ノート:音楽史

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ポピュラー音楽史の項について[編集]

相当な勢いで記載を整理しましたが、「独自研究の恐れがあるので出典を明示せよ」とのタブが加えられました。 出典を示すことは一応可能なのですが、いちいちそれぞれの文章につけていくと煩雑です。

小見出し毎くらいの単位でざっくり示すでいいでしょうか。

あるいは、特に出典が欲しい(=一般的な見解かどうか怪しいと感じられる)部分を誰かに指摘いただいて、そこについて出典を示すくらいだとどうでしょうか。

必要な文献参照などは一通りしたつもりですし、バランスには相当気を使って書いたので、この記載は消されないように守りたいと思っております。

--Sunrise 2013会話) 2018年5月30日 (水) 12:14 (UTC)

独自研究タグを貼ったのは私ではありませんが、出典は出せるのなら脚注機能を用いて丁寧に出す方が良いと思います。タグを貼ったIPの方の次の投稿[1]を見ると、バッサリと消すような編集には反対の方のようですから、こちらの記事についても消すつもりでタグを貼ったのではないとは思います。--Gruppetto会話) 2018年5月30日 (水) 13:33 (UTC)

野田憲太郎氏の編集について[編集]

「問題のある人物による頻繁過ぎる編集」と、結果的な排除は初めて見ました。野田憲太郎氏と言うようですね。

それはいいのですが、彼の編集は、私が以前書いた記載を一部復活させています。ただし、私が見ても微妙にピント外れのように思われます。

…1990年代は空前のCDバブル[58]から始まるが、95年のウインドウズ95発売に伴うインターネットの爆発的な普及は、それまでの音楽受容のあり方を激変させた[59]。音楽はレコード・CD店で購入するものから音声データの形で入手するものとなり、以前のように若者が多大なお小遣いをCDに注いでくれるということはなくなった。既存のメディアは若者全体に流行を浸透させる力をテレビラジオ通じてすべて失った。若者みんなが知っているアーティストや曲は、ビルボードのチャートシステムの度重なる変更[60]のため非常に存在しにくくなった。2000年代に一番チャートを独占したアーティストエミネムが、それまでのカリスマほど広く受け入れられていない[61]状況が象徴的である。90年代中庸にはMTVでヘヴィ・メタル専門番組MTV Headbangers Ballが1995年に一旦終了している。(批判を受けて再度復活したのは2003年)

「若者みんなが知っているアーティストや曲は、ビルボードのチャートシステムの度重なる変更[60]のため非常に存在しにくくなった。」と言い切っていますが、ビルボードのチャートシステムがどんな風に変化しようが大した影響はなく、最大の原因はインターネットの普及でしょう。 「90年代中庸にはMTVでヘヴィ・メタル専門番組MTV Headbangers Ballが1995年に一旦終了している。(批判を受けて再度復活したのは2003年)」とありますが、何が言いたいのでしょうか。

…2000年代以降は、歌にエフェクタをかける・機械的に歌う・ヴォーカロイドなど、機械との融合を思わせる流れが目立ち、人工音声という試みが企業から個人に変わった[62]。「誰が何をしたのか」は以前のカリスマアーティストほどには、大衆の共有ソースにならなく[63]なった。その一方で日本は、AKB48や欅坂46のようなアイドルグループが相も変わらずCDを売って握手をし、「総選挙」で誰が一番いいアイドルなのかを決めていた。すべての国家の一旦はグローバル化されたポピュラー音楽のローカル化、階層化は避けられなくなっている、とする見解もある[64]。「このアーティストは○○のパクリだ」という民衆からの突き上げも無視できないものになっており[65]、聴衆の総評論家化もポピュラー音楽全体を内向させている。

この節は、何を言いたいのかよくわからない記載に溢れてしまっています。「人工音声という試みが企業から個人に変わった」と言うのは何を指していて、それを指摘することがポピュラー音楽史を示すうえで何の役に立つのでしょうか。「大衆の共有ソース」とか「相も変わらず」「一旦はグローバル化されたポピュラー音楽のローカル化、階層化」「民衆からの突き上げ」「聴衆の総評論家化」「ポピュラー音楽全体を内向させて」などの表現は、百科事典として相応しい表現には思えない、客観性・公平性に欠ける、意味の分からないものに思われます。

野田氏の記載の意味不明な部分を削ぎ落した形に編集してしまった方が良いでしょうか。

--Sunrise 2013会話) 2018年6月10日 (日) 13:51 (UTC)

