ノート:荼枳尼天

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立川流(密教)の節の記事について[編集]

2010年12月4日 (土) にIP:124.147.93.129氏により「所謂、荼枳尼天法の「外法」のイメージはこの立川流などによって造られたものであり、荼枳尼天法自体は外法と言うわけではない。」との編集が行われました。しかしこれは「日本」の節での外法に関する記事と矛盾いたします。「日本」の節で引用された中世文学に出てくる荼枳尼天の修法は立川流ではありません。単に出典の記載が無い場合とは違い、出典提示の記事との矛盾は読者に混乱を引き起こすと思われます。申しわけありませんが、3日以内に出典が提示されない場合は、Wikipedia:検証可能性の観点から、該当部分を取り消させていただきたいと思います。ご了承お願いいたします。--Suyasuya 2010年12月5日 (日) 05:49 (UTC)Suyasuya[返信]

記述の順序について[編集]

インド仏教節は、後期密教の記述を含むため、「インド仏教」と「後期インド密教」に分割した後、後者を日本仏教より後にすること、およびチベット仏教もおなじ理由で同様の措置を取ることを提案します。時系列的な理由です--Ryo 625会話2016年9月28日 (水) 00:21 (UTC)[返信]

チェック 一週間以上、反対意見がなかったので編集を行いました。--Ryo 625会話2016年10月12日 (水) 17:58 (UTC)[返信]