ノート:迹見赤檮

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出自について[編集]

太田亮『姓氏家系大辞典』によると、登美氏(登美首)には上毛野氏族と物部氏族の二流があり、迹見赤檮が属する登美首は後者(物部氏族)と明記されています。従って、上毛野氏族と断言するのであれば、二次資料による出典明記が必要と考えます。--Snap55 2010年1月3日 (日) 01:59 (UTC)[返信]

古代史料上における登美氏で物部系のものは、連姓のみです。首姓であることが明らかな上毛野系登美氏が存在する以上、赤檮の出自についても上毛野氏同族と見るのが一般的です(佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣:萩美津夫執筆の登美の項。ただし萩氏は百済系渡来人をそのルーツにあてる)。出典については、姓氏録のみで十分と思います。史料よりも太田亮の私見(ずいぶん古い説)のほうが正しいとする根拠を挙げるのは、かえって難しいのでは。--113.150.248.170 2010年1月4日 (月) 04:29 (UTC)[返信]

:ご回答ありがとうございます。

出典と思われる文献(佐伯有清編『日本古代氏族事典』)をご提示いただきましたので、現時点では本文の内容について了解いたしました。但し、出典明示方法について、以下の通り意見を表明させていただきます。
論理の流れとしては以下と理解しています(但し、現時点では『日本古代氏族事典』を閲覧していないため、『日本古代氏族事典』が③の証明資料として適切であると仮定)。
①物部氏系の登美首は古代史料上存在しない。【出典不明。または『日本古代氏族事典』】
②上毛野氏系の登美首は古代資料上存在する。【『新撰姓氏録』】
③①②より、迹見赤檮の出自たる「登美首」=上毛野氏系とするのが一般的。【『日本古代氏族事典』】
上記を踏まえて、以下理由により、出典は『新撰姓氏録』ではなく『日本古代氏族事典』とすべきです。
●一次資料より二次資料を優先すべき
  • 『新撰姓氏録』『日本古代氏族事典』のいずれも③を証明する資料とみなせる場合、Wikipedia:信頼できる情報源にある、「一般に、ウィキペディアの記事は一次情報源に基づくべきではなく、むしろ一次情報源となる資料を注意深く扱った、信頼できる二次情報源に頼るべきです。」のルールに基づき、③の出典としては、二次資料である『日本古代氏族事典』を採用すべき。
  • 一次資料である『新撰姓氏録』が①を証明する資料とみなした場合、二次資料である『姓氏家系大辞典』が①に対して否定的に著述されている(「新撰姓氏録」で上毛野氏系の登美首が存在することに言及した上で、別に物部氏系の登美首が存在するとし、迹見赤檮の出自を後者としている)ために、①の真実性に疑義がある。
●『新撰姓氏録』は必ずしも①を肯定していない
  • 『新撰姓氏録』の内容は、物部氏系の登美首が存在することと論理的に矛盾しない。その上で、一次資料である『新撰姓氏録』を解釈して①の根拠とするのは独自研究の懸念がある。
--Snap55 2010年1月4日 (月) 14:38 (UTC)[返信]
『日本古代氏族事典』を入手の結果、当書籍では③を肯定していないことを確認しましたので、上記コメントは取り消しさせていただき、本文も3資料の記述を併記した内容に修正させていただきます。--Snap55 2010年1月5日 (火) 14:18 (UTC)[返信]