ノート:石谷氏

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二階堂行秋に関する補記[編集]

『ふるさと探訪 掛川の古城址 (林隆平) 昭和54年10月1日』などに拠れば、地元に残る系図(出典不明)について記述がある。それによれば、二階堂行義の子である義賢の子、行秋を石谷氏に関連する二階堂行秋に推定し、また、二階堂行久の子である行清の下に石谷氏との記載があるとの事。別途、二階堂行盛の下に美人谷二階堂の添書きがあるとの事。しかし、この記載は著者自身が年代的疑問を投げかけている。一方で、一般に参照可能な『続群書類従』工藤二階堂氏系図に拠れば、二階堂下総守光貞の子に寛永伝等の記載と同じである二階堂行秋(因幡守、法名:行欽)が存在する。従ってその旨を略系図中に補記した。--松浦図書助会話2013年11月6日 (水) 17:24 (UTC)[返信]

遠江石谷氏近世系図について[編集]

Wikipedia:独自研究は載せない』に基づき、系図は、資料として参照可能な『寛永諸家系図伝』『寛政重修諸家譜』『寛政譜以降旗本家百科事典』の系図の記載に戻します。参照不明内容『石谷清順―清通―清明―清一―圭三―義雄 , 石谷清倚―清寧―清成―正雄―倉太郎―潔―清隆 , 石谷穆清―公清―清成―清一 』参照可能な出典の明記をお願いします。一次資料の場合は、補記等にするほうが好ましいのではないでしょうか。名前の重複も多いので、内容を確認してください。--松浦図書助会話2014年2月11日 (火) 06:28 (UTC)[返信]