ノート:足利春王丸

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生年と享年[編集]

生年が"?"つきながら応永35年(1428年)になっていて嘉吉元年(1441年)没だと、享年は14になりますが、本文中では13になっています。享年と生年、どちらが正しいのでしょうか…? --トホホ川 2009年10月13日 (火) 23:29 (UTC)[返信]

  • 『喜連川判鑑』では享年13歳とあります。享年での換算が疎かったので、訂正します。指摘ありがとうございました。--ただいま昇天中 2009年10月16日 (金) 05:50 (UTC)[返信]
    • 『永享記』には12歳と注記を付けられておりますが、実は『東寺執行日記』嘉吉元年4月16日条には「十一歳安王殿・十二歳春王殿」、『師郷記』嘉吉元年5月19日条には「関東若公両人」は「十二歳与十歳也」と書かれており、むしろ『永享記』の方が裏付けが取れるのです。実は持氏の13歳の息子に関しては、『看聞日記』嘉吉元年5月4日に結城城に籠城した兄は13歳とする記事があるのですが、同時にこの時に籠城した息子は3名でその実名がないため春王丸とは断言できず、むしろ義久と春王丸の間に男子がいたとする説もあります(田口寛氏の説、田口氏はこれを成潤に充てています)。ですので、12歳に訂正するのが妥当ではないかと思われます。--水野白楓会話2016年11月26日 (土) 21:17 (UTC)[返信]