ノート:西大井駅

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「歴史」の項について[編集]

当駅の設置経緯は「新横須賀線西大井駅建設費支出禁止住民訴訟」及びそれに至った旅客化の前のいくつかの出来事を抜きには語れないのですが、この記述「だけ」では、旅客化の後の地元要望を契機に駅が設置されたとしか読めず、悪く言えば出鱈目です。

また「当初は駅業務が第三セクターに委託されていた。」は事実かな思いますが、上述訴訟で品川区側が敗訴したことで品川区が当駅の建設・運営費用を支出できなくなった=第三セクターが支出していたことの方が、事の本質であろうかと思います。

まだ全体を調べきれておらず改訂文が書けていないのですが、放置するのも問題と思いましたので、ひとまずは現在の記述「品鶴線旅客化(SM分離)。以後、地元住民や周辺企業のニコンなどからの駅設置要求」に「要出典」を付けることから始めることにします。この部分は事実なら、最終的にも残したらよいと思います。--クモハモハ大王 2008年5月3日 (土) 08:23 (UTC)[返信]


ひとまず、現時点での調べ。
  • 1969年(昭和44年) 国鉄が品川区に対して、品鶴線旅客化案を提示
  • 1972年(昭和47年) 東京二区選出衆議院議員(5人、超党派)等が、西大井駅設置等の品鶴線旅客化5条件を運輸省および国鉄に申し入れ
  • 1973年(昭和48年) 品川区は国鉄に、国鉄負担による駅建設、開かずの踏切対策、騒音対策(旧3条件)を提示し、3条件が実現されない限り品鶴線旅客化に反対する旨を申し入れ
  • 1975年(昭和50年) 国鉄が品川区に、地元負担による駅建設案を提示。品川区議会が地元負担による駅建設等(新3条件)を可決。品川区と国鉄が覚書を締結
  • 1978年(昭和53年) 駅建設費に品川区の公金投入を違法とする「新横須賀線西大井駅建設費支出禁止住民訴訟」提起
  • 1980年(昭和55年)2月12日 品川区議会が10月開業反対決議。6月10日 住民訴訟で原告勝訴(品川区の公金支出差止)判決。10月1日 国鉄は品鶴線旅客化を強行
  • 1983年(昭和58年) 第三セクターによる駅建設開始
  • 1986年(昭和61年)4月2日 旅客開業
過不足など、ご指摘下さい。判決後に第三セクター方式に移行した経緯が、イマイチ調べきれていません。--クモハモハ大王 2008年6月1日 (日) 08:34 (UTC)[返信]
申し遅れましたが、以上の出典は「新横須賀線西大井駅建設費支出禁止住民訴訟」の判決書と、昭和55年前後の国会会議録です。--クモハモハ大王 2008年6月6日 (金) 14:51 (UTC)[返信]
本文に転記しました。不足の点は、引き続き加筆をお願いします。なお、旅客化「強行」の表現は考えましたが、「区議会決議に左右されることなく」というニュアンスとして残してあります。よい表現があれば直してください。--クモハモハ大王 2008年6月15日 (日) 04:18 (UTC)[返信]

岩見と申します。クモハモハ大王氏の編集意図は理解しましたが、それとは別の経緯で本項を知ったので一言。

駅設置の経緯ですが、現状では出典の明記として見た場合、厳密には若干不備が残っている状態です(更に厳密に言えば記事全体を見ても出典不備ですな)。昭和55年前後の国会会議録と申されましても、各会派の発言内容、日時はおろか衆議院なのか、参議院なのかすら分かりません。また、品川区の公金投入を違法とする訴訟に勝訴したにも関わらず、SM分離が「強行」されたように読めますが、これはK-SYAN氏の問題視ではないですが、POVに抵触するのではないですか。誰が「強行」と言ったのですか?問題なのはニュアンスもそうですが、誰が言ったかという点でしょう。

というか、そもそも論で行けば、これだけの情報で利害関係のある両行政組織(当時は国鉄ですから国鉄にもそういう性格が残っていると言うのがこの訴訟の肝な筈ですが)の内の一方、それも経営への関与どころか、一円の公金も支出していない側に立ったような記述は如何なものでしょうか。強行という表現を残すのであれば、SM分離を早急に行わなければならなかった背景、(それでも当時かなり計画遅延していたが)、つまり東海道線系輸送体系の異常な混雑について触れておくべきでは?今は手元に無いですが、当時は『鉄道ジャーナル』辺りで国鉄の人が色々書いていたから探せばありそうですよね。大体基礎自治体以下の権能しか与えられていない地方公共団体が反対を決議したからと言って、何の法的拘束力も無いし、SM分離自体には、品川区内から訴訟は起こされていないですよね。

岩見浩造 2009年6月30日 (火) 13:49 (UTC)[返信]