ノート:那須信吾

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どうも、この記事の中の、「土佐藩の家老を務める浜田光章の三男として生まれる。」の部分だけはおかしいように思われます。 当時、郷士と上士とは非常に反目していました。藩家老という上級武士の息子が郷士の婿養子になり、しかも土佐勤皇党に入るというのは、どうも妙です。 確かに、吉田東洋は藩閥家老を攻撃していたので、吉田と家老との間で確執があったのは分かるのですが、それでも家老の子が郷士になってまで暗殺するでしょうか。 家老の家来(郷士)の三男であった、とかそういう事ではないでしょうか?