ノート:特性のない男

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松籟社から出ている「ムージル著作集 第1巻 特性のない男 1〜6」(R. ムージル)と鳥影社の「ムージル 思惟する感覚」(鎌田道生)と岩波書店の「ロベルト・ムージル」(古井 由吉)など本が出ていますが。新しくページを作るなら二部構成からなるあらすじ、時代背景などの概要、登場人物、評価、訳注などがあればよいと思います。--吹雪饅頭 2011年2月24日 (木) 11:15 (UTC)[返信]

利用者:吹雪饅頭/下書き2に概要などを書きました。まだまだ足りない部分があるかと思いますのでどなかか加筆してください。--吹雪饅頭 2011年3月6日 (日) 08:59 (UTC)[返信]

以下に利用者:吹雪饅頭/下書き2よりコピーさせていただきます。--忠太会話2019年2月12日 (火) 16:27 (UTC)[返信]

あらすじ[編集]

  • 第一次世界大戦勃発直前の1913年、場所はオーストリアの首都ウイーン。32才の若き数学者ウルリッヒは、「同じ様な事が何度も起こる」という奇異な現象を体験し、そこから思索に没頭するようになる。この世は諸法則を束ねた大きな法則の上に成り立っているのではないか、そうだとすればその大きな法則とはなにか、についてである。思考の末、彼はエッセイスムスという原理に到達する。この場合のエッセイスムスとは、この世はつくりごとであってエッセイのようなものだと見なす観点である。 ウルリッヒには可能性感覚があった。可能性感覚とは、今ある世界が、別様に展開していたかも知れず、その別様の世界を今ある世界と同等に見なすことにより、現実を虚構化し、異世界への可能性へと自分を投じるユートピア思想を生み出すための感覚である。この感覚があるために、ウルリッヒの眺める世界は幻想的に変容し、彼を悩ませるのだった。 ウルリッヒは、世界の中でもまれ、ユートピアと現実の狭間で苦悩し、その頃ウイーンで進んでいた平行運動へと飲まれて行く。

メモ[編集]

  • この小説はしかしその一方で「20世紀初頭の思想史のパノラマ」を繰り広げるのであって(略)[2](大川勇「ムージルにおけるオーストリア的なるもの」)barbara hyamsの引用 --忠太会話2019年2月13日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
  • Kakanien vielleicht doch ein Land für Genies; und wahrscheinlich ist es daran auch zugrunde gegangen.(8章)
おそらくカカニアは天才のための国であり、それゆえに滅んだのである。(試訳)

-- 2019年2月23日 (土) 12:28 (UTC)--忠太会話2019年2月24日 (日) 11:11 (UTC)[返信]