ノート:篠津村
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埼玉県村改名提案[編集]
曖昧さ回避ページからは埼玉県村のほかに北海道村が誘導されていますが、江別市#沿革によれば篠津村は1906年の二級町村制施行に伴って消滅しており, 内地でいう「町村制施行以前」に相当すると思われます。検索でヒットするのはその後身である新篠津村と鳥取県にあった大篠津村並びに町村制以前の小篠津村だけのようなので、埼玉県村の括弧なしの篠津村への改名を提案します。--Im224(会話) 2012年12月7日 (金) 08:01 (UTC)
改名提案2023[編集]
当記事を篠津村 (埼玉県)に改名し、跡地の篠津村を北海道篠津村との平等な曖昧さ回避に戻すことを提案します。
2012年の改名提案では、「北海道篠津村は町村制施行以前の自治体だから」が理由として挙げられており、事後処理のWikipedia:削除依頼/篠津村でも「(北海道篠津村は)優先度が低いと思われるため」と述べられています。
しかし、ここで追加情報をひとつ。北海道篠津村は屯田兵村です。日本の国策事業なので資料は充実していますし、篠津村には他の屯田兵村に無い特徴があったりもします。記事作成に足る存在であると言えるでしょう。
実際には篠津兵村の単独記事ではなく、現在の北海道江別市篠津地区の歴史として執筆しようかと考えておりますが、まずは曖昧さ回避を平等にしたいです。--禁樹なずな(会話) 2023年5月26日 (金) 01:48 (UTC)
コメント ご提案ありがとうございます。以下に示す理由から、改名には反対寄りです。
- プロジェクト:日本の市町村#記事作成基準によれば、「区分5.町村制施行や、それ以前に廃止した村」については、記事作成は「特記事項がない場合は、基本的に認めない」、「作成しても記事名の優先は最も低い」とあります。北海道の篠津村が屯田兵村として特筆性があるとすると、記事を作成すること自体は認められることになるでしょうが、記事名の決定に際しては優先度が低くなります。優先度の差について、プロジェクト文書内では明確な記述がありませんが、自然な解釈を試みれば、まず作成基準の区分1から4にて作成が認められている自治体の記事に(プロジェクト:日本の市町村#重複名称の扱いに基づいて曖昧さ回避を行いつつ)記事名をつけ、その後で区分5の記事を命名することによって、差をつけることになるかと思います。つまり、今回の場合は、埼玉県の篠津村を扱う記事を「篠津村」とし、北海道の篠津村を扱う記事を「篠津村 (北海道)」とするということです。
- プロジェクトのページの冒頭には「これらの提案に従う義務があるなどと感じたりするべきではありません」とあるものの、プロジェクト文書の内容はプロジェクトで合意が成立しているものであり、相応の合理的な事情がない限りは、あえて方針に沿わない記事名を採用する必要性は薄いと考えます。今回、プロジェクトの方針から外れてまで平等な曖昧さ回避とする理由は、見いだしにくいように思います。--東口(会話) 2023年5月26日 (金) 11:41 (UTC)
返信 まずは早速のコメント、ありがとうございます。御提示いただいたプロジェクトの文章は当方も存じておりますが、率直に申しまして北海道特有の事情を汲んでいない、瑕疵のあるものと考えております。
- 町村制施行をボーダーラインとするのは、「近世以来の自然村」よりも「近代的施策の下での町村」を優先させる、という意図でしょう。本州であれば、それでいいと思います。
- しかし北海道では、明治初年から明治32年の北海道一・二級町村制施行までの間に、数多くの村落が開基されています。これらは自然村とは言えませんし(自然発生してませんから)、屯田兵村とか開拓使主導で拓かれたところなどは、まさに当時の近代化施策の粋なわけです。それを町村制施行以前だからと「優先度低」にするのは、何か違うように感じます。
- 「ならば先にプロジェクトの文章の改定を試みよ」という声もありそうですが……当方はルールでなくて記事を作りたいのですよ……。--禁樹なずな(会話) 2023年5月27日 (土) 09:00 (UTC)
- ありがとうございます。確かに、おっしゃるとおり、現行のプロジェクトの方針は、北海道の事情を考慮していないように思えます。国策で拓かれた村であるという点で制度的に確立されたものと言えるわけで、お考えは理解できるものです。
