ノート:競馬の歴史 (北海道)

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材料[編集]

まだまとまって加筆できるレベルではありませんが、「草競馬」レベルの情報を書き留めておきます。 「草競馬」というと、なんだかそこらへんの原っぱでいい加減にやっているような印象があるかもしれません。しかし、要するに「公認されなかった競馬」のことであり、千差万別では有りますが、スタンドを備えた競馬場を造営し、競馬倶楽部を組織して馬券を発売していたようなレベルのものから、お祭りのときに神社の裏をぐるぐる回ったようなものまで、いろいろです。--零細系統保護協会会話2013年10月10日 (木) 10:56 (UTC)[返信]

  • 札幌
    • 厚別神社 - 現在の駐車場が競馬場跡。
  • 後志
    • 蘭越『新蘭越町史』p191-197
      • 明治41年~ 森別の競馬場(私設)
      • 大正末期~ 尻別川沿いの競馬場(「蘭越の競馬場」) → 昭和2「準後志地方競馬場」 昭和11年に中止
      • 昭和7、8年頃~ 浜中(港町)競馬場
      • 昭和5年~6年 昆布の競馬場(現・光福寺付近)
      • 昭和22~昭和55年ごろ 中目名愛馬会 輓馬  名駒(S23~) 昆布(S25~)
      • 昭和47年~55ごろ 蘭越町家畜商組合輓馬競技大会(尻別川河川敷) 全道から約50頭が参加 
    • 蘭越・アカオトシ競馬場 明治43年
    • 蘭越・尻別川沿いの競馬が毎年開催 昭和1年
    • 蘭越・昆布競馬場 昭和5年~昭和6年
    • 蘭越・中目名競馬(輓馬) 昭和22年~ 名駒(昭和23年)、昆布(昭和25年)など。
    • 倶知安『倶知安町百年史』上p264、367-368、396-397、中1137-1139
      • 明治30年代、山陰移住会社、北7西6に私設競馬場
      • 明治42年10月 南二線西十一号に常設競馬場を設立。倶知安競馬会。当初私設だがのちに公設に。
      • 昭和5 後志競馬倶楽部 地方競馬公認
      • 昭和23年~49 輓馬競技大会(これ以後の開催は断続的。S49で20回目。詳細不明)
      • 昭和49年~54 輓馬競技同志会


  • 渡島
    • 八雲・八雲競馬場(宮園町) 明治17年~ 競馬会組織
    • 八雲・宮園町の競馬場を移転 明治44年
    • 八雲・昭和6年 地方公認競馬となる


  • 十勝
    • 音更競馬場 かなり本格的
    • 東士幌競馬・白川競馬
    • 池田 1909年(M42)「本格的な競馬場」が池田市街東部にできる。『新十勝史』p301

エリア分け[編集]

どの時代を基準にするかでかわる。

一般的区分[編集]

時代的には、旧三県か、旧支庁あたりがベストフィットだが、それでもはみ出る部分はある。ならば、わかりやすさ重視で現在の振興局にあわせるか(個々の事例についてはエリアを正確に検証する必要あるかも)、もっとシンプルに道南道央道東道北で済ますか(日高をどこにいれるか)。

  • 道南、道央、道東、道北

振興局(支庁)[編集]

(1897-)1922-2009-2013

  • 渡島、檜山、後志、胆振、日高
  • 石狩、空知
  • 上川、留萌、宗谷
  • オホーツク(網走、北見、紋別)
  • 十勝、釧路、根室

旧支庁[編集]

1897-1922

  • いっぱいありすぎてむり

三県一局[編集]

1882-1886

  • 函館、札幌、根室

旧国[編集]

1869-1882

  • 渡島、後志、胆振、日高
  • 石狩
  • 天塩
  • 北見
  • 十勝、釧路、根室(、千島)