ノート:脚注

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ウィキペディアの脚注が誤解であるという記述について[編集]

ウェブサイトで特にこのウィキの場合は、本文の下に注釈があるので、脚注の定義を満たしていて、誤解とは言えないと思うのですが。

確かに、ウィキペディアが縦書きの本でしたら、記事の本文の最後に注釈があればそれは後注でしょう。しかし、ウィキペディアに何ページというのは無くて1記事1ページなわけですから、最後の注釈は脚注と呼んでもおかしくないのでは。これがおかしいとなると、英語版も訂正しなきゃいけなくなりますし。

その点も含めて、日本は縦書きも横書きもあるという特殊な国なので、まず日本語版では縦書きと横書きの条件の違いも盛り込んで記事をまとめた方が良いように思いますが、いかがでしょうか。--Villeneuve1982 2007年7月7日 (土) 10:22 (UTC)[返信]

英語版には"foot note"と"end note"の違いが書かれていますが、WEBページは"end note"でしょうね。 2007年7月9日 (月) 03:28 (UTC)[返信]
それを読んでも、WEBページの下の注釈が、end noteってのはおかしいように思うのですが…--Villeneuve1982 2007年7月17日 (火) 09:22 (UTC)[返信]
WIKIPEDIAにはディスプレー1面には到底納まらずにスクロールすれば延々と続く記事があります。これをも1ページと看做すのでしょうか? あくまでも世間一般で使われる印刷業の用語としてとらえるべきで、その意味で誤解している人は多いというのです。横書きで段落の途中であっても、そのページの最下部に印刷するのが脚注です。 2007年7月21日 (土) 04:09 (UTC)[返信]
1ページと見なして良いのではないでしょうか。”スクロールしないと読めないので、これは複数のページである”と皆が思ってるわけではなさそうです(スクロールも巻物、巻くという意味ですね)。印刷したときは複数ページになりますけどね。少なくとも、英語版ではウィキペディアの1つの項目をpageと単数形で書いてますし、最下部の注釈をfootnoteと書くのも一つの考え方としてあり得るもののように思います。  世間一般の脚注については誤解があるのは確かですね。--Villeneuve1982 2007年7月25日 (水) 08:37 (UTC)[返信]

(インデント元へ)そうですか、そのように看做す人もいるのですね・・・としか答えようがありません。長い巻物を1ページとはとても解釈できませんが。お経などで例えば有名な法華経は確か八巻ですが、これを8ページだというのは不自然だと思いませんか? 英語版ウィキペディアが正しいということなら、これは宗教ですね。

yahooBBに広域ブロックがかかっているために回答がおくれること悪しからず。 2007年7月28日 (土) 04:15 (UTC)[返信]

しかし、長い巻物は複数ページであるというのも無理がありますよね。そのひとつの事を1巻と呼ぶわけですし。極端に長い例は確かに微妙になってきますが、例えばヨーロッパの昔の巻物で、ほどほどの長さで、一番下に注釈がしてあれば、脚注になるんじゃないでしょうか。それに、物理的に本の後部にあるのが後注、本の下部にあるのが脚注だとしても、ウィキペディアの”脚注”は確かに物理的に画面の下にあるわけですしね。--Villeneuve1982 2007年9月2日 (日) 12:16 (UTC)[返信]
否、”ウィキペディアの”脚注”は確かに物理的に画面の下にあります”というのは誤解です。記事のどこに置くかは基本的に編集者の意図によります(通常、慣例的に脚注-外部リンク-カテゴリテンプレートという感じで並べることが多いですけどね)。まあ、最下部の本当のフッター(GNU何とかライセンスやら書いてるところ)には書けないわけだし、今からウィキ内の呼称を全部変更しろといったらエライことですが、誤用というのは別に間違いじゃないと思いますが。まあ最初誰かが適当に使ってた言葉がそのまま定着してしまったとかそんな感じじゃないでしょうか。--60.44.73.59 2007年9月6日 (木) 04:09 (UTC)[返信]
御意。勘違いが広まったのは別にウィキペディアが嚆矢ではないのです。もっと待っていれば誤解が普及して正解になるでしょう。 2007年9月8日 (土) 11:10 (UTC)[返信]
「記事のどこに置くかは編集者の意図による。故に編集者は文章の下部において、定義通り”脚注”と名付けている」とも言えそうな感じがします。本だってページ番号なんかより下の本当の最下部には置いてないわけですよね。まあ両論併記で良いんじゃないんでしょうか。ウィキペディア以外で誤用と定着してるわけでもなさそうですし。--Villeneuve1982 2007年9月25日 (火) 07:54 (UTC)[返信]

インデント元へ)この記事の『脚注』は、あくまでも組版用語としての概念だと思います。両論併記を主張されるのであれば、それこそ誤解を招かないよう、2つの『脚注』を並べた選択ページを設けるべきだと思います。 2007年9月25日 (火) 13:10 (UTC)[返信]

とうとう自説を強引に通してしまいましたね。編集合戦もオトナゲないので微修正に留めますが、これがWikipediaというものか、という感慨を深めました。 2007年9月26日 (水) 12:52 (UTC)[返信]

うぃきぺでぃあの脚注に、編集できないような、宣伝のような、ものが増えていると感じます。  編集できないのは、それでいいのでしょうか? また、宣伝のようなものの場合、誰が執筆したのかわかるのでしょうか?
脚注は、本文とは違うことをかけるので利用される心配があります。  青葉五月 2010年10月18日 (月) 01:43 (UTC)[返信]

宣伝であることが明らかであれば、削除すべきと思います。異論が出てもデータとして残っていますので復元は容易です。 2010年10月20日 (水) 09:24 (UTC)[返信]

脚注と関連項目の位置関係の議論[編集]

Wikipedia‐ノート:レイアウトの指針#脚注と関連項目の位置関係の議論にて議論、コメントなどが行われています。--Namazu-tron 2008年12月14日 (日) 07:34 (UTC)[返信]

出典の要請について[編集]

出展が明らかでないというコメントですが、記事内容はほとんどが辞書に載っているような語句の説明です。斯様な記事を収録するのもどうかと思いますが。

昨今『出典』を要請する事例が増えていますが、多くの人にとって既知の事柄について、根拠となる資料を示すのは不可能なことが多いと思います。テンプレートを貼り付ける人が知らないというだけの理由で出典を要請するのは厳に慎むべきではないでしょうか。それともルールに則り記事を削除しますか?会話2012年8月14日 (火) 16:53 (UTC)[返信]