ノート:秋葉神社 (台東区)

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この神社は秋葉神社でなければもともとは何だったのですか?火防の神といえば、秋葉神社か愛宕神社が定番ですが。Stanislaus 2005年7月18日 (月) 23:34 (UTC)[返信]

何故萬松山可睡斎?[編集]

江戸時代の萬松山可睡斎は奉行所の裁可により神仏習合の仏の部分で秋葉大権現を支配下(別当寺)に置いていましたが、可睡斎は一貫して寺院であり、神仏習合であったり修験道と直接の関係を持った歴史がない一方、江戸で火伏せの神として信仰されていたのはあくまで三尺坊大権現であり修験または神道の部分です。よって江戸時代の秋葉信仰と萬松山可睡斎とを関連付けるのは誤りと考えます。萬松山可睡斎の記述を追記された方、これを秋葉信仰と関連付ける根拠は何ですか? --Yoshiichi 2006年2月25日 (土) 13:47 (UTC)[返信]

明治期に秋葉寺(江戸期)の三尺坊大権現を可睡斎に遷座したことで、現在の可睡斎は(江戸期までの)秋葉大権現の後身のひとつ(秋葉総本殿)になってます。秋葉大権現が春野町の秋葉神社だけであるような記述であったため、訂正しようと思ったところ、うまく説明できていなかったようです。また、可睡斎が秋葉大権現を支配下においていたことが秋葉信仰の拡大に関連性がありますが(→秋葉山本宮秋葉神社の歴史)、秋葉神社 (東京都台東区)との関連性は薄いため、秋葉大権現のあとの括弧書きを(秋葉山)とすればよいとおもいますが、どうでしょうか。 -- 萬松山可睡斎の記述を追記した者 2006年3月6日 (月) 09:54 (UTC)

了解しました。そもそも当時秋葉山や鎮火社の全体像を俯瞰している人は居なかった筈ですから、いまここで深い議論をしても詮無いことで、単なる宗教論争になってしまうだけのような気がします。御提案の通りにしましょう。--Yoshiichi 2006年3月7日 (火) 01:01 (UTC)[返信]