ノート:背理法

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背理法は対偶からもとの命題が導かれることを利用したものである、と書かれていますが、一応区別した方がいいのではないでしょうか。ここでFalseと書かれているのは、多分矛盾のことを行っているのだと思いますが、その否定がTrueになるというのは、ちょっと普通の数学ではないような気がします。 もう一ついいたいのは、背理法という言葉についてです。どうも語感からいって、「"ことわり"に背いている」という感じがぬぐえないのです。確かに、直観主義ではこの論法は成立しないそうですが...。実際に使う以上は、背理法という言葉は用いるべきではないとはっきり言っている数学者もいます。ちなみに英語では、矛盾による証明(proof by contradiction)というそうです。そういうわけで、帰謬法という古い言葉をぼくは使った方がいいと思います。出でやる 11:28 2003年5月15日 (UTC)

もともとは、素数のところに帰謬法と書いてあったのが何のことだろう。背理法かな?と思って調べたら案の定背理法だったので、最初から背理法と書いておいたほうが親切だなーと思って名称を変更しました。私が無知だったといえばそれまでですが、認知度は背理法のほうが高いと思います(高校の数学でも使いますし、 googleで調べると帰謬法の10倍くらい件数があります)

専門家の間で帰謬法のほうが適しているという意見があるのならそちらに従います、一般向けに「帰謬法(背理法)による」くらいの記述がしてあると親切だと思います。Hoge- 12:14 2003年5月15日 (UTC)

true とfalseは多分私がプログラミング言語に洗脳されているからそう書いてよいのだろうと思って勝手に書いてしまいました。論理式はBoolean型だからtrueとfalseも使えるだろう、みたいな発想です。どなたか修正をお願いします。Hoge- 12:14 2003年5月15日 (UTC)

最初のセンテンスにある背理法の定義が正しいとすると、2つ目のセンテンスにある3つの例「√2は無理数」「素数は無限に」「eは無理数」はどれも背理法には該当しないと思います。この定義に従って証明しようとした場合、「√2は無理数でないと仮定」「素数は無限にあるとはいえないと仮定」「eは無理数でないと仮定」して矛盾を導かないといけませんが、実際には「√2は有理数であると仮定」「素数は有限個しかないと仮定」「eは有理数であると仮定」して矛盾を導いて証明しているはずです。しかし、「√2は無理数」などの証明が「背理法」によるという言い回しは定着したものであるので、広い意味での背理法の定義が必要なのではないでしょうか? --114.145.191.102 2011年3月15日 (火) 11:50 (UTC)[返信]

「√2は無理数でない」=「√2は有理数である」、「素数は無限にあるとはいえない」=「素数は有限個しかない」なので問題ない、というかこの場合言葉を言い換えているだけではないですか?
この記事の説明には「命題 P を証明したいときに、P が偽であると仮定して、そこから矛盾を導くことにより(以降略)」とあります。
ここで「P が偽である」について「P が偽になる状態が2つ以上存在する」場合は確かに問題があるかもしれません。
しかし「√2は無理数でない(√2は無理数ではないという仮定は偽である)」については、√2の記事を見ると、「平方して2になる実数」であり、更に無理数の記事を見ると、「有理数ではない実数」となっているので、この場合「無理数の偽」は実数である「有理数」しか存在しないわけで、「√2は無理数でない」を「√2は有理数である」言い換えているだけというのは明白だと思います。
(これが「√2が負の平方根のように実数になるとは限らない」のであれば、「無理数(実数)でない」→「有理数以外に虚数や複素数の可能性もある(偽になる状態が2つ以上存在する)」と指摘できるかもしれませんが・・・)
背理法は慎重に扱うべきだとは思いますが、記事中の例はとりあえず問題はないと思います。--223.219.1.39 2019年1月3日 (木) 19:46 (UTC)[返信]

素材[編集]

現在の貧相な記事にそのまま加えるのは均斉を欠くと思われるのですが、将来的には加筆する際の素材となりそうな警句をメモしておきます。

  • 「これは、チェスのどんな指し手より遥かに精巧な方法である。チェス・プレイヤーは、ポーンやそれ以上の駒を捨てて掛かることがあるが、数学者はゲーム全体を捨てて掛かるのである」—— G. H. ハーディ『ある数学者の生涯と弁明』
    • 'It is a far finer gambit than any chess gambit: a chess player may offer the sacrifice of a pawn or even a piece, but a mathematician offers the game.' —— G. H. Hardy "A Mathematician's Apology"
  • 「背理法による証明は自分で問題を解くときに最もやさしい証明方法であることが多いけれども、そうした思考の流れに沿った証明は、最も理解しやすい証明ではないことがふつうだ」—— D. E. クヌース『クヌース先生のドキュメント纂法』
    • 'Proof by contradiction is often the easiest way to prove something when you're first solving a problem for yourself, but such stream-of-consciousness proofs don't usually lead to the best exposition.' —— D. E. Knuth "Mathematical Writing"
  • 「直接的な証明が可能な場合には背理法を用いるべきでない」—— P. R. ハルモス In: 『クヌース先生のドキュメント纂法』
    • 'Proofs by contradiction should not be used if a direct proof is available.'—— P. R. Halmos In: "Mathematical Writing"

--ARAKI Satoru会話2020年6月12日 (金) 22:20 (UTC)[返信]

  • 'Forbidding a mathematician to make use of the principle of excluded middle is like forbidding an astronomer his telescope or a boxer the use of his fists.' —— D. Hilbert In: "David Hilbert and his mathematical work"

--ARAKI Satoru会話2020年7月4日 (土) 17:50 (UTC)[返信]