ノート:社会資本

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統合提案[編集]

ソーシャル・キャピタルという項目が別個に立てられていますが、この語を和訳すれば「社会資本」であり、また、当該項目の全内容はこの項目の一部で説明されるべきものであるので、統合したほうが見通しがよくなるはずです。よって統合を提案します。--M3HR 2006年9月20日 (水) 14:16 (UTC)[返信]

反対。そもそも、社会資本という概念と区別されることから、カタカナ語としてのソーシャルキャピタルが用語として定着している。内閣府はじめ政府でも明確な区別がなされており自治体はもちろん、あらゆる専門書でも別個である。だいたい、社会資本とソーシャル・キャピタルとは確かに関連性は強いが、その意味合いは一線を画するものである。確かに直訳すれば確かに社会資本であるが、ソーシャルキャピタルを直訳するという例はあまり見ない。訳すにしても社会関係資本、市民社会資本と意訳することがほぼ定着している。自分はまちづくりを専門としているが、社会資本はほぼインフラ等を対象としているのに対して、ソーシャル・キャピタルは主に社会におけるコミュニティを対象としている。統合は誤解を生む可能性は否定できない。よって、断固反対する。

参考までに。ソーシャル・キャピタルの一節を借用する。「ソーシャル・キャピタルを直訳すれば、電気水道といったインフラや都市基盤のようなハードな資本を意味する社会資本となるが、パットナムによるとソーシャル・キャピタルとはそうしたハードな社会資本とは一線を画すもので、人間関係の豊かさこそを社会の資本としてとらえるソフトな概念である…」そうである。パットナムはソーシャル・キャピタルを政治学上の概念として広めた政治学者である。正確にはワードメーカーは別に存在するが、今日のソーシャルキャピタルの概念が世界に普及したのは、まさしくパットナムのの影響である。学問上、区別され、上述のとおり、日本でも政府がそれを踏襲しているからこそ、日本の公文書でも概念が区別されている。よって、反対する。


追補。確かに関連性は否定できない。であれば、社会資本にソーシャルキャピタルとの対比を述べればよいので、その中で処理すべき問題。ちょっとかじった程度の人でも、おそらく統合には違和感を感じるのではないか。

--Suifu 2006年9月23日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

Suifuさんより提案があり、いったん打ち切りたいとのことです。私も少なからず勉強不足であったことは否めず、なおも反論はありますが有効な決定打とはなりえるとは思えず、また第三者の意見もほとんど出てきていないので、こちらもいったん取り下げて他日を期したいと思います。

参考までに政府資料と政府系シンクタンク研究員の論文URLをUPします。


--Suifu 2006年10月3日 (火) 06:05 (UTC)[返信]