ノート:谷三十郎

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>>慶応二年四月一日 三十郎の死体が祗園八坂神社石段下で発見された。

とされているところを

東山祇園社(現在の八坂神社)に改めました。理由は、「八坂神社」が明治初年に行われた廃仏毀釈によって生まれた表現だからです。当時は祇園社と呼ばれていたようです。その祇園さんの周辺の地域ということで祇園という地名が生まれたわけで、その辺の事情もこのように記述することで知ってもらえるのではないでしょうか。平 誠 17:06 2004年3月20日 (UTC)