ノート:遺伝子汚染

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

疑問点[編集]

「メダカが全体としてもっていた遺伝的多様性や、それに起因する環境適応の多様性は失われてしまう。」とあるが、「遺伝子汚染」自体では「遺伝的多様性」は失われないはずです。その後の淘汰を含めれば全くの間違いではないでしょうが、少し舌足らずではないでしょうか。Penpen 2007年4月30日 (月) 01:52 (UTC)[返信]

なるほど、ご指摘のように確かに言葉が足りないかもしれません。それで直し方については2通り考えつきました。一つはメダカを放流してはいけないのは「遺伝的多様性が喪失するから」というよりは「遺伝的多様性を保全するため」という説明です(むしろ短期的には遺伝子汚染は遺伝的多様性を高めることになるかもしれませんし)。ただし、野生メダカのような絶滅危惧種の場合、容易に遺伝的多様性が失われるようにも思います。淘汰もあるかもしれませんし、移入種の方が量的に圧倒すれば遺伝子頻度が大幅に希釈されます。遺伝子汚染の項目には前者の説明が適しているように思いますが、あるいは両方あわせて書くべきかもしれません。つまり、項目の趣旨としては、多様性保全のために遺伝子汚染を防ぐべきであることを説明し、特に野生メダカのような場合を考えると、遺伝子汚染は多様性の消失に容易につながることを説明する、と。私はいまひとつ集団遺伝学や環境学が苦手なので、他の適切な説明もありうる気がします。詳しい方のご指摘がいただけたらありがたいです。また、野生メダカ以外にも侵入種によって遺伝的多様性が失われる可能性が高い例も他にあると思いますので、それについても触れられると良いかもしれません。なお、私が書いた項目の文章に改善すべきことがあればどうぞ遠慮なく修正して下さい。電気山羊 2007年4月30日 (月) 08:28 (UTC)[返信]
とんでもないことをいうと思われるかもしれませんが、「実は」遺伝子汚染は遺伝子遺伝的多様性を増加させると思っています。それは、次のような理由です。ある生物のある同一の染色体上の異なる対立遺伝子の組Aとa,Bとbがあるとします。ある亜種の染色体はABだけであり、他の亜種の遺伝子はabだけであるとします。この2つの亜種の間で交配が起きると遺伝子汚染が発生し子孫にはABとabの染色体が遺伝することになりますが、このほかに交叉によりAbの染色体とaBの染色体も発生します。元はABとabの2種類の染色体しかなかったのに、子孫にはAB,Ab,aB,abの4種類の染色体が遺伝することになり、遺伝子多様性は増加することになるというのが私の考えたことです。染色体の多様性と遺伝子多様性は違うものなのかもしれませんが、複数の遺伝子が共同して働くことも多いはずで、これも遺伝子多様性のうちのように思うのですが。Penpen 2007年5月1日 (火) 14:37 (UTC)「遺伝子多様性」ではなく「遺伝多様性」でした。すみません。Penpen 2007年5月1日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
基本的にその理解で良いと思います。遺伝子汚染は(善し悪しを抜きにして、少なくとも短期的には)遺伝的多様性を増加させます。またそれは雑種を作る場合に限りません。なので、その説明はあった方がいいかもしれません。が、とりあえずは遺伝的多様性の「喪失」については触れないほうが妥当かなと思いました。あまり正しいと主張する自信がないですし、うまい説明に書き換えられないので、詳しい人に下駄をあずけようと思います。それで、改変案としては遺伝的多様性の「保全」(あるがままに残す)に重点を移してお茶を濁すのでどうでしょうか。「放流は遺伝的多様性を不可逆的にかく乱し、それぞれの個体群が持っていた環境適応の多様性が失われてしまう。」のようなかんじです。環境適応の多様性は遺伝子のデリケートな組み合わせによって決まってるんでしょうね。これはPenpenさんの疑問に対して明解な回答にはなっていないのですが、内容のまずいところを解決することはできるのではないかと思います。電気山羊 2007年5月1日 (火) 16:09 (UTC)[返信]
生態学畑の人間からひとこと。遺伝的多様性とは、2種類の多様性の総和とみなすべきなんです。つまり、ひとつは個体群内の遺伝子プールにキープされている遺伝子の多様性と、もうひとつは個体群間のheterogeneityの高さです。物理的、生物学的障壁などで隔離されていた個体群由来の個体をある個体群に導入することは、一時的に前者の多様性を上げますが、同時に後者の多様性を即座に下げます。これは情報理論のセオリーで考えてみればご理解いただけるかと思います。また、ある個体群内にキープされている遺伝子プール内部の多様性も、その維持機構がまだまだ生態学的に研究途上であるとはいえ、こうした撹乱を受けることで、結果的には低下する方向に平衡状態がシフトする危険性が高いと考えられています。ですから、まぁ放流は遺伝的多様性を喪失させているのは誤りではないんですよ。特に、生態学畑でない人にとっては、後者の多様性のことがピンと来ないことが多いんですけどね。わかりやすく言うと、いろんな種類の絵の具の組み合わせ、混ざり具合の異なったピースでモザイクを作った状態が個体群間のheterogeneityの高い状態、均質に撹拌してしまった状態が、そのheterogeneityが完全に消失した多様性の低い状態ということになります。--ウミユスリカ 2007年5月1日 (火) 22:09 (UTC)[返信]
横から失礼いたします。皆さんのご見解は正しいですし、ウミユスリカさんのご見解が一番的確だとは存じますが、専門家以外には判りにくいと存じましたので、しゃしゃり出てきました。私は生態学関連者ではありませんが少し補足させていただきます。ウミユスリカさんの仰っている「個体群内の遺伝子プールにキープされている遺伝子の多様性」とは、Penpenさんと電気山羊さんが触れていらっしゃる個体群内の遺伝的多様性に相当します。電気山羊さんとウミユスリカさんの触れていらっしゃる「個体群間のheterogeneityの高さ」については、遺伝子構成が異なった種(または亜種)が存在すること=種多様性に相当します。遺伝的多様性および種多様性の記事内容の正確性には多少疑問を持っているのですが、生物学専門以外の方には記事内容の様に理解していただいた方がいいと思っております。遺伝子汚染は、前者の遺伝的多様性を増やすことにはなるが、後者の種多様性を減じることになります。ウミユスリカさんの表現を借用し、敷衍すると、色々違いがある絵の具があって、そのうち一種の色で塗りつぶし、ほかの色を消してしまう状態…というのが遺伝子汚染の比喩といえるのではないでしょうか。--Janus01 2007年5月2日 (水) 14:37 (UTC)[返信]

