ノート:穂見神社 (南アルプス市)

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比定地について[編集]

山梨県において「穂見神社」と称する神社は当社をはじめ、韮崎市穴山町なお数カ所に存在していたと思います。一宮浅間神社をはじめ『延喜式』における式内社の比定には一概に言えないものがありますし、当社の場合も同様なのではないでしょうか?あくまで比定地候補のひとつと考えるのが妥当なものだと思われます。--でここ 2011年4月14日 (木) 11:10 (UTC)[返信]

でここさんのご意見に賛同します。「穂見神社」は当記事の旧櫛形町高尾の当社が良く知られていますが、比定地については諸説あって確定的なものは無いようですね。当記事に関連して「穂見神社」の曖昧さページをと思ったのですが、ちょっと調べただけでも韮崎市穴山町、同市旭町、中央市布施と、当社以外にも山梨県内に3か所の「穂見神社」があり、北杜市(旧長坂町)長坂上条には保食神と十五所神を合祠した「穂見諏訪十五所神社」、更に静岡県沼津市に2カ社、富士市にも1カ社の穂見神社と、このように多数の「穂見神社」がありました(このうち沼津市の1カ社は当記事の穂見神社から江戸時代に分祠されたようです)。他にもあるかもしれませんが近日中に曖昧さページを作成したいと思います。--さかおり 2011年4月14日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

学問というのは面倒なもので、たとえば『古事記』に記される「酒折宮」が甲府市酒折の酒折宮に比定されるかどうかは、微妙な問題があります。管見の限りでは酒折宮境内において発掘調査が行われたことはあったろうかと思うのですが、もし境内から記紀における酒折宮伝承の時代に同地に社が所在したことを示すような遺構・遺物が確認されたり、あるいは酒折宮に少なくとも中世以前の古神宝などが伝来していたら蓋然性は高まると思うのですが、現在の研究においてはあくまであの周辺が古代甲斐国における巨摩郡と山梨郡の境界地域で、付近には古代段階の遺跡が多い。さらに古代甲斐の交通路の観点を鑑みると、すくなくとも甲府盆地北縁一帯が記紀における「酒折」の地であり、現在の酒折宮は比定地の候補とは言えるだろう、といった具合です。

おそらく他の式内社についても、一宮浅間神社をはじめ同様の問題をはらんでいる思います。とりあえずは『甲斐国志』などを参照してみて、少なくとも江戸時代には式内社に比定されていたとか、確実な情報を突き止めていくのがよろしかろうと思います。--でここ 2011年4月15日 (金) 03:51 (UTC)[返信]

とりあえず「穂見神社」曖昧さページを作成しました。比定地については微妙な問題でありますし、中立性を重んじるwikipediaで記述するのは慎重に行うべきでしょうね。酒折宮にしても文中に比定地に関しての断りがありますしね。--さかおり 2011年4月15日 (金) 07:13 (UTC)[返信]

こんばんは。穂見神社の本殿、神楽殿の画像と文化財載せておきました。旧櫛形出身です。今は大学いってます。ウィキは初なので皆様の お力添えどうぞよろしくお願いします。。--shouichi 2011年4月15日 (金) 09:51 (UTC)[返信]

付記しておくと、おそらく当社を延喜式内社に比定する見解自体は存在すると思います。ただ他社に比定する説もあると思いますし、まだ『甲斐国志』はじめとする地誌類を未調査の段階ですから、あくまで候補地のひとつとしておくのが妥当ということです。なかなか、面倒なものですね。--でここ 2011年4月16日 (土) 14:17 (UTC)[返信]