ノート:笹川繁蔵

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笹川繁蔵の出自について[編集]

項目『笹川繁蔵の出自』は、これはあくまで異説のひとつであって、独立したトピックスで事実として提示するべきものではないと思います。東庄町には醤油と酢の醸造業を営む繁蔵の生家が今も存続していますし、岩瀬嘉三郎の三男という、現在一般的に知られている説とも異なります。おそらくは、飯岡助五郎が講釈師・神田伯童子を呼んで「自身は武士の出」と言ったのと同じく、繁蔵自身か繁蔵を知る者が語ったフィクションの域を出ないものだと思います。--Gyokuran 2011年9月19日 (月) 22:04 (UTC)[返信]

項目の整理について[編集]

笹川繁蔵の記事を、生涯、死後、出自の三つに分けました。死後については、笹川一家の壊滅と繁蔵の首塚が発見されるまでの経緯は、独立した記事を新たに作るまでもなく、本記事にひとつにまとめた方が良いと思い項目を増やしました。また、大利根河原の決闘以後、繁蔵が伊勢路を旅したことと、戻ってきた繁蔵が子分の勢力富五郎らに騙された話は、出典不明なので要出典をつけさせてもらいました。--Gyokuran 2011年9月19日 (月) 22:15 (UTC)[返信]