ノート:純粋数学
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アリストテレスの時代の分類を強引に現在に適用して、何をしようというのでしょう?
ただの時代錯誤では?Wd 2005年1月27日 (木) 05:03 (UTC)
この項目は削除しませんか? ほとんどの学問分野に「純粋○○学」「応用○○学」があって、その境界は明確でないのだから、ことさら「純粋数学」を云々する意義はありません。Wd 2005年6月15日 (水) 07:33 (UTC)
- 純粋数学の名前で歴史的に含意されていた事柄があるのであればそれを記述することに意味が無いとは言えないと思いますが。アリストテレスの分類を記述することは、アリストテレスの観点を現在の数学に適用することではありません。科学史上の古い知見を現代に適用しようとすれば確かに時代錯誤でしょうが、古い知見を紹介することは単なる事実の記述であってそれ自体はなんら適用ではなく、それ故時代錯誤にもなりえません。例えばかつては元素は四大と考えられていて現在の物理学には到底うけいれらない概念ですが、それを元素の項に記述することは時代錯誤だと思われますか?元素の項にはギリシャの四大について触れてあります。現代においてもまたこの四大でもって実体を説明しうるといえば時代錯誤でしょう。この元素の例とと同様の記述が数学の場合に限っては許されないのでしょうか。現代的な数学に対しては意義が無いにせよ、数学史上または学問史上意義があるとは言えませんか?アリストテレスやカントが区分したということは、彼らにとってはその区分にそれなりの意義があったわけです。そしてもし彼らが判然と分けているとすれば、その境界は彼らが観念していた所の数学においては明確であったのだと推量できます。たとえ現在の数学を純粋なものと応用的なもので区分するのが難しいのだとしてもです。その区分は現代数学において意義が無いというだけであって、歴史上のどの時点において意義がなかったとは言えません。この記事のもともとの編集者がどこまで意図していたのかは測りかねますが、かつての思想家において、あるいはかつての数学において、この区分が重要だったのだとすれば百科事典の項目としての存立事由として充分ではないかと思います。-- 43.244.115.222 2005年6月15日 (水) 16:55 (UTC)
- アリストテレスが書かれていた版はアリストテレスの時代の分類を現在の数学に適用するナンセンスでしたので、削除したことが適当であったと同意頂けるでしょう。ちなみに、そもそも、当時は「純粋数学」「応用数学」とは呼んでいませんでした。現在の言葉に直訳すると「数学」「算術」でした。
- カントの「純粋な数学」は「純粋数学」のことではありません。「アプリオリ(先験的)な数学」のことです。これは、経験によらずに得られる知識としての数学であって、応用的でない数学の意味の「純粋数学」とは無関係な概念です。このあたりのことは、カントの項目に詳しく書かれるべきですが、ここに書く意義はありません。ちなみに、数学をアプリオリなものとアポステリオリ(経験的)なものに分けることは当時の数学に限定しても無理だということが、当時からいわれていましたし、当時の数学者からも無視されていました。したがって、当時は重要な区分であった事実もありません。という話もここではなく、カント哲学なり「アプリオリ」なりの項目に書くべきでしょう。
- 削除の提案は撤回します。今後は「純粋数学」と無関係な記述や時代錯誤な記述の削除のみ続けます。Wd 2005年6月15日 (水) 18:08 (UTC)
- 一説に、ガウスが非ユークリッド幾何学の着想を得たときに当時流行していたカント哲学に遠慮し発表をしなかったと言われています。元々、あまり発表しない人ですから真偽の程は不明ではありますが。ですから無視されていたというのは言い過ぎなのではないかと思われます。そして、削除するだけではなく追加編集によって記事を育てていくという立場に立ってください。Wd氏のやり方は争いの元にもなりやすいと思います。-- 210.111.245.114 2005年6月16日 (木) 02:48 (UTC)