ノート:立原朴二郎

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立原朴次郎について、どなたか詳しい方に伺います。

「立原朴次郎」の項目に、次のようにあります。 <立原朴次郎(たちはらぼくじろう、天保三年(1832年) - 元治元年8月23日(1864年9月23日))は水戸藩士。幕末の志士として天狗党の乱で活躍、討ち死にする。水戸藩彰考館総裁立原翠軒の孫で立原杏所の嫡男。母は山崎重左衛門元儔の女。妻は水戸藩家老・安島帯刀の長女。幼名は百里。通称は朴次郎、諱は?、号は祐堂、千。墓は常澄村六地蔵寺。>(「生涯」以下略。)

これについて、伺います。 (1)「立原朴次郎」は、「立原朴二郎」がよいのでは?(「朴次郎」とも書いたようですが、一般的には「朴二郎」が用いられているので。) (2)「立原杏所の嫡男」は、「立原杏所の三男」が正しいのでは? (3)「諱は?」とあるのは、「諱は瓉。」では? なお、(4)「常澄村」は、「常澄村(現・水戸市六反田町)」 としたいところです。

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嫡男=長男ではありません。三男でも跡取りであれば、嫡男です。--海衛士 2006年10月31日 (火) 13:43 (UTC)[返信]

ご教示ありがとうございます。普通は「嫡男=嫡出の長男」ととるようなので、「三男」としたほうが宜しいかと考えたのでしたが。素人考えですが、あるいは「……立原杏所の三男。兄二人が夭折したため家督を継いだ」という書き方もあるでしょうか。「三男」にこだわりすぎですかね。(asamori)2006年11月3日 (金) 11:17