ノート:逆説の日本史

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作品評価に関して[編集]

2007年2月24日 (土) 23:21の版における

>しかし、現実には文献史学、民俗学の既成の研究成果を継ぎ接ぎして「独自性」を自称しているだけであり、学会からは全く相手にされていない。門外漢の小説家が書いた素人向けの日本史概説書である。

の部分ついて、中立性の問題があると思われることと、記事冒頭部末尾の、評価に関する文について編集合戦の様相を呈しているので、「評価」の見出しを別に作成しました。まずは原則に立ち返り、出典を明示しての評価の記載から始めていくのが良いと思うのですがいかがでしょうか。takmaki 2007年3月3日 (土) 14:35 (UTC)[返信]

中立性に問題があるのは無知蒙昧な信者が書き込んでる妄想マンセー評価でしょう。だいたい、井沢のことなんか歴史学会で評価している人なんかいるの?「史料絶対主義を排し」なんて自分が歴史に無知なのを自慢しているだけでしょう。あんなのを研究なんて書き込こむなんて井沢への悪質なほめ殺し以外の何ものでもないよ。かえって井沢に失礼だ。--60.39.168.120 2007年3月4日 (日) 22:43 (UTC)[返信]

「井沢新説」が歴史学会で評価されていないこと自体は、それが事実ならば、「客観的な記述でなら」記載してかまわないと思います。たとえば「現状、本作品で提示されている新説で、歴史上の定説として学会から認められたものは無い」などの形です。これなら検証が可能です。もっともこの記述はあくまで一例で、それが事実かどうかは私にはわかりませんので私が記載することは控えます。それと現状の記事に「妄想マンセー評価」している箇所は自分には特に見あたらないのですが、もしそういう箇所があるならば問題提起いただけるといいと思います。takmaki 2007年3月11日 (日) 01:32 (UTC)[返信]

井沢説が学界でどう位置づけられているかは、『史学雑誌』の毎年5号に掲載される「回顧と展望」にどう取り上げられているかで概ね客観的に窺い知ることができます。「回顧と展望」でまったく言及されていなければ、学術的に認められない憶説と考えてよいでしょうから、本文にもその旨を記載しておく(つまり歴史学的に信頼性のない説であると明記しておく)必要はあるだろうと思います。余裕があれば今度『史学雑誌』を調べておきますが、余裕がないかも知れないので他の方にご協力いただけると大変助かります。--shimoxx 2007年6月4日 (月) 16:57 (UTC)[返信]

関連項目について[編集]

関連項目に立花隆が挙げられているのですが、どういった接点があるのでしょうか?--でここ 2007年6月4日 (月) 08:34 (UTC)[返信]

  • 立花隆が門外漢でありながら科学の一般向け概説書を書いて、一般人からは「知の巨人」と呼ばれているが、専門家からはその内容が嘲笑されたり批判されている。井沢も門外漢で日本史の一般向け概説書を書いて歴史に無知な人間の中には支持者が多いが、専門家からは嘲笑されているところが共通点なのでしょう。--以上の署名のないコメントは、58.88.61.226会話投稿記録)さんが 2007年6月4日 (月) 22:42 (UTC) に投稿したものです。[返信]

なんとなく察しがついてましたが、そういう意図なのでしょうか。関連項目に挙げるのが妥当かはともかく、関連性がわかりにくいんじゃないかと思います。立花氏のサイエンス関係の仕事は、先端科学の研究室リポートといった印象で、それ以前から続く氏のジャーナリストととしての仕事と連続していると考えます。別に「逆説」を唱えているわけでは無いし。対して井沢氏の著作は、門外漢なりに推理を重ねて歴史上の定説に対して逆説を提示していく歴史探偵と言った印象で、個人的には言われなければ関係性がはっきりわかりません。。--でここ 2007年6月5日 (火) 15:50 (UTC)[返信]