ノート:藤原頼長

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男色の記述について[編集]

男色に関する記述を除去しておられる方がいますが、ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。とガイドラインに明記されております。Wikipedia:検証可能性等をご確認下さい。東野治之は奈良大学の史学の教授、五味文彦は歴史学者として東京大学名誉教授で両氏の論考・著作は信頼性に足りうる出典ですし、そもそも藤原頼長自身の日記である『台記』に描かれており、本人と、当時の風俗を描く上で、積極的に説明こそすれ省く理由は全くない記述です。名誉毀損を考慮せねばならない存命人物でもなく(Wikipedia:存命人物の伝記)、Wikipedia:冒涜においても「ウィキペディアの百科事典としての使命には、人を不快にさせるかもしれない刺激的な内容を収録することも含まれます。ウィキペディアでは検閲は行われません。」と謳われております。男色そのもの項目もあります。言葉自体が卑猥なわけでもありませんので、記述の削除は不適当です。--ジャムリン 2011年1月22日 (土) 00:13 (UTC)[返信]

よしんば存命中の人物であれ、女色に関する記述を削除する必然性が無いのと同様に、男色に関する記述を削除するべき正当な理由は全く見当たりません。--以上の署名のないコメントは、124.255.0.111会話投稿記録)さんが 2011年4月8日 (金) 18:31 に投稿したものです。--124.108.248.86 2011年4月9日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
上に同じです。頼長の男色はNHK歴史秘話ヒストリアで、「“悪の華”は平安京の夜に開く ~キケンな貴公子、藤原頼長~」でも検証された通り、その当時においてきちんと歴史的意義を持つものです。そのようなことも考えず、個人の感情的な理由で、ノートでの議論もなしに削除されるべきではありません。記述をすぐに復活させるべきです。--Takuma-sa会話2012年5月27日 (日) 12:52 (UTC)[返信]

関連項目について[編集]

この編集以降、同節への掲載や除去、節名の変更などが何度も行われています([1][2][3][4][5][6][7][8][9])。途中で要約欄に「Wikipedia:関連作品#基本的な考え方を充足していない」というコメントもありましたが、Wikipedia:関連作品#不適切な関連作品の掲載を見つけたらには、「掲載すべきでない作品であるか否かの判断は難しいものです。「掲載すべきでない」と考えて除去やコメントアウトしたものが差し戻されたり、再掲載されることもあります。この場合には、除去を繰り返すべきではありません。その記事のノート等で議論してください」とあります。現在は関連項目に主題にした作品として「歴史秘話ヒストリア」が載っている状況ですが、もし節名の変更や掲載項目の除去等をされる場合は、本ノートで議論し合意を得るようお願いいたします。--立花左近会話2012年8月5日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

現在の見出し名を誤解のないように修正させていただきました。異議のある場合にその異議な適当なものと合意がなされた場合は再変更願います。私は現在の「歴史秘話ヒストリア」を加筆しましたが、その後の変更履歴の流れを見ますに、主題プログラムであるにも関わらず「Wikipedia:関連作品#基本的な考え方を充足していない」として除去された方は、「登場作品」節ごと別作品が除去された直後に同節名で編集したために、除去編集のリバートか復活と誤解されたのではと推測いたします。その場合、始めから「関連作品」節として編集すべきところ、誤解を招く節名で加筆してしまったことをお詫びいたします。別理由での除去であった場合は、ご説明いただければと思います。--ジャムリン会話2012年8月8日 (水) 00:46 (UTC)[返信]
その後、問題は起きていないようですので、記事冒頭のテンプレートは除去しました。--立花左近会話2012年9月14日 (金) 15:01 (UTC)[返信]