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ノート:真田守信

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信尹の子 政信の件[編集]

「信尹の次男に政信という人物は存在しない」と断言していますが何を根拠にしたのでしょうか。

実は 幕府の系図には載っていませんが、信尹が若い頃 武田信玄の命により、加津野家に養子に行った時に出来た子がおります。

政信は この出羽(幼名)であり、政信の四男が守信と考えられる。

伊達世臣家譜には 阿梅が片倉小十郎の後妻になっているのを知り 守信が自分で白石に赴いたことが記されております。

尚、「伊達世臣家譜」や『真田家御事蹟稿』は、藩主の命で 漢文の知識や変体仮名などの知識を持った学者クラスの人が、結果として デタラメな内容なものになれば、切腹覚悟で引き受け、書き上げたものであるので 正確なものである。

さて、皆様方は この事に対して 何かコメントがあれば 返信ください。--深谷藤原三能会話2024年6月18日 (火) 02:00 (UTC)[返信]

以前より興味深く拝見しております。さて、ご意見ですが「真田信尹(加津野昌春)に加津野出羽と称した子がいた記録はあるようですが、出羽=真田政信とはあなたの示した資料では読み取れません」
学者クラスの人とか、切腹覚悟とか、あなたの感想はどうでもいいです。あなた以外の人が書いた、私にも参照できる根拠資料を示してください--みやここんぶ会話2024年6月24日 (月) 09:00 (UTC)[返信]
お世話になります 深谷藤原です。
その証拠は まだ ないです。しかし、状況証拠があります。
信尹の子 政信と記した機関誌(東京帝国大学 史料編纂掛編集)です。
このページの5番目です。
幕府の系図に載っていなくても、伊達世臣家譜 及び 宮城県姓氏家系大辞典に政信の子 守信、
とあるのだから 政信は 居たと言う事であり、政信には 親がいないと生まれるわけがありません。
取り急ぎ 以上です。 --深谷藤原三能会話2024年6月24日 (月) 14:08 (UTC)[返信]