本文に記載することも可能だと思います。--松永英明 2009年1月26日 (月) 07:37 (UTC)[返信]


 *渡邊欣雄『風水 気の景観地理学』 ですか? このひとの講義を今とっていますがあまりにも内容が片寄ってる気がします。景観の話に偏りすぎている感があるので目崎茂和の書いた『図説 風水学』であるとか、上田信が書いた『風水という名の環境学』など全体的に書かれた本や環境のことについて書かれた本なども参考に、地理学的な側面もあれば環境学(論)的な側面もあるし、もちろん、占いのような側面もあるということをおおざっぱにでもいいので書いておかないと風水を概観したことにはならないと思います。さらに、余裕があれば「東洋医学とも関連がある」くらいのことが多少書いてあったらよりよいものになる気がしますが、ひょっとしたらここまでやるのはやりすぎかもしれませんね。--Feng Sui-san