以前より多少は客観性が出たかもしれませんが、結局はそういう「百科事典として相応しい表現には思えない、客観性・公平性に欠ける、意味の分からないもの」を書くのがNODAの癖です(そもそもブロック逃れのIP投稿自体がダメなのですが)。Sunrise 2013さんが違和感のないように思い切って修正していいと私は思います。--Gruppetto会話) 2018年6月10日 (日) 14:18 (UTC)(←これを書いている間にMaximusM4さんがNODA以前の版に戻して下さいました。--Gruppetto会話) 2018年6月10日 (日) 15:00 (UTC))
以前の版に戻していただいたことで私の編集も一部消えてしまったので、出典を示しつつ、1990年代以降の記載について思い切った修正をかけた文章にしました。
野田氏が読むと思いますので、上記の「この節は」以降が何がどうダメなのか、補足しておきます。
「人工音声という試みが企業から個人に変わった」→具体的には何を指すのでしょうか。音声合成ソフトを個人でも使えるようになったということでしょうか。それはポピュラー音楽の世界の歴史上、「歌にエフェクタをかける・機械的に歌う・ヴォーカロイドなど、機械との融合を思わせる流れ」と同等以上に大切でしょうか。
「誰が何をしたのか」は以前のカリスマアーティストほどには、大衆の共有ソースにならなく[63]なった→同じことを普通の日本語では「以前のような明らかなカリスマは誕生していない」と書くと思います。
その一方で日本は、AKB48や欅坂46のようなアイドルグループが相も変わらずCDを売って握手をし、「総選挙」で誰が一番いいアイドルなのかを決めていた。→そもそも、このポピュラー音楽史は最初で「アメリカを中心に世界的な広がりを見せている近代的な商業音楽をポピュラー音楽とし、その歴史に関しての概要を記載する。」としています。日本に関して記載するのであれば、この前提に逆らうだけの重要性がなければなりませんので、もともとは日本への言及はわずか一か所、ロックからの影響でグループサウンズやニュー・ミュージックが生まれたという部分だけです。AKB48や欅坂46の握手の話は、ポピュラー音楽史全体のトピックとして取り上げるべき重要事項でしょうか。
すべての国家の一旦はグローバル化されたポピュラー音楽のローカル化、階層化は避けられなくなっている、とする見解もある[64]。→同じことを普通の日本語では「ポピュラー音楽はグローバル化の方向に歩み、世界的に広がる方向に歩んできたが、ここに至って再度ローカルなもの・社会階層のルーツを踏まえたものに回帰しつつある」とでも書くでしょうね。これだったらまだ意味が分かります。が、そう言い切っていいんでしょうか。グローバル化志向の音楽も、ローカル・社会階層のルーツが明確な音楽も、あらゆる時代を通じて存在し続けていませんかね。その辺の迷いが「とする見解もある」という言葉なのかもしれませんが、そういうことならそもそも百科事典など書いてはいけないでしょう。
「このアーティストは○○のパクリだ」という民衆からの突き上げも無視できないものになっており[65]、聴衆の総評論家化もポピュラー音楽全体を内向させている。→普通の日本語だったら「パクリに対する聴衆の拒否感は無視できないものになっており、半ば評論家と化した多くの聴衆の存在はポピュラー音楽全体を委縮させている」とでも書くでしょうね。これだったらやはり意味がわかります。が、やはりそう言い切っていいんでしょうか。パクリを拒否するのも、聴衆が評論家であるのも、やはり昔からある当たり前の現象でしょう。わざわざ取り立てて最後にまとめとして書くべきことではありません。
野田氏の記載を、私なりに日本語をまともにして、再度書いてみます。
…2000年代以降は、歌にエフェクタをかける・機械的に歌う・ヴォーカロイドなど、機械との融合を思わせる流れが目立ち、人工音声という試みが様々な個人やグループで行われるようになった。だが、以前のような明らかなカリスマは誕生していない。ポピュラー音楽はグローバル化の方向に歩み、世界的に広がる方向に歩んできたが、ここに至って再度ローカルなもの・社会階層のルーツを踏まえたものに回帰しつつある。パクリに対する聴衆の拒否感は無視できないものになっており、半ば評論家と化した多くの聴衆の存在はポピュラー音楽全体を委縮させている。
だいぶ読めるようにはなりましたが、「人工音声と言う…」以降は不要でしょう。「機械との融合を思わせる流れが目立つ」だけで十分です。
大切なのは、ここまでのポピュラー音楽全体の歴史を踏まえて、どのような落としどころに持って行くかですが、文章を直しても内容に疑問がありますから結論は首をひねるようなものになっています。内容が無いのを、ねじれた日本語で書いて有難そうにごまかしたり、ムダに文章を長くして量を稼いだり、「見解もある」と逃げたりするのは、百科事典の記載としては問題があります。
まあ、私の書いた結論部分も、出典を出すことは何とかできましたが、かなりスレスレの記載です。が、クラシック音楽史の結論と同様、現時点で定説はないのですが、「およその実験は尽くされ、今までの遺産を継ぎはぎしたりパクったり、縦横無尽に活用する時代になってきている、その意味ではクラシックの現代と共通するぞ」という話ですから、野田氏の文章よりはるかに妥当性があり、納得していただける方も多いのではないかと思います。--Sunrise 2013会話) 2018年6月11日 (月) 09:22 (UTC)
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失礼しました。直しました。--Sunrise 2013会話) 2018年6月11日 (月) 15:02 (UTC)