ノート:神の怒り

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観点タグの意図につき[編集]

聖書の語句等、超教派に係る記事においては、中立的観点につき繊細な配慮が必要です。出典があれば良いというものではなく、出典そのものに偏りが無い事が必要です。当記事につきましては、出典が所謂福音派のものに偏っている事を指摘させて頂きます。--Kinno Angel 2010年4月22日 (木) 02:16 (UTC)[返信]

神の怒りを否定する見解や、「神の怒りは旧約の部族神のもので、新約は神の愛を教えている、旧約の神と新約の神は別である」とする思想もあるそうですので、それについては出典付きで、これとは違う思想として記述があればいいと思います。神の怒りの項目なのですから、神の怒りがあるとする見解が優先して書かれるのは、中立性を損なうものではありません。WP:NPOV「争いのある主題についての長い記事」Q.「例えば進化論について書く時には、進化説と創造説(人間も他の動物も神が創造したとする説)の論争を全てのページで展開しなければならないわけではないですよね?」A.「もちろんそんな必要はありません。どんな主題について書くのであれ、誰かが反論の余地があると考えるような前提が必ず入ってしまうものです。これは進化生物学に限らず、哲学、歴史、物理学などについてもあてはまることです。」--Evangelical 2010年4月22日 (木) 10:01 (UTC)[返信]
>神の怒りがあるとする見解が優先して書かれるのは、中立性を損なうものではありません。
もちろんその通りですが、既に修正しておきましたが、「神の御子であるイエス・キリストを信じない者の上には、神の怒りがとどまっている。 」というのは客観的・中立的記述と言えるでしょうか?「○○教・○○派においては、神の御子であるイエス・キリストを信じない者の上には、神の怒りがとどまっていると解釈される。」と書くのは客観的記述ですが。私が全体的に問題にしているのはこういう点なのです。
具体例
キリスト教においては、ナザレのイエスは死後復活したと信じられている。…(客観的記述
(聖書の箇所を挙げつつ)イエス・キリストは復活された…(キリスト教POV
我々はキリスト教事典を書いているのではありません。非キリスト教徒も参画しているプロジェクトにおいて、百科事典を、無料のスペースをお借りして書かせて貰っています。--Kinno Angel 2010年4月22日 (木) 10:09 (UTC)[返信]