ノート:皇帝教皇主義

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本記事について[編集]

前から気になっていましたが、「この用語そのものが間違いである」といわんばかりの論調がどうかと思うのと、他にもいくつか気になる点がありましたのであげておきます。

たとえば

「(皇帝教皇主義は)ローマ・カトリック教会側がローマ教皇の指導権を認めない東方正教会を異端であると強調するために使われる傾向があり」

とありますが、実際にカトリック教会の資料や歴代の教皇の発言もしくは回勅で「皇帝教皇主義」という用語をそのように用いている例があるのでしょうか。

また

「皇帝と言えども、カトリック教会におけるローマ教皇のような権限(教皇不可謬説)を有していた訳ではない。ゆえに教会が常に皇帝に従属する、という単純な構図では説明できない事例も多く見られるのである。」

とありますが、不可謬と従属の云々は無関係であり、教皇不可謬の権利というものを理解されていないように思えます。

というのは、この権利は「信仰と道徳に関する事柄」で「過去の教義と矛盾せず」「公式に宣言された時のみ」に限るという、きわめて限定的に行使されるものであり、「教皇が言うことはどんなことでも正しい」という概念ではないということ、また歴史上行使された例がわずかであること(たとえば20世紀以降では聖母被昇天の教義の制定の時のみ)など正しく理解されたうえでの記述とは考えにくいのですがいかがでしょうか。Gakuinryou 2007年1月28日 (日) 16:37 (UTC)[返信]

調べてみたところ、当該箇所はIPユーザー58.0.99.246氏が2005年10月2日 (日) 02:45 の初版で書いたもののようです。(このIP氏の投稿記録はこれのみ。)上記の質問内容についてこの方からはお返事がありませんでしたが、資料や他言語版を見ながら、よりよい記事を目指して加筆修正していきたいと思っています。Gakuinryou 2007年2月4日 (日) 16:09 (UTC)[返信]

>「この用語そのものが間違いである」といわんばかりの論調がどうかと思うのと、

初版の補強のような形になるかもしれないのですが、2008年に出た根津由喜夫先生の書籍でも「用語自体が不正確」という記述がありましたので加筆しました。少なくとも学界の専門家の間では「用語自体が不正確な表現で使用すべきではない」というのが主流のようです。参考文献は記事内に出しましたので、疑問のある方は読んで確認して下さい。--コンスタンティノープルからの使者