ノート:花はどこへ行った

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ピート・シーガーのバージョンについて[編集]

以下の記述を踏まえ、要出典、独自研究のテンプレートを付けました。

「このオリジナルバージョンではカントリー色の強いもので、フォーク色はむしろ弱い。後年に発表されたものと比べてやや軽いノリとの印象を与える。ここから、元々は反戦歌を意図していたものではなかったことが伺えるのである。」

CD『エッセンシャル・ピート・シーガー』収録の音源を聴きましたが、「フォーク色」より「カントリー色」を感じさせる演奏とは思えませんでした。 カントリー・ミュージックの項目の記述にもあるように、アメリカの文脈におけるカントリーとフォークは、源流としては同じものであり、わざわざ区別する場合は、ラジオの普及期に商業化されたスタイルを「カントリー」、それに対して(しばしば左翼思想とも結びついて)本来の素朴なスタイルの延長線上で構築されるものを「フォーク」とするのが一般的ではないかと思います。それを踏まえると、わざわざ「カントリー色の強いもので、フォーク色はむしろ弱い」という言い方は、この演奏が、1920年代以降のラジオ普及期以降に、フォークには余り見られない、カントリー特有の表現技法を多く取り入れていることを示唆しますが、実際の録音を聞くと、極めてシンプルなバンジョーの弾き語りであり、歌唱法もバンジョーの演奏技法も、録音当時のカントリー音楽(既にこの段階でカントリーではブルーグラスの登場を経ている)とはまったく異なるものとなっています。

また、シーガーによる詞は、後年のヒッカーソンによる加筆後のバージョンよりは婉曲であるとはいえ、若い男性が「制服を着る」=兵士になる、という結末を嘆くというメッセージは明白です。「元々は反戦歌を意図していたものではなかった」というのは、にわかには信じられないところです。

上記の記述について、根拠となる出典があれば、記述をむしろ強化して、誤解が生じないようにして頂きたいと思いますし、特段出典が得られないのであれば、誤解を招く表現は削除されるべきであると考えます。いかがでしょうか。--山田晴通 2009年12月25日 (金) 03:53 (UTC)[返信]

特にどなたからも、何もコメントがないので、とりあえず、当該部分をコメントアウトにしておきます。さらに時間を置いて議論が無ければ、削除します。--山田晴通 2010年3月6日 (土) 18:19 (UTC)[返信]
コメントアウトを削除し、テンプレートも削除しました。--山田晴通 2010年10月6日 (水) 06:30 (UTC)[返信]