- 一方、そこで今回平等な曖昧さ回避を行うこととすると、これまで現行のプロジェクト文書に基づいて記事名が決定されてきている市(区)町村記事群に例外を生じさせることになります。一概に例外がいけないなどと言うことはできませんが、本件を根拠として例外の記事名が乱立する事態を招いてしまうことも考えられます。今回は文書が不十分であるがゆえに例外ということになってしまうケースであり、それなら文書を改定してその後で新たな方針に基づく改名を行うほうが、スマートではないでしょうか。記事群を充実させていくうえでは、これは決して遠回りではないプロセスだと思います。ただ、北海道で明治時代に拓かれた村のすべてが記事作成に値するものであるとは考えにくいため、新しい方針における線引きの文面は熟考が必要になりそうです。
- あるいは、北海道の篠津村の記事作成を達成することを重視するなら、今回の改名を行うかどうかによらず「篠津村 (北海道)」として作成することができます。また、それでは平等な曖昧さ回避でないので避けたいということであれば、ご提案の文面で「現在の北海道江別市篠津地区の歴史」として執筆したいとおっしゃっていることから「篠津地区」などという記事名での作成もよいと思います。ただし、後者の場合、「プロジェクト:日本の市町村」「プロジェクト:日本の町・字」のいずれの範囲にも含まれないことにはなります。--東口(会話) 2023年5月27日 (土) 14:59 (UTC)
- (賛成)結論だけ言うと、禁樹なずなさんのご提案を支持します。(上での東口さんとのやりとりを拝見したうえで。)
- 本件の場合、相手方の「埼玉県の篠津村」も70年ほど前に合併消滅しているわけで、なにも「2022年時点でも行政単位として存在する篠津村と平等にしろ」というわけではありません。リンク元も現状で(有意なものは)20件ほど。影響も小さいです。
- PJのルールは、Wikipediaのかなり初期に決まったものです。最初期に機械的に市町村記事を「百科事典づくりの初期段階として、ひとまず一揃え作成する」頃は良かったのでしょうけど、最近は町字記事などでも、草創期の機械的ルールが合わないケースが散見され、しばしば改名や「例外」的な記事名を採用しています。まあ、ご提案通りでよいのでは。
- ついでに禁樹なずなさんの「当方はルールでなくて記事を作りたい」とのご発言は、「ですよねー」と感じました。外形的な枠組みづくりのところで足踏みするのは、非生産的な面があるのはたしかでしょうね。反省。(草創期のルールも、「ルール作りだけに熱中して、その後、中身を作らなかった」感があります。)--柒月例祭(会話) 2023年6月2日 (金) 09:50 (UTC)
- 追記しときますと、本件の場合、篠津_(北海道江別市)的な「町字記事」として立項する、という選択肢があるように思われます。(東口さんは「「篠津地区」などという記事名での作成もよい」とおっしゃっています。)ところが、歴史的に「旧篠津村」は現在の新篠津村を含んでおり、「現在の江別市篠津」という括りでは塩梅が悪いという事情もあるようです。
- 最終的な記事名(曖昧さ回避のカッコ内の文言)は一考の余地がありそうかもとは思います。「_(北海道の屯田兵村)」とかなんとかね。--柒月例祭(会話) 2023年6月2日 (金) 10:01 (UTC)
返信 作成する記事は篠津 (江別市)とする予定です。㭍月例祭さんは、原初の篠津兵村と現在の江別市篠津地区とでは新篠津村の分村などで領域が異なることを懸念されてますが、1981年には篠津兵村の成立から数えて「篠津開基100年」が祝われております。現地の方の意識の上では、屯田兵村から現代までずっと同じ「篠津」が続いているということなので、Wikipediaの記事もそれに倣おうと思います。新篠津村以外にも原初の篠津兵村から分割された地区はあるのですが(逆にくっつけられた地区も)、そういった領域の変遷も含めて記載することは有意義であると考えます。--禁樹なずな(会話) 2023年6月3日 (土) 04:10 (UTC)
東口です。まず、㭍月例祭さんがご指摘なさった、初期に定められたプロジェクトの機械的ルールの問題点については、そのとおりだと思います。ただ、5月27日にも述べたように、"ルールが合わないから本件では例外的な記事名を採用する"ことが行われると、これが例外的な記事名の"前例"となり、本来例外であったはずの命名が多発するようになることが考えられます。これではルールが形骸化してしまいます。ルールに縛られすぎたり、ルールを作ることが目的のようになったりしてはいけませんが、一定程度の規定の存在は、記事名についての個別の議論を不要にしますので、結果として生産性が高まるのではないでしょうか。もちろん、極めて特殊でルールに明記することが難しいケースであれば、例外として処理することもやむを得ないと思いますが、本件の場合、問題は現行のプロジェクト文書で屯田兵村についての検討が欠落していることにありますので、この機会に文書を見直せば、例外となることを回避できますし、新たなルールが今後の屯田兵村の記事作成における拠り所となるのでは、と思います。
