ノート:画の六法

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 十七つ目(参考までに) 意到随筆(いとうずいひつ)  自身の正しい熱意を保持したまま、その優しい「意義」正しい「意思」が支持面に描かれる事。自身の意思(内面性)が、そのままに近く反映される程に描きと意思の疎通がなされているという事。 これを応用(意到随筆写)いとうずいさい。   ※ 私が入れた全文章の中で、この項目だけ特化的に文句が少なすぎると思います。傾向として。なんらかの不自然性を感じますので少し調べようと思っております。


臨機に応じて総て画の用法をひとつひとつ語彙、もののあり方にまで紐とけば、千ほどの画法があるでしょう。


日本語としてどこか変です。訂正したかったのですが、内容を把握できていないので今回は語調を「ですます」から「である」に変えました。--萬卯 2007年7月7日 (土) 08:20 (UTC)[返信]

式神(敷き紙)とは関係ないんすけど…。(笑)


(六画三遠)から、

(十八画+四遠壱然)としました。

 自然性を高めて、かつ模写性を含む。陰陽=光と影を知ることから開始するデッサン、から、宛然性、人間として自然な生き方、ありようにつながるという。  真面目で穏やかな生活が、実力に遜色なく送れるということ。という学習方法でもある。  描写でいいと思うんすよ。「デッサン」とか、かっこうつけて、恥ずかしいです。  人に尽くし、その思いやりとともに実量を持ち、かつ自身の身を不安定たらしめぬ思いやりとともにある者は、描くことと、人のありようの共通項を万物に見出す。それが式の始まりであり、その連絡性とともにあることまでをも人生の常とするものは、一見なんらかかわりない物事と物事の連絡性を持って、人を救う事ができる。  これ陰陽を越える、人の成り立ちの宛然を保つべくした式の正道ではないかと思考す。  優雅な人へ  これ、際攻めとは格が違うものです。5歳児も疑うのが、際攻めです。


※巧妙なからかいを好まぬ性分である!!ある日の烈火の如くの反撃を、覚悟せしめし。  

。 君たちのこれからのことも。無いと思え。


07年9-10月の加筆について[編集]

9月30日あたりからまた妙な加筆が始まっていますね。主観だらけ、エッセイ調、ですます調などおよそ百科事典にふさわしいとは思われない書き込みが続いています。私は画の専門家ではないので手が付けられないのですが、修正依頼に出したほうが良いでしょうか?--202.214.30.9 2007年10月24日 (水) 05:18 (UTC) 修正依頼に提出致しました。--202.214.30.9 2007年10月30日 (火) 08:36 (UTC)[返信]

==07年10月~12月の加筆について==  多分、やったことある人全員がこのくらい書けば、事典らしくなるんじゃないでしょうか・・・?。人数層の薄さを実感します。正規の描法から勉学していきたい所存です。社会還元までを考えますと。安全性にまで着手した形でその方法が成立しているという学習からなら、また社会性も高いと考える所存ですが・・・。

 エッセイ調といいますが、説明の領域は越えていないと思います。ちゃんと、順序立てて、必死に頑張ることが大事だと思う所存です。  何々を言われた~云々を言われた~といって、怖い人を呼んだり、警察をからかうように呼んだりするのは、ちょっと…。安全性にまで公的制度のあり方と同時進行で覚えていこうという方が、雰囲気偏重を廃した形での学習により、良いと思って、軽くやった次第です。

