ノート:笠置寺

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 笠置寺は白鳳時代、天武天皇の創建にして大峰山と同じく修験道の寺としても有名で、山上の巨石に弥勒菩薩の像が彫られていた(今昔物語に記あり)。平安時代には後白河法皇、藤原道長ほか貴顕の参拝多く寺勢盛んなるも、鎌倉末期に後醍醐天皇と北条高時との戦い(元弘の役、太平記に記あり)により堂塔伽藍全て焼失し、室町時代には山城ともなるに至った。その後、雌伏の江戸時代を過ごし、明治から昭和時代に寺勢再び盛り返し現在に至っている。  山上からは、眼下に木津川の清流を見下ろし、東に鈴鹿、西に生駒の山を望み、春の桜、秋の紅葉が極め付きの美しさで、京、大阪からの観光客も多い。 京都府立公園に指定されている。  所在は京都府相楽郡笠置町笠置山  宗派は真言宗智山派