ノート:細川武稔

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特筆性[編集]

CiNiiの全文検索では9件がヒット。史学雑誌「回顧と展望」でも被論及されているようです。--rshiba会話2013年1月28日 (月) 02:04 (UTC)[返信]

細川氏がどのような学説を発表しているかを論文を引用しつつ紹介し、その主張を太田氏や同分野の研究者がどのように評価しているかを書評などの文献から引用して記載すれば記事内容を充実させることができると考えました。そこで週末に図書館で文献を探し、インターネットで可能な検索をおこないました。残念ながら細川氏の著書と太田氏の書評を入手することはかないませんでした。ネット検索では現状の記事と同じ情報しか得られませんでした(逆に言えば現状の記事はネット検索だけで書けます)。
初版投稿者の122.30.214.49さんに上記の方向で内容の補強を期待します。--Yhngv会話2013年2月4日 (月) 08:48 (UTC)[返信]

テンプレを貼った人へ[編集]

この項目を立てた者です。きちんとした書肆から著書もあり、学位も持っている研究者を、どうして削除しようとするのか、理解に苦しみます。ウィキのほかのページでも五、六箇所で挙げられている人名です。それを削るのなら、ほかのページの言及箇所も削らないと整合性が取れません。だいたい、さいきんやたらとあちこちに削除やら要出典のテンプレが貼られていますが、そんなことばかり続けていたら、ウィキは死にますよ。--122.30.214.49 2013年1月29日 (火) 03:22 (UTC)[返信]

「高い評価を受けている」について[編集]

「室町幕府による寺社政策や京都における寺院史の研究について、高い評価を受けている」という記述についてですが、現状のような書き方では記事執筆者の個人的感想と受け取られかねません。誰がどこでどのような評価をしているのか具体的に、記事執筆者の主観を交えずに記述してください。そして、特筆すべき人物が信頼できる情報源において「高く評価している」と言明していない限り、「高く評価されている」などと記述すべきではありません。繰り返しますが、この記事の執筆者による評価は不要です。--Pastern会話2013年1月29日 (火) 16:14 (UTC)[返信]

『日本歴史』の書評を総合的にまとめた一文が「室町幕府による寺社政策や京都における寺院史の研究について、高い評価を受けている」ということです。「誰がどこでどのような評価をしているのか具体的に、記事執筆者の主観を交えずに記述してください」→最後に挙げた大田壮一郎氏のこの『日本歴史』の書評が「誰がどこでどのような評価をしているのか具体的に」示した典拠にほかならないのですが、これ以上何の情報が必要なのでしょうか。勿論、執筆者である私の個人見解ではありません。例えば、美術評論家が「この絵はこれこれの描き方がすばらしい」と評論したのを、「評論家の誰それはこの絵を高く評価している」と第三者が書くことが、第三者本人のその絵に対する高い評価だなんていいませんよね?そういうことです。まさかそういう総括すらwikiでは認めないんでしょうか?「高い評価」の文言が主観的で気にくわないというのなら、「一定の評価」とかに言い換えればいいのですか?マイルドになっただけで同じ事だと思いますけどね。「それがwikiの流儀なのだ」とおっしゃるのなら別に言葉を変更して頂いても結構ですが、繰り返しになりますが項目丸ごとの削除はおやめください--122.30.214.49 2013年1月29日 (火) 17:12 (UTC)[返信]

