ノート:防共協定

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改名および統合提案[編集]

現在リダイレクトである「防共協定」への改名を提案します。日独防共協定の語が広く普及していることは確かですが、これは協定成立時の状況を指しているに過ぎず、協定の終焉までを書く項目としてはふさわしくないと思います。この協定が「日独防共協定」であった期間は1937年のイタリア加盟までの一年間に過ぎず、日独伊防共協定となっていますが、その状態も1938年までで、ハンガリーなどが加盟したことによって日独伊防共協定でもなくなっています。これらの項目を相互に存在させたままにしておくことを許容するならば、日独伊洪満防共協定とか日独伊洪満西防共協定などの項目を建ててもしかるべき事になってしまいます。

このためこの項目を「防共協定」に改名した後、日独伊防共協定を「防共協定」に統合したいと思います。

--Sube会話2014年7月20日 (日) 05:25 (UTC)[返信]

Wikipedia:記事名の付け方」では、「認知度が高い(信頼できる情報源において最も一般的に使われており、その記事の内容を表すのに最も著名であると考えられるもの)」「見つけやすい(読者にとって記事の中で見つけやすいもの)」というものがあります。
日独防共協定」又は「日独伊防共協定」という枕詞が無い「防共協定」という言葉の書籍の使用例はどれくらいあるのでしょうか?--TempuraDON会話2014年7月24日 (木) 13:25 (UTC)[返信]

近代デジタルライブラリーで見てみました。「皇道日本の世界化 」徳富猪一郎、「日本は支那を如何する」中野正剛などの使用例がかなりあります。NOTがつかえなかったので正確な件数は分かりません。ciniiでは26件(一件重複)の防共協定でヒットした論文・記事のうち、単なる防共協定は5件でした。外務省の『日本外交文書「第二次欧州大戦と日本」』の第一冊でも第一章は「防共協定の加盟国拡大と強化問題」となっており、本協定を単に防共協定と書くのは用語の一つとして定着した状態です。 アマゾンでは確かに「日独防共協定」の語が圧倒的に多いです。ただし、抜粋された文章を読む限り締結時点のことばかりです。それ以降のことも書くなら、「記事の内容を表す」という要件からはなれてしまいます。イタリア加盟後は別の条約と見て分離するというのならば日独防共協定でもよいと思いますが、一連の動きである防共協定強化問題[1]なども別の項目にする必要などが出てきます。--Sube会話2014年7月25日 (金) 14:11 (UTC)[返信]

ありがとうございます。発足時の経緯が書かれている「日独防共協定」やWW2の枢軸国の主要国である日独伊の条約という観点が大きい「日独伊防共協定」は使用例が多いのですが、「防共協定」もそれなりに使用例が確認できるので、問題なさそうです。
>日独伊洪満防共協定とか日独伊洪満西防共協定などの項目を建ててもしかるべき事になってしまいます。
そういう記事が作られない、又は書籍で「日独防共協定」又は「日独伊防共協定」と比較して使用例が少ないのは、WW2の枢軸国の主要国である日独伊の条約という観点が大きいのだと思います。日独伊以外の他の国は日独の傀儡国家だったり、スペインは枢軸国寄りだけど枢軸国自体にはカウントされなかったり、フィンランドはドイツ軍駐留こそ認めていたものの、フィンランド軍の行動自体は対ソ戦争(継続戦争)に多く注がれており、西側諸国から見れば日独伊ほど注目度が薄いというのが影響しているのかもしれません。
実際、発足時の経緯が書かれている「日独防共協定」やWW2の枢軸国の主要国である日独伊の条約という観点が大きい「日独伊防共協定」はそれなりの分量が見込めたから単独記事になったのでしょうが、四国以上の防共協定は単独記事になっても、前述からそれほど分量は見込めないと思います。--TempuraDON会話2014年8月2日 (土) 03:52 (UTC)[返信]

ありがとうございます。三国同盟とかでも同じなのですが、締結時は誰もが知っていても、後半期になると注目度がかなり落ちる事象なのでやむを得ないところもあるかと思います。まず日独防共協定を防共協定にうつし、日独伊防共協定を統合する措置に移らさせていただきます、--Sube会話2014年8月3日 (日) 04:03 (UTC)[返信]