- 次に、私はコトバンクの篠津村のページから、旧篠津村の区域(のうち新篠津村への分村の対象とならなかった地区)と現在の江別市篠津(町丁または大字)の区域は異なる(前者の中に後者が含まれる)ことを確認し、禁樹なずなさんのご提案の中にあった「現在の北海道江別市篠津地区」を、旧篠津村の区域を指すものと理解していました(もっとも、新篠津村のホームページに「篠津村(現:江別市篠津)から分村した」とあって困惑していますが)。それゆえ、篠津村に由来する地区の歴史を記述するなら「篠津地区」のような記事名がよいのではないかと考えていました。「篠津 (江別市)」という記事名では、篠津地区全体ではなく町字の篠津についての記事であるとの誤解を招いてしまうのではないでしょうか。--東口(会話) 2023年6月3日 (土) 08:39 (UTC) 下線部を追記。--東口(会話) 2023年6月3日 (土) 08:59 (UTC)
返信 町字の篠津の記事を作るのですよ。理論上は「篠津村」と現在の「篠津」を分けることも可能ですが、やりません。
- 「現在の新篠津村を含んだ原初の篠津屯田兵村」を現代の区画と混同したらまずいように思うかもしれませんが、問題ありません。なぜなら成立時(1881年)の篠津屯田兵村は広いだけで、定住者は屯田兵19 - 20戸だけだからです。あとは無人の荒野。
- それから1893年になって、篠津原野北部への入植がはじまり、その人たちが新村独立を訴えるようになって、1896年に新篠津村が成立しました。「篠津屯田兵村が発展して規模が大きくなったので分村した」わけではないのです。2系統の入植が別々に行われたのでした。
- なので、篠津屯田兵村の系譜は現代の篠津までストレートにつながっています。ひとつの記事内で叙述しておかしいものではありません。--禁樹なずな(会話) 2023年6月3日 (土) 09:48 (UTC)
- 町字の記事を作るのですか…。改名提案の流れや、「プロジェクト:日本の市町村」の方針をお示ししたときのご返答からして、「篠津村 (北海道)」の記事内で同区域の現状についても記述するおつもりなのかと思っていました。当初はそうだったが後に町字記事の作成へと切り替えなさったのでしょうか、あるいは最初から町字記事の作成を予定しておられたのでしょうか。また、町字の「篠津」は旧篠津村の区域の一部に過ぎないため、「篠津屯田兵村の系譜」が「ストレートにつながってい」る地区であるとは言い難いのではないでしょうか(屯田兵の居住地がすべて現在の江別市篠津にあたる地区にあった、などということであればまた違うのでしょうけれど)。そして、「篠津 (江別市)」という町字記事を作成するなら、「篠津村」のページ名との直接の衝突は発生しません。「平等な曖昧さ回避に戻す」という目的で始まって賛成意見が1件ついている本提案ですが、趣旨が不明確になっていると言わざるを得ない現状では、軌道修正を行うか終了するかのどちらかを行う必要があると考えます。
- 全体的に、認識に深刻なずれが生じてしまっていないか、心配です。申し訳ないのですが、改めて、方針や今後の予定をご説明いただいてもよろしいですか。--東口(会話) 2023年6月5日 (月) 09:13 (UTC)
返信 順にお答えしていきますね。第1に、作成する予定なのは篠津 (江別市)です。その中の歴史節に、篠津屯田兵村の成立や江別村との合併を記載することを考えています。これについては最初に「篠津兵村の単独記事ではなく、現在の北海道江別市篠津地区の歴史として執筆」と断りを入れております。
- 第2に、おっしゃるとおり屯田兵の居住地はすべて現在の江別市篠津です。現在の篠津地区が、屯田兵村の後継者なのです。篠津開基100年のときは、屯田兵の第3世代は誰と誰で……みたいな話がありました。「原初の篠津村」の領域から分割された地区はいくつかありますが、それらには屯田兵と異なるルーツがあり、個別の歴史を有しています。
- 第3に、たとえ作成するのが現在の篠津の記事であろうと、「篠津村」からの誘導は必要です。だからこの提案を挙げました。--禁樹なずな(会話) 2023年6月5日 (月) 10:14 (UTC)