ノート:磐舟柵

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石船神社説[編集]

「歴史的な考察から石船神社(いわふねじんじゃ)付近にあったとされる」とありましたが、削らせていただきました。小林昌二『古志の城柵』(143-144ページ)には、過去に唱えられた諸説がまとめられており、その中に石船神社説もあります。が、有力とはされていません。小林氏自身は石船神社と日下を結ぶ線が「位置論の補助線にならないか、仮説のひとつとして提起」という大変慎重な表現をとっています。現在までの歴史学・考古学の経験からは、総じて地名を手がかりにした探索の確実性が低い(発掘でひっくり返されることが多い)ことがわかっておりますので、そうした説を断定的に語るのも、各説を詳しく紹介するのも、ふさわしくないのではないかと考えました。ご了解ください。--Kinori 2011年1月15日 (土) 14:04 (UTC)[返信]