ノート:秋葉山本宮秋葉神社

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本社なので、()内はつけずに「秋葉神社」だけでもよいと思います。もしくは「秋葉山本宮秋葉神社」にすれば、よいとおもうのですが。また「祀神」という言い方は聞いたことがありませんが。Stanislaus 2005年8月26日 (金) 01:43 (UTC)[返信]

タイトルに(静岡県浜松市領家)とありますが、(静岡県浜松市春野町)の方が良いと思います。旧浜松市の中にも「領家」という地名があり、本文を読まないとあたかも秋葉神社が浜松市街にあるかのような誤解を招く可能性があります。Tan--202.214.30.9 2005年9月22日 (木) 00:42 (UTC)[返信]

秋葉神社の項目の中に秋葉寺も入れちゃうのはちょっと強引な気が・・・相互に影響を及ぼしているようですけど、寺と神社では性格がまるっきり異なるので、別項目にしてはいかがでしょう。--219.126.229.122 2006年11月18日 (土) 18:31 (UTC)[返信]

記載した通り、現在の本宮秋葉神社と秋葉寺は長い間、庶民にとっては「秋葉大権現」というひとつの神で、神道と仏教と修験道は渾然一体でした。江戸時代以前はそれが普通だったのです。秋葉寺は明治初期に一旦廃寺とされた後8年ほど置いて地元の要望により再建されますが、以来現在に至るまで宗教法人として独立している訳ではなく、事実上本宮秋葉神社の管理の下にあります。よって項目として分離すべきではないと考えます。--Yoshiichi 2006年12月27日 (水) 13:30 (UTC)[返信]


「麓(ろく)の気田川の畔にある下社(しもしゃ)」と書かれていますが、この「麓(ろく)」は地名か何かなのでしょうか? 一般名詞の「麓」ならば「ふもと」と読むのが普通と思われ、わざわざ読み仮名をつけずに「麓」と書くか「山麓」と書けば良いと思うのですが。nnh 2010年4月20日 (火) 14:54 (UTC)[返信]

神仏分離の際に秋葉社も廃社になったと記載されていますが、『明治維新神仏分離史料』には「秋葉権現」を「秋葉神社」と改称したとあります。管見のかぎり公文書他の史料で「廃社」が確認できないのですが、典拠を教えて下さい。また、江戸時代の秋葉寺の縁起には聖観音が本尊であると記載しています。本地垂迹説や祭神考証は複数の説があるものですので、三尺坊を祭神もしくは本尊とする説だけではなく、諸説を典拠とともに掲載したほうが丁寧ではないでしょうか。 秋葉寺は再興時より神社から独立した寺(法人)です。--御燈香平会話2012年9月17日 (月) 13:33 (UTC)[返信]