「一定の評価」であってもそれが単なる記事執筆者の主観である以上は、独自研究でしょう。『日本歴史』の書評の内容を記述したいということであれば、引用など主観を反映させない形を採用してください。美術評論家の例で言えば、「この絵はこれこれの描き方がすばらしい」の部分を省略せずに記述してくださいということです。「美術評論家Aは、『この絵はこれこれの描き方がすばらしい」』と高く評価している」という書き方は許容(この場合も「高く」は必ずしも必要ではありませんが)されても、引用や評価の概要を一切交えずただ「高く評価している」と執筆者の主観のみを記述することは方針上許容されないかと思います。--Pastern会話) 2013年1月29日 (火) 17:28 (UTC)(加筆)--Pastern会話2013年1月29日 (火) 17:30 (UTC)[返信]
いちいち『日本歴史』の内容まで引用しなきゃいけないんですか…。すでに出典となる文献を公的機関(国立情報学研究所)のサイトから挙げている以上、裁判の判決文や学術論文でもないwikiでどうしてそこまでしなければならないのかわかりませんし、日本中世史に関心があるとは思えないPastern氏が本項目に執着する理由もわかりません(wikiのルールに従って意見をつけているだけであって、そんなことは関係ない、というお返事だと思いますが)。「描き方がすばらしい」=「高い評価」ではない、というご意見の方と議論は成り立ちそうにありませんね…。本項目はすべての文言に註釈をつけましたが、ほとんどの研究者に関する項目は(文中の割合はともかく)、そうなっていません。同じ中世史家の黒田俊雄網野善彦五味文彦の項目あたりには、Pastern氏から見れば要出典だらけになりそうな文章が山ほどあります。遙かに需要の多いそちらに目を向けられてはいかがでしょうか。因みに、本項目における当該文言は変更しておきました。--122.30.214.49 2013年1月30日 (水) 03:42 (UTC)[返信]
通りすがりですが・・・他の人もスピード違反してるんだから俺だけ捕まるのはおかしいだろ、という気持ちは実によくわかりますが理屈は通りません。要は「高い評価を得ている」と書かなければいいのですよ。どんなことであれ評価が「高い」のかどうかは常に意見がわかれるものであり、ウィキペディアではそこに関わるトラブルを回避する手段として、単純にそういう記述を避けることが望まれているということです。どうしても書きたければ「俺は高く評価するよ」と言ってる出典を見つけてくることです。「Aは『高く評価する』と述べた」とか「Aは『Bはすごく貢献した』と述べた」書くことで間接的に評価について言及することができるようになります。これはテクニックです。こうした手口は、執筆者が責任を負うことを避けようとする姿勢に見られるかもしれませんが、まさにその通りでありまして、その理由はウィキペディアが誰か一人の責による文書ではないからということでしょう。個人のHPであれば自らの責任においていくらでも評価を書けばいいわけですが、ウイキペディアはそうではないということです。そして、こういうルールに則って「不適切な」記述を指摘する人に対してイラッとすることはやめましょう。損です。執筆者としては少々イラッとする気持ちはよくわかります(私もかつてはそうでした)が。おまけ:ウィキペディアで出典に気をつけながら記事を書いていくテクニックその2/「AさんはBさんを刺殺した」と書かずに「AさんはBさんの胸を刺した。Bさんは死んだ。」と書くことで、前段と後段の因果関係に関する言及を回避しつつ、あきらかに前後に因果関係をほのめかすことができます。--零細系統保護協会会話2013年1月30日 (水) 10:02 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。「他の人もスピード違反してるんだから俺だけ捕まるのはおかしいだろ、という気持ちは実によくわかりますが理屈は通りません」というのは正にその通りでして、そういう反論が出るのは全く以て覚悟していた事でした。ただ私はwikiに蔓延している「要出典厨」「削除厨」を非常に苦々しく感じていて、つい出てしまった言葉です。私は具体的に網野善彦氏ら3名の項目を挙げましたが、今になっても、(既に去年暮れ「典拠が全くありません」タグが付けられている「五味文彦」は別として)「要出典」のテンプレ・タグは付けられていません。スピード違反している人は逃げおおせてしまって捕まえられなくても、この場合、スピード違反者が逃げずに目の前にどんと腰を下ろしているような状態なのですけどね(苦笑)。さて、皮肉はともかく、「高い評価」という言葉が気に障った方がいるようなので、結局その部分はカットしました。その下に労を惜しまず細川氏の主な業績を列挙すれば事足りるだろうと判断しました(掲載媒体を見るだけでも『日本歴史』『日本史研究』『史学雑誌』といったメジャー学術誌/査読誌であり、研究者としての大まかな位置が分かりますので)。列挙することで誰もが容易に再検証することができます。それでも尚、「細川氏の業績ではwikiに掲載する〝特筆性のある研究者〟とはいえない」というのなら、こちらが挙げた諸文献に対抗する、具体的な反証(細川氏の研究は平凡なものに過ぎないとか、郷土史家レベルの誤りだらけであるとか示した文献等)を挙げてほしいと思うのですが…。--122.30.214.49 2013年1月30日 (水) 12:33 (UTC)[返信]
「執筆厨」「加筆厨」「長文厨」の私としては記事を(まじめに)執筆するのと要出典を貼り付けるのとでは消耗する時間と労力に大きな差が(たぶん)あるんじゃないかなーと思います。長い文献を読んで注意深く概略をまとめて執筆した後で、出典を出せといわれると、ページ数を探すためにまた長い文献を読み直さなきゃいけなくて「読書厨」になりますよね。が、草取りは草取りで大変です。腰が痛くなったり。不適切な例えと云われるかも知れませんが、バクテリアや微生物がいなければ自然界はえらいことになってしまう、その意味ではライオンやモモンガと同様に虫とかにも存在意義があるのだろうと、いや、どっちが虫なんだと言われたらそれはもちろん私が「虫とか」ですよ(にっこり)。念のため申し添えておきますと、Pastern氏は私が逆立ちしてもかなわない、とんでもない量の実績を持つ執筆厨ですので、そこらへんの苦労は人の何倍も経験している「苦労厨」です。願わくば、122.30.214.49さんがイラッとするかわりに、関連記事の充実を図る方向でご活躍されることを望みます。--零細系統保護協会会話2013年1月31日 (木) 06:48 (UTC)[返信]

私は122.30.214.49さんが、ウィキペディアのことに詳しくない学会関係者かその周辺の方かと思っていましたが、「wikiに蔓延している「要出典厨」「削除厨」を非常に苦々しく感じていて」というコメントを拝見しますと、どうやらそうではなく、ある程度ウィキペディアの事情に通じておられるようですね。そうであるならばこの人物について、社会的地位(非常勤講師に過ぎない)からは特筆性があるとは判断されにくく、記事を確実に存続させるにはそれなりの手間をかけなければならないことは元よりお分かりのはずです。--Pastern会話2013年2月1日 (金) 06:47 (UTC)[返信]

加筆の必要[編集]

当初の項目を立てたIPアドレスの方へ。加筆の手を止めないでください。日本史研究会の大会での発表者になっているのですから、その年の『日本史研究』を見れば、準備会から大会自体、そして事後の報告まで、他者による評価が複数存在しているはずです。また、『日本歴史』の「書評と紹介」欄についても、評価の文言から加筆できるところがあるはずです。その程度はやっていただかないと。(1)華道家元池坊総務所中央研究所のポストが常勤職なのか。(2)他の著者の学術書や研究論文で先行研究としての言及が存在しないのか。その辺はどうでしょうか。--rshiba会話2013年3月2日 (土) 09:16 (UTC)[返信]