ノート:運慶

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無著・世親像は正確には運慶作ではなく、運慶の息子などといった一門で製作したものです。 それによく見てみると顔の大きさと体の大きさのバランスがうまく出来ていません。 更に肘の表現もうまく出来ていません。

--121.82.213.72 2006年11月29日 (水) 12:12 (UTC)はかせ[返信]

確かに、これ(無著・世親像)が日本彫刻史上最高か?と言われると一点の曇りもなく「はい」といえるかなあどうかなあ、が率直な感想です。しかし、Wikipediaウィキペディアンの感想を書くところではなく、むしろ美術界においてそのような評価があるのならそれを書くのがWikipediaなのですね。一門で製作したのはそのとおりのようです。[1]--58.70.15.27 2006年12月30日 (土) 16:43 (UTC)[返信]

運慶の真作について[編集]

興福寺北円堂の弥勒仏や無著・世親像については、素直に「運慶作」と考えた方がよいと思います。運慶が仏師工房のリーダー、制作統括者として、息子や弟子の小仏師たちを指揮して作った仏像は「運慶作」と見て差し支えないと思います。北円堂諸仏が運慶一人の作ではなく工房作であることは、今までに出た図録、解説書等にはっきり書かれており、研究者や多少仏像に詳しい人にとっては自明のことです。弥勒仏が昭和26年に国宝に指定された際の官報告示の名称には「運慶作」とした上で、「台座内枠に源慶、静慶、湛慶(中略)等の仏師名がある」として、運慶以外に8名の仏師の名が明記されています。この像の国宝指定に当たって調査をした先学たちは、実際にノミを振るったのは源慶らであることは百も承知の上で、この像を「運慶作」としているのです。「運慶作」というのは、木取りから荒造り、彩色仕上げまで運慶がすべて一人でやったという意味ではありません。近代の芸術家と中世の仏師とでは「作家」としての意識が全く違うと思います。親方が工房を構え、弟子を使って制作するのは、西洋の古典絵画彫刻でも同じことではないでしょうか。北円堂の諸仏が運慶作でないと言うのであれば、誰もが運慶の代表作と認める東大寺南大門の金剛力士像も運慶の作品ではないことになります。このウィキペディアの「運慶」のページにも「運慶が一門の仏師を率いて・・」とはっきり書かれています(その部分は私が投稿したのですが)。Urania 2007年3月21日 (水) 16:29 (UTC)[返信]

東大寺の重源上人像について[編集]

利用者:浩さんから、私の会話ページに「『作風、納入品などから運慶作にほぼ間違いないとされる作品』」に、東大寺俊乗堂の「重源上人坐像(1206年頃)』を加えたいと思いますが、ご意見をお聞かせ下さい」との書き込みをいただきました。さきざきこのページ(「運慶」)を見る人の参考のために、こちらのノートページでお答えするほうがよいかと思ったので、こちらに書かせていただきます。ノートページへにご返事する前に、本文の編集の方を先に行ってしまいましたが、ちょっとフライングだったでしょうか。もしご異議ありましたら、ここのノートページなりにご意見をお願いします。

運慶の作品一覧については、(1)真作、(2)推定作、(3)運慶作とする説があるもの、の3段階に分けてみました。(1)は、円成寺大日如来像など、「運慶作」ないし「運慶工房作」ということで、研究者間にほぼ異論がない作品です。(2)は金剛峯寺八大童子像など、像自体には銘記はない(または発見されていない)ものの、作風、史料、伝来、納入品等から運慶作と推定されている作品です。2004年に東京国立博物館が調査した個人蔵大日如来像についても、詳細な調査記録が公表されており、ここに分類してよいと思います。なお、「運慶作にほぼ間違いないとされる作品」という、誤解や論議を呼びそうな言い回しでなく、「運慶作と推定される作品」の方がよいかと思います。これらの像が「運慶作」と推定されている理由については、長くなるので割愛します。(参照:『週刊朝日百科』「日本の国宝57」所収、山本勉「康慶と運慶」)。 さて、東大寺の「重源上人坐像」はたしかに傑作で、老僧の曲がった背中、左右大きさの違う目などをリアルに表現しながら下品にならず、「このジイさん、ただ者ではない」と思わせる威厳があります。この像を造った仏師は運慶その人であるかどうかは別にしても、やはり相当の大物だと思います。いくつか調べてみましたが、『東大寺のすべて』(特別展図録、奈良国立博物館、2002)では鷲塚泰光氏が「上人の謦咳に接した慶派仏師の手」になるものであろうとしており(p36)、岩田茂樹氏は「運慶を作者に擬する説はたしかに魅力的である」(同書p175)として、慎重に断定を避けています。『週刊朝日百科』「日本の国宝53」(朝日新聞社、1998)で俊乗上人(重源)像の解説を書いている松島健氏は、運慶作ではなかろうかという含みを持たせつつも、「作者は明らかではない」とし、「慶派の有力仏師」の作であろうとしています。その他の資料もいくつか見てみましたが、専門家は一様に「生前の重源と交流のあった、慶派の有力仏師」の作であろうとしています。以上により、重源上人像については「運慶作と推定される作品」ではなく「運慶作とする説がある作品」あたりにとどめておくのが妥当と思われます。Urania 2007年3月24日 (土) 07:14 (UTC)[返信]