ノート:釈迦堂

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「曖昧さ回避」ページに変更の提案[編集]

残念ながらこの項目「釈迦堂」は百科事典的解説になっていません。適切な内容に修正するには、現在あるテキストを大部分消去せざるをえませんが、仮にそうしたとしても、百科事典的内容に書きかえるのは至難のわざだと思います。そもそも、「釈迦堂」というのは、平安時代後期に数多く建てられた「阿弥陀堂」のような特定の形式や時代背景をもった建築を指す学術用語ではなく、それぞれのお堂やお寺に付けられた固有名であると思われます。つまり、「○○釈迦堂」という個々のお堂やお寺の説明は書けても、「釈迦堂とは・・である」という形で一般的な記述をすること自体が無理だと思われます。よって、このページについては、「清凉寺」(通称嵯峨釈迦堂)、「大報恩寺」(通称千本釈迦堂)などのページへ誘導するための「曖昧さ回避」ページにしてはどうかと思います。

一週間ほど待って、特に反対意見がなければ「曖昧さ回避」ページに移行させたいと思います。現状の記事のどこが「百科事典的解説になっていない」のかについてもう少し具体的に説明せよとのご指示があれば説明いたしますが、大変長い説明になりそうです。 Urania 2006年1月9日 (月) 03:23 (UTC)[返信]

特に反対ではありませんが向学のため説明お願いします。+- 2006年1月13日 (金) 11:58 (UTC)[返信]

ご要望がありましたので、本項目の記述のどこに問題があると考えるかを説明します。間違っている点ばかりを長々と列挙するのは気乗りのしない作業で、執筆してくださった方々には申しわけありませんが、「利用者に誤解を与えない内容にする」という意図以外に他意ありませんのでご了承ください。(以下の説明には「釈迦堂」の2006年1月3日 (火) 01:45 の版からの引用が含まれます)

たとえば「阿弥陀堂」の場合は、個々のお堂に付けられた固有名としての用法のほかに、建築史・美術史方面では、平安時代後期に集中して建立された浄土教系仏堂を指す専門用語として用いられます。この場合の「阿弥陀堂」は円仁(慈覚大師)が比叡山に建立した常行三昧堂を源流とし、平面形式は一間四面(方三間)ないし三間四面(方五間)を基本とするもので、実例としては中尊寺金色堂、富貴寺大堂などを指して「平安後期の阿弥陀堂建築」と呼びます。一方、「釈迦堂」という語には個々のお堂ないしお寺に付けられた固有名としての用法しかないと思いますし、「釈迦堂(しゃかどう)とは、本尊として釈迦牟尼仏の像を安置するお堂のこと」という一般的な定義が妥当とは思われません。たとえば法隆寺金堂、興福寺中金堂の本尊は釈迦如来ですが、これらの堂を一括して「釈迦堂」とは呼びませんし、「釈迦堂建築」という形式もありません。

  • 「(釈迦堂は)七堂伽藍のひとつ仏殿に相当する」という説明は「間違い」と言いきるのは酷かもしれませんが、誤解を招く説明ではあると思います。禅宗寺院では伽藍の中心になるお堂を「仏殿」と称する場合が多く、仏殿の本尊は釈迦如来である場合が多いのは事実ですが、禅宗寺院でも釈迦以外の観音、地蔵等を本尊とする場合もあります(たとえば鎌倉建長寺仏殿の本尊は地蔵菩薩)。また、釈迦如来を本尊とする場合であっても、必ずしも「釈迦堂」と呼称されるとは限らず、「仏殿」「本堂」等と呼ぶ場合が大多数です。結局、そのお堂を何と呼ぶかはお寺さん次第であって、「仏殿=釈迦堂」ではないし、釈迦如来像を本尊とする仏堂を一括して「釈迦堂」と呼称することもないと思います。
  • 「堂は殿にくらべて、比較的小さな建物のこと」→これは明確に誤りで、「堂」には巨大なものも、小さなものもあります。東大寺大仏殿の正式名称は「東大寺金堂」です。その他、巨大な「堂」の例として金峯山寺本堂(吉野蔵王堂)、蓮華王院本堂(三十三間堂)、東西本願寺の御影堂・阿弥陀堂などを挙げておきます。
  • 「釈迦牟尼仏の仏像には、釈迦の仏舎利を収めるのが正式」→仏塔に関しては、その起源を考えれば、「仏舎利を納めるのが正式」と言えるかもしれませんが、仏像に関してはそのようなことはないと思います。仏舎利を納めていない釈迦像は「正式でない」という誤解を与えかねません。嵯峨清凉寺の釈迦像に人の歯を納めているような例はたしかにありますが、むしろ例外的なものです。
  • 「釈迦堂には、釈尊の骨が収められていることになり、納骨堂としての役割を与えられることがある。たとえば、千葉の本行寺釈迦堂は日蓮の歯骨を安置している」→ 特定の一寺院の事例から「納骨堂としての役割を与えられることがある」と言うのはいかがなものでしょうか。
  • 「しかし、鎌倉時代になり新興仏教宗派が勃興するとともに、釈迦堂を中心とした伽藍形式は少なくなった」→ 「釈迦堂」を「釈迦如来を本尊とする仏堂」の意にとったとしてもこの説明は妥当でありません。むしろ平安時代以前には薬師如来や阿弥陀如来を本尊とする寺院が多く、鎌倉時代になって西大寺の叡尊の釈迦信仰の影響や、禅宗の普及によって釈迦如来を本尊とする寺院が増えたといえます。
  • 「釈迦堂は、釈迦を本尊とする禅宗寺院に建てられることが多いが、宗旨替えをしたり信者の寄進などによって建立されるため必ずしも禅宗のみにある訳ではない」→ 「必ずしも禅宗(寺院)のみにある訳ではない」のはその通りですが、仏教の開祖である釈迦如来を祀る堂が多くの寺院にあるのは当然で、「宗旨替え」や「信者の寄進」とはあまり関係がないと思います。Urania 2006年1月15日 (日) 04:39 (UTC)[返信]


なるほど、よくわかりました。解説ありがとうございます。+- 2006年1月21日 (土) 23:38 (UTC)[返信]