ノート:第31回天皇杯全日本サッカー選手権大会

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大阪クラブの出場回数について[編集]

大阪クラブの出場回数が「3回目」となっていましたが、この大会(以降の大会も含む)に出場した大阪クラブは第17回第19回に出場した「大阪クラブ」とはまったく別のチームと考えられます。

  • 日本サッカーミュージアム:日本サッカー殿堂の掲額者解説では「大阪クラブ(川本泰三氏の提唱により創設)」(「賀川太郎」の欄)。
  • 『天皇杯六十五年史』での賀川浩氏の寄稿文によれば「(大阪クラブの)創設にはベルリン・オリンピック代表だった川本泰三の力があった。戦後シベリア抑留から帰った後、しばらくして“実践的”なクラブチームの編成を呼びかけ、」(P105)。
  • 『関西サッカーのあゆみ』では対談のなかで賀川浩氏の発言として「(昭和20年に行われた「大阪対兵庫」の試合についての話題から)まだ大阪クラブなんか出来る前。大阪クラブは26年ですから。」(P38)。

とあります。--Zemarcelo 2009年9月5日 (土) 21:12 (UTC)[返信]