Janus01さんがあえてわかりやすく表現した部分で、場合によっては誤解を生む可能性があると危惧した部分があるので補足します。「遺伝子構成が異なった種(または亜種)が存在すること=種多様性に相当します」の部分ですが、種や亜種レベルの違いに達していなくても、同種(あるいは同亜種)の隣接個体群間で、微妙に遺伝子組成が異なって、異なる環境適応をしていることが多いことが知られています。たとえば、同じ地域のメダカでも、隣り合った水系で異質な遺伝子組成(生活史の中の繁殖スケジュールや生活史戦略に影響がある体形の違いをもたらすものが実際確認されている)が生じていたりします。もちろん、隣接個体群は完全に遺伝的に隔離されているわけではないので遺伝子浸透は常に生じているわけですが、そういう動態も含めて、モザイク状の多様性が動的に維持されているわけです。そこに人為的な個体の移動が撹乱要因として入り込む(たとえが自然では起こりえないほどの多数個体の移入、遠隔個体群を構成する個体の移入、特定の遺伝子構成の個体の子孫だけを大量増殖しての再移入など)と、こういう動的な多様性維持機構が失調してしまうわけです。まぁ、こういう「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」というような方丈記的な動的平衡理解というのは、意外に多くの人が現実に起きている現象に即してイメージするのは困難で、それ故の通俗的誤解というのが非常に生じやすいというのが実情ではあるのですが。--ウミユスリカ 2007年5月2日 (水) 16:19 (UTC)[返信]