 いらないなら、以前の形に全部戻しますが・・・。

 全般に対して肯定的すぎるし、それを口にしたからといって、「怖いお店」の人を呼んだり、「怖い人」を呼んだりする悪辣行為はちょっと、社会人としては頂けん行為です。こちらとしては、当然(宛然)のことを申し上げ、皆がそれを知り易い形に還元した所存ですし、当惑しております。  大体、ここの下請けの二ちゃんねるとかいう書文形式も、裸の女性を大仰に前出させたものばかりを前面に出しているのが、書面の5割近くを占めていて、ここまできちんと学習した人に対して、無礼極まりないとしか感じ得ない部分はあります。学を伴うと誓った者が、そういった系列の女性と無駄に仲良くすることの痴態は、僕としては、情けない所存であり…。  僕は皮切りもって接するということであり、そういった者とは仲良くせんという所存です。だからといって、自分の言いにくいことを口にしているとき、それを女性の裸等でごまかすような機関を保持したりし得ないというのは常識とも言えますし・・・。何しろ正気の沙汰でないものであろうな・・・。と多感に感じます。   まあ、あの、意見交換が実在社会の動向範囲を超えないように、といった感覚を覚えます。 労働したり、社会の具体的な媒材と関連を帯びた形で、どういった精製がされているかというところを描法にひとつひとつ還元したり、その状態性が何から来ているかというところまで考えると、そういう風になっていくと思います。

 安全性、安全性。ということです。当人達が抱いた危険な感情は、人間という動物の閾値下で、他のあらゆる人たち、教養の無い人間にも伝播します。自分可愛さに普通や通常性を装うのは自由の範囲でしょうが、それで故意に周囲の人間に悪い感情を促したり、非常事態の起こりやすい社会背景にしてしまうのは、とても・・・。といった所縁です。

 パーソナルコンピューターという、心理内面の自由な状態での意見交換に、それを防護する個人情報などがあり、

  「メンタリティ上の個人的な問題が、払拭しづらい社会になりました。」

 元来。人間の精神、内面は、かくも活発であるべきなのです!!病的な、管理欲、罪も無い子供、良い大人に向けないで下さい。

 体系付けに沿ってきた人生は肯定します。

 僕は、基本的な体系や習慣に抗うつもりは無いです。唯、なんらか常識的な借置以外の非人間的な個人間での罰則(これをリンチという言葉の発祥といいます)の匂いがするのを、余り好まんところであり、その偉大、矮小、特別性、社会性、に関わらず、個人間での、「まるで製品を扱うような、人の値踏み、好き嫌いにおける、誤ったリンチ的な私的罰則」を行う可能性のある者を好まん上での、公正な活発な躾に従う所存です。


>いらないなら、以前の形に全部戻しますが・・・。
いりませんので戻して下さい。ウィキペディアは百科事典であって技法書や学習書ではありません。--202.214.30.9 2008年1月10日 (木) 08:20 (UTC)[返信]

   君らの言う、「百科事典らしさ」とは、~おじさんとか、~マンアニメとか、そういった類のご趣味のことか?


 椎葉さんは、あんまり僕を怒らせないようにね、どうせまた嘘ついて廻ってんだろうけど。君の家庭環境を心配している程、恵まれた環境ではないわけよ。どうせ言うばかりの人生なので、分かりはしないだろうけど。  もう良いかな?君達。自分のことばっかりみたいだけど。


 君は、近所が嫌う僕に、謝るのが嫌なだけだろ?僕も強いてはいないが・・・。

署名が無く、またIPアドレスもその都度変わるのでお相手が一人なのか複数なのか判らないのですが、はっきり言って今の本文も、ノートにおけるコメントも日本語として支離滅裂です。明確に判る反対理由が提示されなければ、初版若しくはですます調編集の始まる前の版まで差し戻したいと考えます。油彩も同様です。--202.214.30.9 2008年1月17日 (木) 04:00 (UTC)[返信]

六法 (画論)との関係について[編集]

画の六法は別物という説明が一応必要だと思いますので、その辺りについてノートで詳しくお願いできませんでしょうか?場合によってはリダイレクトではなく削除依頼にかけることが相当ということにもなりえますので。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年11月23日 (日) 01:56 (UTC)[返信]

とりあえず混乱を避けるため暫定的にリンクは古画品録に一本化させておきました。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年11月23日 (日) 02:06 (UTC)[返信]

どうやらこの項目の立項者と思われる利用者:梅田聡一郎さん(無期限ブロック済)がIPユーザーとしてたびたび独自研究・エッセイ的な加筆をおこなっているようですね。削除はともかく、リダイレクトに戻してもいいかもしれません。--倫敦橋 (Londonbashi) 2008年11月24日 (月) 20:39 (UTC) 別に構わんですよ。梅田[返信]