ノート:青森銀行

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あすなろNET」「AAIネット」については、新たに項目を作りましたので、改めてそちらにまとめたほうが良いかもしれません。—以上の署名の無いコメントは、Bloodserver会話履歴)さんが[2005年11月30日 (水) 22:23-23:00 (UTC)]に投稿したものです。

「未展開」[編集]

「未展開」節は除去しました。「以下の分野以外の施設」が何を指すのか意味不明なこと、ATMが「ある場所」ではなく「ない場所」を示すのはきりがないこと、全体的に文意が不明なこと、結局どこにあるのかわからないこと、Wikipedia:内容に関連するリンクだけを作成のガイドラインに反すること、不適切なリンクが含まれること、総合するに百科事典的に有意義な記述でないことによります。 --Vantey 2007年11月17日 (土) 13:05 (UTC)[返信]

高谷英城=津軽銀行頭取?[編集]

「高谷英城=津軽銀行頭取」で相違ありませんか?日経金融新聞「金融風土記・青森県(1)」(98年9月1日掲載)に 「昭和6年11月25日、第五十九銀行が三週間休業すると発表した。きっかけは同行青森支店行員の横領事件の発覚である。」 とありますが、この「行員」とは、彼の甥(弟・英稔の長男)だったと伝え聞きましたが。 高谷英城は現市議会議員の高谷氏の祖父にあたるはずですのでご存知かもしれません。--横浜お天気さん

私は英城の孫で加藤と申します。津軽銀行は、英城の叔父の貞二朗が創業しました。しかし、親子3人共早死にし、英城が後を継いで津軽銀行の頭取をしていました。そして、当時地方銀行統一の時代で、国立銀行の五十九銀行と合併し、青森銀行が誕生しました。初代頭取に、年長である佐々木氏を推薦したのですが、毎月全国の頭取会議があり、東京へ行くのに、佐々木氏が東京を知らず、英城は、早稲田大学を卒業していましたのて、東京に詳しく、たった2ヶ月で頭取を交代したそうです。青銀は普段会長をおかず、英城が初代会長だったそうです。 亡くなった時も、会長でした。告別式には、幼少だった私も参列しました。 銀行葬でしたので、16名の僧侶、永平寺からも3人の僧侶がおいでになりました。英城の娘に当たる私の叔母がまだ94歳で健在で、一番詳しいです。 今の翠明壮で告別式を行いました。別邸でしたから。   貞二朗の財産を全て処分し、キリスト教でしたので本人の遺志をくみ、義塾高校と弘前学院に寄贈し、今の観光地になっている六角形の建物がそうです。 貞二朗とは、高谷家6代目頭主貞助の弟にあたります。七代目頭主が英城です。


英稔の息子は評判は良くなかった様ですが、横領に関しては、はっきりしていません。以上ですが、この先、正しく知っている人間はだんだんいなくなりますので、弟である、友視はあまり語らない性格ですので、私が、間違いを正したいと思いました。 宜しくお願い致します。

ATMの利用時間・手数料、利用条件、提携関係について[編集]

Wikipedia:井戸端#ATMの利用時間・手数料、利用条件、提携関係についてにて記載を除去する方向での提案をしております。ご意見お待ちしております。--fromm 2011年8月12日 (金) 02:38 (UTC)[返信]