ノート:神道無念流

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免許について[編集]

流派の免許は当然ながら免許者によってのみ他者へ同等の免許認定が可能です。そして、皆伝というならばこれまた当然ながら文字通り、流派の業を全て継承しているはずです。この神道無念流について、客観的に免許者による後継者への免許授与=全伝継承が確認できる伝系はどの系統なのか、学術的に明確にすべきではないでしょうか。このことは現在免許を取得している人物の何世代も前に遡ってそれらの人物が全て免許者であったかどうかを史料によって確認する必要があることを示しています。

例えば、中山博道の伝系は前後の根岸信五郎、中山善道が免許者であることは史料によって明らかになっており、根岸信五郎の師である齋藤弥九郎も同様です。また20年ほど前に中山善道の弟子である小川武の道場へ見学に伺った際に額に掲示されている善道から認定された免許を確認しています。

私は根岸信五郎を調べており、彼の周辺にはそれなりに詳しいものの他の伝系には疎いので、詳しい方の情報を求めています。

これは決して優劣を論じるものではなく、事典として客観的事実を明確にする目的でのノートです。どのような形であれ、江戸時代のものが現代に継がれていることは貴重なことです。誤解のなきようお願いします。--Takemikaduti会話2023年4月11日 (火) 13:27 (UTC)[返信]

主語のない記述について[編集]

大村藩伝の記述はWikipediaが事典であるにも関わらず、主語が不明な文章となっています。例えば、「共同して~確認済みである」と記載がありますが、文章上表記されている人物と共同して確認した人物は不明です。個人の文章を記述する場ではないので、事典としての記述をお願いします。--Takemikaduti会話2023年4月27日 (木) 14:13 (UTC)[返信]