とりあえずサケ科の例等々を記述しました。「よどみに浮かぶうたかたは...」ですか。その昔、ガッコで聞いたことがありますね。古文や近代史を除く歴史にはあまり興味がなかったんで、すっかりご無沙汰してましたが、こういうメジャーな頻出作品はよく覚えてますよ
こっちも以前は、休日など徒然なる時は、日暮らしの如く硯にむかふときもありましたが(wikiではNGなんで「そこはかとなく書きつくる」のではありませんが)、最近は副業も含めて雑事に追われて多忙で、精魂尽きて頭痛がひどく気力が持ちませんし、まとまった時間を取るのも困難なのが実情ですが(釣り・音楽・映画・ドライブ・冬はスキー、その他進歩が早すぎるトンネリングとかの最近のIT関連技術に想う心にうつりゆくよしなし事... などなど他にもやる趣味が多いのも手伝って)。
まあ、在来個体群の純血性を維持しながら、なおかつ多様性も図るとなると、ここらのバランスは非常に難しいものですね。どうせ人為的でなくとも何千、何万年というスパンで見たら、大規模な地殻変動などの天変地異も手伝っていずれは雑種と化してしまい、「化石のみぞ知る」状態になるんじゃあないのかなぁと推察する私なんですが。日本でもこれから火を噴く富士山の噴火によって静岡・山梨あたりの生物が大移動するでしょうし(東海道線も溶岩の中か)。 学部レベルであっても、種の保存に関わる学生さん等がいれば、netや本でなく、最新の詳しい事情を書いてもらえるかもしれませんね。
ただし、大金と時間ができたら欧露かどっかの湖を買い上げて各種サケ科の研究や実験をしてみたいなあと考えておりますが、そのとき完全隔離なんて保障できませんし、その上琵琶湖を豊富なサケ科であふれる一大釣りパラダイスにしようなんて目論む私にはこの問題に関わる資格なんてないでしょうけど。 しかし、最悪の場合、空論や冗談でなく温暖化による食糧難と人類のためにやむを得ずとも、大きく美味で適応力が高い新たなサケ・マスを開発して分布させる無茶も仕方なくなるかもしれませんが。 その前に、何でベニザケの母川回帰能だけがサケ科の中で突出して高いかのメカニズムを嗅覚のみならず脳神経やわずかな磁気感知能など回帰に影響するあらゆる感覚器を、微に入り細に渡り早期にほぼ完全に解明して他のサケ科にも容易に導入できるような技術を確立しておくことも回収率を上げるためにも最重要課題の一つかもしれません。
 では。 --メリケン・ステーツ(首脳でないが)会談(beiträge) 2007年6月16日 (土) 18:02 (UTC)[返信]

大幅な改稿による明確化[編集]

個体群間の多様性の消失を明確化する方向で、大幅な改稿を行いました。この件については、関連する方々にお知らせし、特にウミユスリカさんには査読をお願いしてあります。--Janus01 2007年5月3日 (木) 16:56 (UTC)[返信]

関連文献を読み込んで加筆する必要もあろうかと思いますが、ちょっと体力的ゆとりがないので、目に付いたところを少しいじってみました。--ウミユスリカ 2007年5月12日 (土) 12:38 (UTC)[返信]

記事の中立性[編集]

遺伝子「汚染」概念の使用に対する論争は表現そのものへの批判的な思想への誘導が目立ちます。特に第二段落は極論を述べている一例を元に、それが用語使用者の考え方の万事のように表現し、都合のいい書籍を3件挙げて参考文献として例示している上、「切捨て」「黙殺している」というセンセーショナルな表現を用いていることが問題と考えます。よって、少々酷いと思える部分にアンダーラインを入れた上で、中立的な観点のテンプレートを入れさせていただきました。暫く様子を見て、納得のいく異論がなければ当該部分を修正させていただきます。 --210.159.228.93 2008年11月18日 (火) 15:28 (UTC)[返信]

追記一点。履歴をみると過去にも同じようなことがあったようです。そして、それを荒らし行為と決め付けて対話の姿勢をとらないユーザもいるようです。どうあれ、そういった経緯があるということはこの記事の偏りの証明とも言えますので、まずはここで意見を集めてまとめる必要があるでしょう。--210.159.228.93 2008年11月18日 (火) 15:39 (UTC)[返信]
すぐに戻す人が現れても困るので、要出典の貼り付けに同意を表明しておきます。この節は抜本的に中立化を図らなければならない気もしますが。範囲指定の出典要求にはTemplate:要出典範囲というテンプレがありますので、こちらもご利用下さい。- NEON 2008年11月18日 (火) 15:41 (UTC)[返信]
ごめんなさい。文書構造抜きに表示形式を制御する種類の、構造化文書の観点からみて少々不適切なuタグを使ってしまいました。要出典範囲テンプレの件、了解です。今回は徒に版を重ねてもよくないのでそのままにしておきますが、以後留意します。--210.159.228.93 2008年11月18日 (火) 15:52 (UTC)[返信]
テンプレートを貼って疑問を提示した者です。本件、特に意見もありませんでしたので、中立化を目指して編集しました。批判論へのプロパガンダ的な部分と、その流れで瀬戸口氏の言を借りた概念への批判論で締めた結びは、ばっさりカットしています。--210.159.228.93 2008年12月18日 (木) 14:22 (UTC)[返信]