ノート:神岡軌道

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改名提案[編集]

「三井金属鉱業神岡鉄道」への改名を提案します。『鉄道廃線跡を歩く』『私鉄の廃線跡を歩く』にこの鉄道の話が載っているのですが、そこでの表記に準ずる形にしたいと思います。--継之助 2009年12月27日 (日) 13:18 (UTC)[返信]

(反対)確かに、廃止直前には「三井金属鉱業神岡鉄道」でしょう。しかし、本文の「沿革」を見てもわかるように、個人名義>神岡軌道>三井鉱山>神岡水電>三井鉱山>神岡鉱業>三井金属と変遷しているので、(現存ならともかく)わざわざ57年間中12年間の名前にする理由はないでしょう。--Sibazyun 2009年12月30日 (水) 09:51 (UTC)[返信]
補足説明です。「三井金属鉱業」は事業者名、「神岡鉄道」は線名で、Wikipedia:記事名の付け方/鉄道に沿った形です。三井金属の部分は補足、といった程度でしょうか。
「神岡鉄道」の名がいつからあったのか、は知りませんが、地方鉄道への変更時からだと仮定すれば22年間でしょうか。「神岡鉄道」の名は『私鉄要覧』や当時の全国版時刻表にも載っている名前です。一方「神岡軌道」の名は、『鉄道廃線跡を歩く』の記述によれば、戦前の一時期に使用されていた名称のようです。どちらが長く使われていた名称かは分かりません。
なお、現状の廃線跡記事は、末期の名称を記事名にする、という例が多いようです(三重交通神都線など。文献がそのように書かれている例が多いからかもしれませんが)。--継之助 2009年12月30日 (水) 14:53 (UTC)[返信]
◆さてさて。改めて、改名理由を書いておきます。一つ目は、Wikipedia:検証可能性にも問題がなく、なおかつ多く使用されているであろう名称(著名な書籍で使用されているため)であること。2つ目は、他の記事にあわせ廃線時点での名称とすること。以上です。--継之助 2010年1月22日 (金) 09:54 (UTC)[返信]
(取り下げ)改名依頼を一旦取り下げます。賛成票1(依頼者票)、反対票1ですが。
改名をして、出典を明記した上で記事を書き直そうと思っていたのですが、資料を集めていて別に大きな問題があったので。それが片付いてから改名提案を出しなおそうと思います。--継之助 2010年2月10日 (水) 16:16 (UTC)[返信]

出典の明記[編集]

{{出典の明記}}を張りました。初版から欠けている出典を探しています。

特に、「神岡軌道株式会社の存在について」です。この記事の項目名が「神岡軌道」になっている理由なのかもしれませんが、さて「神岡軌道株式会社」は存在したのでしょうか。『鉄道廃線跡を歩く』、『私鉄の廃線跡を歩く』では見つけられませんでした。他にも文献があると思うのですが…探しています。神岡軌道(株)の他にも、軌間が762mmだった時期がある、ということは上記文献では見つけられませんでした。--継之助 2010年2月10日 (水) 16:23 (UTC)[返信]

(コメント)手元の資料で少々調べてみました。まず、「神岡軌道株式会社」の存在についてですが、これは現時点で確認できておりません。手元にある岡本憲之『JTBキャンブックス 全国軽便鉄道 失われたナローゲージ物語300選』(JTB、1999年、pp.114-115)や湯口徹『レイルNo.46 私鉄紀行/北陸道 点と線 (下)』(エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、2003年、pp.88-91)では西村小次郎個人経営から直接1927年に三井鉱山の経営へ移行した形で記述されています。ちなみに後者では、1944年7月20日付の戦時体制下での行政簡易化に伴う内務省国土局長・運輸通信省鉄道総局業務局長の連名での依命通牒に従って1945年4月1日に軌道から地方鉄道へ変更されるまで、路線の通称として「神岡軌道」の名が使われ、以後「神岡鉄道」に変わったとしています。また、『全国軽便鉄道』では開業を1915年、『レイルNo.46』では1923年(ただし軌道法適用外の鉱山専用線として1920年に開業)としており、1910年を開業とする現行版とは相違しています。もっとも、後者では土 - 下之本坑付近の古い地形図に12km程度の軌道が記載されていたことと、それが軌道として特許を取得した記録がなく商工業省所轄の神岡鉱業所付帯施設として扱われていたとの見解を示しており、それが開業年次についての記述のずれの原因と思われます。なお、軌間については『全国軽便鉄道』で開業時762mm、1927年に坑内軌道との軌間統一で610mmへ改軌、併せて軌道強化を実施、となっています。以上ご参考まで。--HATARA KEI 2010年2月11日 (木) 02:23 (UTC)[返信]
ありがとうございます。文献によって記述が違うのはローカル軽便鉄道の宿命でしょうか…。もうちょっと探してみます。
ちなみに、開業年は『鉄道廃線跡を歩く 8』が「明治の末」、『私鉄の廃線跡を歩く 3』が1909年(明治42年)5月でした。現行版の1910年とは違います。また、『私鉄の廃線跡を歩く』では西村小次郎の個人経営→三井鉱山直営の順で、神岡軌道(株)は出てきません。軌間は現行版では430mm→762mm→610mmですが、同書では500mm→609mmでした。--継之助 2010年2月11日 (木) 04:27 (UTC)[返信]
609mmと610mmの差ですが、これは英国流の2フィート(609.6mm)をメトリックに変換する際に小数点以下を切り捨てるか切り上げるかという話でしかありません。ちなみに、神岡では戦時中の輸送力確保手段として、メトリックを墨守したドイツ流で600mm軌間とされた鉄道連隊からK2の払い下げを受けていますが、これはバックゲージ540mmの600mm軌間用のまま投入されていて、かえってそちらの方が具合がよかった、という証言が残されています。このあたりを考えると、1mm程度の誤差は目くじらを立てて論ずるだけ野暮というものでしょう。--HATARA KEI 2010年2月11日 (木) 06:33 (UTC)[返信]
鉄道省鉄道統計資料 大正12年度 によると軌道名は神岡軌道(西村小次郎経営)になってます。--Tamrono157 2010年2月11日 (木) 12:15 (UTC)[返信]
やはり軌道法適用時(1923年(大正12年)7月21日)は個人経営のようですね。神岡軌道株式会社とは一体?--継之助 2010年2月11日 (木) 14:08 (UTC)[返信]